artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
大友良英「アンサンブルズ2010──共振」
会期:2010/11/30~2011/01/16
水戸芸術館現代美術センター[茨城県]
久々に肩透かしを喰らった。大友良英による水戸芸術館の展覧会と聞けば、否がおうにも期待が高まるが、しかし同展の内容はじつに浅薄。ポータブルレコードプレイヤーを中心に構成された展示は、静かなノイズを聴かせる装置を並べるもので、その単純な連続が鑑賞の経験をじつに退屈なものにしてしまっている。レコードやCD、カセットテープなどの新旧の音楽メディアを神殿のように再構成した作品も、発想が安直であるうえ、とりわけ神聖性も感じられないし、かといってジャンクアートとしての迫力にも欠けている。もしかしたら展覧会の核心は大友によるライヴや市民とのコラボレーションにあるのかもしれないが、そうであるなら美術館の展覧会であることのエクスキューズとしてしか思えない中途半端な展示など、思い切って最初からやめておくべきだろう。大友良英以後のためにも、非物質的な音楽を物質を展示するための美術館という制度に落とし込むことについて、よりいっそう熟慮を重ねるべきである。
2011/01/14(金)(福住廉)
地下鉄におけるパブリックアートの変遷
会期:2010/11/23~2011/01/16
地下鉄博物館[東京都]
東京の都市生活者にとって地下鉄は必要不可欠な移動手段。その交通網の結節点である駅にはしばしばパブリックアートが設置されているが、本展はその歴史的成り立ちと現在の分布図をまとめた展覧会。パネル展示はいかにも味気なかったけれど、それでも粘り強く見ていくと、1961年に新宿駅のプロムナードに設置された《協力の像》を皮切りに、続々とアート作品が地下鉄の駅に広がっていく様子がわかる。さらに、パブリックアートの全体がそうであるように、地下鉄のパブリックアートもまた、平和や環境といったイデオロギーに奉仕するものとして期待され、実際そのように解釈しうる作品が数多いこともよくわかる。「ほっと一息」「ほんのり和み」「ゆとりや潤い」の気持ちを感じることが求められているわけだ。これがじつに狭小な芸術観の現われであることは言うまでもないが、だとしても不思議なのは、なぜ千住博や山口晃が採用されながら、佐藤修悦や淺井裕介が入っていないのかということだ。佐藤修悦が全面的にプロデュースした駅であれば、鉄道の駅に期待されている役割を一挙に満たすことができるはずだし、じっさいに乗降客の荒んだ気持ちを少なからず和らげることもできるだろう。
2011/01/13(木)(福住廉)
白石綾子 展
会期:2011/01/07~2011/01/22
Gallery Q[東京都]
顔を伏せたまましゃがみこむ女性の身体。洋服の模様が身体の皮膚にまで及んでいるので、まるで刺青のようにも見えるが、これは模様を描いたのではなく、その模様の生地の上に絵を描いたのだという。昨年、ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アートで松山賢が同じような絵を発表していたが、白石とはじつに対照的だ。松山が確信犯的に皮膚に背景の模様を描き込み、だからそこには主体としての身体と客体としての背景という関係が一貫していたのに対し、白石の絵には背景の方に身体が溶け込むかのような透明感がある。主体はむしろ背景の模様であり、身体はそこに隷属しているわけだ。この図柄に侵犯される身体という主題が、服飾や美容に翻弄される現代女性の身体観を明示しているのは疑いないが、同時に色やかたちを反復する「芸術的なもの」が顔に象徴される個性を抹消するほどのさばっている現代社会も暗示しているように思えた。
2011/01/13(木)(福住廉)
青木千絵 展 URUSHI BODY
会期:2011/01/07~2011/01/28
INAXギャラリー2[東京都]
漆とはかくもエロティックなものだったのか。青木千絵が制作した女性像を目の当たりにすると、伝統工芸としての漆という既成概念がみごとに覆される。漆で制作された女性像は、黒光りした表面と屈折した身体のかたちが女性の滑らかな皮膚感を再現しているようで、艶かしいエロティシズムを感じてならない。かといってすべてを具象的に表現しているわけではなく、上半身を丸く抽象化したり、他の下半身と連結させるなどして、下半身の造形に眼を巧みに誘導するところも、そうしたエロスに拍車をかけていたようだ。内実を欠いた表面の円滑性。スーパーフラットが目指していた理想は、じつは伝統工芸のなかですでに実践されていたのではなかったか。青木千絵の漆は、次の時代を切り開く鍵が、必ずしも新たな表現様式だけに隠されているわけではなく、伝統的な工芸のなかにもひそんでいることを予感させた。
2011/01/13(木)(福住廉)
久保田弘成 個展「廻船仁義~北九州漁船大回転」
会期:2011/01/07~2011/01/18
演歌にあわせて廃車をぐるぐると回転させる久保田弘成の新作展。今回は、廃車ではなく廃船を回転させた北九州は門司でのイベントのメイキング映像のほか、ドローイングや立体作品などを発表した。撮影と編集を専門家に一任したからなのか、同画廊で催された前回の個展で見た映像とは比べ物にならないほど映像のクオリティが高まっていたが、久保田のパフォーマンスの本質そのものはつねに一貫している。それは、男気の過剰な自己演出だ。映像を見ると、褌や作業着、くわえタバコ、演歌といった職人気質を物語る記号や身ぶりがあふれていることに気づく。ただ、その男気が強調されればされるほど、どこかで違和感が残されるのも事実だ。屹立する男根を直接的に描いたドローイングはともかく、同じかたちの立体作品は不自然なほど直立しており、その人工性が久保田の「男気」の人為性を透かしてしまう。いってみれば、チンピラが悪人として振舞えば振舞うほど、善人の部分がクローズアップされてしまうのと同じ理屈だ。この逆説の論理を突き詰めることには多くの難問が待ち受けているはずだが、久保田はそれでもあえてその道を突き進むだろう。それが「男気」のもっとも健全なありようだからだ。
2011/01/11(火)(福住廉)