artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

ミュシャ展──パリの夢 モラヴィアの祈り

会期:2013/03/09~2013/05/019

森アーツセンターギャラリー[東京都]

ミュシャというと、19世紀末のパリの街角を飾ったアールヌーヴォー様式のポスターで知られるイラストレーター、程度の認識しかなかったが、それはサブタイトルの前半「パリの夢」の部分。後半生は故国モラヴィア(チェコ)に戻り、壮大な絵画連作「スラヴ叙事詩」をはじめスラヴ民族のための芸術に身を捧げていく。これが後半の「モラヴィアの祈り」だ。知らなかったなあ、美術史に載ってないから無理もないが、帰郷後の活動が美術史に出てこないのはローカルな民族主義芸術にしか見られなかったからだろう。そこが東欧出身のツラさであり、同じ世紀末を彩ったウィーンっ子のクリムトとの違いかもしれない。出品作品は、ポスターやグラフィックデザインが大半を占める前半に対し、後半は油絵もたくさんあって、超絶的といっていいほどのテクニシャンぶりを見せつけているが、すでに前衛芸術華やかなりし20世紀前半にあって、職人技を駆使したミュシャの油絵は社会主義リアリズムと紙一重に映ってしまう。そこがクリムトとの最大の違いかも。余談だが、ミュシャは秘密結社フリーメイソンのメンバーであり、チェコではグランドマスター(最高大総監)も務めたという。そういわれれば、とくに後半は神秘主義のニオイがしないでもない。ともあれ、知られざるミュシャの一面を知ることができた点では有意義な展覧会だった。ところで、知られざるミュシャといえば、同展とは別に、その名もズバリ「知られざるミュシャ展」が日本各地を巡回している。こちらはチェコの個人コレクションを中心とする展示だが、サブタイトルが「故国モラヴィアと栄光のパリ」となっていて、内容的にはほぼ似たようなもの。ふたつ合わせて見るといい、つーより、なんでふたつ同時にやるんだ? なんで合体してくれないんだ?

2013/03/08(金)(村田真)

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フランシス・ベーコン展

会期:2013/03/08~2013/05/026

東京国立近代美術館[東京都]

ベーコンといえば10代のころ「ファブリ世界名画集」で初めて知って衝撃を受けたものだが、その後ミニマル・コンセプチュアルに突き進むモダニズム路線を追いかけてしまい、ベーコンは忘却の彼方に置き忘れてきた。近ごろ再びベーコンの名が聞こえてくるようになったのは、オークションで作品が高額で落札されたとか、夜の街をさまよう同性愛者だったとか、どうでもいいような話ばかり。まあそういう話のほうがおもしろいのは事実だが。出品は第2次大戦直後から最晩年まで、半世紀近くにおよぶ33点。ほぼ例外なくどれも歪んだ身体や顔を描いた人間像だ。画業が半世紀近くにおよぶのに、その間イギリスも世界情勢もアートも大きく変わったはずなのに、モチーフもスタイルもほとんど変化がない。変化があったとすれば3幅対が増え、筆触が穏やかになったことくらい。ブレがないというか、頑固なまでにモダニズムに背を向けた画家だったようだ。まあ「現代美術」より「人間」に興味があったんでしょうね。ところで、ベーコンはしばしばマイブリッジをはじめとする写真を参照し、その写真の視覚特性や動きを強調するため縦方向の筆触でモデルをぼかすのだが、これがゲルハルト・リヒターの手法とよく似ている。でもベーコンは主題を際立たせるために筆触を用いたけれど、リヒターは筆触の妙にとりつかれて主題を変えていったようにも見える。同様に、ベーコンもリヒターも絵の前のガラスに興味を寄せるが、リヒターはガラスそのものを絵画として作品化したのに、ベーコンはあくまで絵を見るためのガラスでしかなかった。ここがモダニズムの分かれ目のような気がする。

2013/03/07(木)(村田真)

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松山賢「生きものカード(甲虫)」

会期:2013/01/018~2013/03/03

アンシールコンテンポラリー[東京都]

