artscapeレビュー
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd
2022年11月01日号
会期:2022/07/16~2022/10/16
東京都現代美術館[東京都]
2020年のパンデミック以降、展覧会に足を運ぶことが以前にも増して特別な意味を帯びつつあるのではないだろうか。鑑賞者が自らの意志で会場へ訪れることを選ぶようになっただけでなく、異なる立場の人々が同じ空間を共有しながら作品と出会い、遠い世界や他者を想像し、内省的な時間を持つことの意義を再確認する機会になったからであろう。東京都現代美術館が2020年11月から2021年6月にかけて2会期にわたりコレクションの成り立ちに光を当てた企画に着手した背景のひとつに、個々の作品との出会いや再会だけでなく、それらが多くの人々の眼によって見出され、収集されてきた経緯を紐解きながら、宮川淳が美術批評で言うところの「見ることの厚み」を回復するねらいがあるのではないだろうか
。今回の展示はその第2弾として開催され、主に1960年代以降のコレクションの歩みが紹介されていた。本展が興味深いのは、美術館による自己言及的な営為にとどまらず、「現代美術がいかにコレクションされてきたか」を再考させられる点だ。例えば、東京都美術館で開催された無審査・自由出品制の「読売アンデパンダン」展(1949-1963、1957年に日本アンデパンダンから改称)は、いわゆる「反芸術」をはじめ日本の現代美術の源流となった動向が数多く発表され、当時の作家たちの登竜門となった展覧会であるが、美術館が「陳列作品規格基準要綱」を設けて出品作品の規制を行なったことに象徴されるように、同時代の美術を評価することが反発と隣り合わせであったことが窺える。そこから10年余り経て、1975年の新館開館以降、都美術館は60年代美術の収集に踏み切り、現在の現代美術館の核となるコレクションを形成した。かつては出品規制を行なった都美術館で「現代の動向II 1960年代──多様化への出発」展(1983)が開催されたことは、いま振り返っても画期的なことである。最近でこそ60年代美術が研究対象として扱われることは珍しくないが、同時代の美術を評価し系譜づけることは長らく美術批評や画廊、美術館の領域にあった。もっと率直に言うならば鑑賞者、つまり、評価する側の眼が問われるのが、現代美術なのである。そのような視点で捉える時、本展では当時見落とされ、近年になって新たにコレクションに加えられた田部光子の《プラカード》(1961)が展示されている点も興味深い。当時の顔ぶれの中で田部の作品を鑑賞し直せば、自ずとその先見性が明らかになる。福岡市美術館で2022年1月から3月にかけて開催された「田部光子展 希望を捨てるわけにいかない」のカタログによれば、本作は、特注の襖を支持体に、アフリカ大陸や星条旗のイメージを描き、印刷物やマネキンの頭部をコラージュし、キスマークをつけ、田部がコラージュに初めて着手した作品群であるという(うち3点が東京都現代美術館、2点が福岡市美術館の所蔵)。タイトルは、労働運動や安保闘争の敗北などの同時代の出来事を背景とし、新たな蜂起を想像させる。それと同時に、ロバート・ラウシェンバーグによる日常の事物を組み合わせる「コンバイン」を思わせる表現や、ポップな感覚を先取りした作品とみなすことができる。あるいは、知的な操作の中に紛れ込んだフェミニズム的要素を積極的に読み取ることもできるだろう。
田部の作品を参照することにより、コレクションが決して自明なものではなく、常に軌道修正されながら、複数の読みの可能性を取り込んできたことが窺える。それは美術館だけの問題ではなく、60年以上の年月を経てようやく、作品が語ることを素直に直視できる社会状況が生まれているとも言えるだろう。時代の空気をたっぷりと吸い込んだ作品と一点ずつ向き合いながら、長く付き合うことのできるコレクションをもつことが、私たちにとっての財産であることを改めて強く感じる
。公式サイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mot-collection-220716/
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2022/10/13(木)(伊村靖子)