カブトムシやクワガタと美少女を組み合わせた絵画。オタクならずとも垂涎のモチーフだ。今回は鉛筆画や水彩画も出ているが、メインは案内状にも使われたS100号の大作《生きものカード(カミキリムシ)》。黄緑色の川(池?)を背景に、青色のカミキリムシとオレンジ色のジャケットを着た少女が正面を向き(カミキリムシは背面)、同じサイズ、同じポーズ(?)で仲よく手(?)をつないでいるところが描かれている。固い殻におおわれた甲虫と柔らかそうな少女の対比、青とオレンジという補色関係、ミクロとマクロの同サイズ化にもかかわらず、破綻なくまとまっている。さらに画面は、細かく分割彩色された明るい風景を基層に、なめらかなグラデーションで表された少女とカミキリムシ、そのカミキリムシの表面に盛り上げた細かいアラベスク模様、という次元の異なる3層から成り立っているのだ。これは学ぶところが多い。

2013/03/03(日)(村田真)

HOUSE VISION 2013 TOKYO EXHIBITION

会期:2013/03/02~2013/03/024

お台場・青海駅前 特設会場[東京都]

お台場の特設会場に建てた七つのパビリオンを家に見立て、それぞれ建築家と企業が組んで、あるべき「暮らしのかたち」を提案しようというもの。展覧会ディレクターの原研哉によれば「美意識は日本の資源であり、家はその発露の場」だという。屋内に半屋外の土間や縁側を設定し、「懐かしい未来」の家を考えるLIXIL×伊東豊雄、電動二輪をはじめ室内に電気カーが入れるようシームレスにしたホンダ×藤本壮介、集合住宅のプライベートな専有面積を最小にして共有部分を大きくとる未来生活研究所×山本理顕ほか、木材を基点にシンプルな「数寄の家」を発想した住友林業×杉本博司、柱や壁の代わりに家具で家を支える無印良品×坂茂、トイレを中心に家を考えるTOTO・YKK AP×成瀬友梨・猪熊純、既存のマンションをスケルトンの状態に戻して住空間を組み立てていく蔦屋書店×東京R不動産と、七つのパビリオンはどれも大胆な発想ながら実現できなくもなさそうな提案ばかり。いくつかに共通しているのは、住空間の内と外やプライベートとパブリックの境界を曖昧にする方向性だ。なるほど、これからそういう方向に向かうとすれば、アートもそれなりに変わっていかなければな。

2013/03/01(金)(村田真)

ラファエロ

会期:2013/03/02~2013/06/02

国立西洋美術館[東京都]

今年はレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロと3大巨匠展が続くが、その第1弾。しかし「レオナルド展」なら前に「ミラノ アンブロジアーナ図書館・絵画館所蔵」、後に「天才の肖像」、「ミケランジェロ展」なら前に「システィーナ礼拝堂500年祭記念」、後に「天才の軌跡」というサブタイトルがつくのに、ラファエロはまんま「ラファエロ」だけでサブタイトルなし、「展」すらつかない。つまり、ラファエロがどれだけエライ画家なのか、なぜいま日本で開かれるのかという「言い訳」がいっさいないのだ。よっぽど自信があるのか、それとも放棄しているのか。でも正直な話、レオナルドやミケランジェロみたいな規格外の天才に比べれば、エリートコースを歩んだラファエロは優等生的だし、描く絵も聖母子像をはじめおとなしい印象があって、インパクトに欠けるのは事実。美術史への貢献度でいえば両先輩に勝るとも劣らないのにね。出品作品は60点余りだが、ラファエロの作品はデッサンも含めて20点ほど。大半が小品なのはしかたないが、むしろよく20点も集まったもんだと感心する。いちばんの目玉は、いかにもラファエロらしい優しさにあふれた《大公の聖母》だが、逆に魅力なさそうな女を魅力なさそうに描いた《エリザベッタ・ゴンザーガの肖像》や《無口な女》は、いかにもラファエロらしくなくて捨てがたい。ラファエロ以外の約40点は、画家だった父ジョヴァンニ・サンティや師匠ペルジーノから、同世代の画家作品、工房作品、弟子のジュリオ・ロマーノ、ラファエロの原画を元にした版画や陶器まで幅広く集めている。とくにラファエロの《美しき女庭師》を立体化したジローラモ・デッラ・ロッビアによるテラコッタや、のちにマネが《草上の昼食》で引用することになるラファエロ原案のマルカントニオ・ライモンディによる版画《パリスの審判》などは、画像のフィギュア化という意味でも、あるいは2次創作・3次創作の古典的実例としても注目に値する。

2013/03/01(金)(村田真)

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