artscapeレビュー
小吹隆文のレビュー/プレビュー
西村大樹 展「月日」
会期:2012/08/24~2012/09/02
法然院[京都府]
現実の風景をもとに、一種の心象風景を描き出す西村大樹。彼は作品が単なる内面の表出に終わることをよしとせず、複雑な工程のエスキースを制作している。その工程とは、自分で風景を撮影し、プリントをサンドペーパーで削った後、酸化したアルミ板に貼り付け、最後にほんの少しドローイングを加えるというものだ。このエスキースをもとにタブローを制作することにより、作品は自己の内面と外界(自然)の接触から誘発されたものとなり、スケールの大きな普遍的表現になるのである。本展ではタブロー15点に加え、エスキース19点も展示された。エスキースの並置によりタブローの意図が明確になり、西村作品の理解が一層深まったことが本展の収穫である。
2012/08/24(金)(小吹隆文)
カミーユ・ピサロと印象派──永遠の近代
会期:2012/06/06~2012/08/19
兵庫県立美術館[兵庫県]
すべての「印象派展」に参加した唯一の画家で、メンバーの長兄的存在だったカミーユ・ピサロの回顧展。ピサロといえば厳格な構図に基づく安定感のある画風が特徴で、それゆえモネやセザンヌに比べると地味な印象を持っていた。しかし、本展ではピサロの作品の合間に盟友たちの作品を挟むことで、彼らの相互的な影響関係を提示していたのが興味深かった。また、活動期間を偏りなく紹介したことも手伝って、とてもわかりやすい展覧会に仕上がっていた。不満があるとすれば以下の2点。まず、セザンヌとの交流が活発だった時期のコーナーでセザンヌの作品が展示されなかったこと。もうひとつは最終章の扱い方。キャプションでは晩年の仕事をとても好意的に解釈していたが、私には点描画を諦めた時点でピサロは頭打ちになったように思えた。ただ、それらはあくまで私の主観に過ぎない。客観的に判断して、本展が上出来の展覧会であることは間違いない。
2012/08/18(土)(小吹隆文)
自然学|SHIZENGAKU─来るべき美学のために─
会期:2012/08/11~2012/09/23
滋賀県立近代美術館[滋賀県]
滋賀県の成安造形大学と英国のロンドン大学ゴールドスミスカレッジによる国際学術交流プロジェクトを母体に、成安造形大学と滋賀県立近代美術館の連携推進事業として実現した展覧会。21世紀の最も大きな課題のひとつである地球環境問題に対して、芸術という枠組みがいかなる可能性を示せるかをテーマにしている。本展では、そのために「自然美学」という新たな論理の構築を提唱しているのだが、それがいかなるものであるのか、展覧会を見終わっても判然としなかった。個々の作品は一定のクオリティを保っているものの、どれも既視感がある表現ばかりだったからだ。こうした提案型の企画では、解答を保留あるいは観客に委ねるケースがしばしば見受けられるが、本展もそのひとつであったことが残念だ。ただし、自然美学については当方の認識が足りないだけかもしれないので、知識を得る機会があれば積極的に耳を傾けたいと思っている。ちなみに出展作家は、石川亮、西久松吉雄、馬場晋作、宇野君平、岡田修二、ジョン・レヴァック・ドリヴァー、真下武久、木藤純子、Softpadの9組だった。
2012/08/15(水)(小吹隆文)
新宮さやか展
会期:2012/08/11~2012/08/26
ギャラリー器館[京都府]
繊細きわまりない造作と、それらの驚くべき密集性、そして植物を思わせる有機的形態で知られる新宮さやかの陶オブジェ。本展でもその方向性に変化はなかったが、とても興味深かったのは彼女が器をつくったことだ。きっかけは画廊主からのリクエストだったが、オブジェとの関係性をどう扱うかは悩ましい課題だったに違いない。しかし、新宮はその壁を見事に乗り越えた。オブジェの特質を生かしながらも器として成立する、ユニークな形態・形式の創造に成功したのだから。器という新たな武器を手にしたことで、彼女の活動領域は今後大きく広がるだろう。
2012/08/12(日)(小吹隆文)
井上廣子 展〈Mori:森〉
会期:2012/08/07~2012/08/19
ギャラリーヒルゲート[京都府]
社会性の強いテーマや人間存在の本質を問うような作品を、写真やインスタレーションなどで表現してきた井上廣子。彼女が新作のモチーフに選んだのは、日本の東北とドイツの森だった。これらの場所は、いずれも天災や戦争にまつわるエピソードを持っているが、作品にそれを直接匂わせるような手掛かりは仕込まれていない。井上は昨年、東日本大震災のニュースに接した際、これまで自分は自然をテーマにしたことがなかったと気付き、本作の構想に入ったそうだ。その意味で、今回の作品は一種のエスキースと見なすこともできる。今後コンセプトや技法などが煮詰められ、数年後にはかっちりまとまったシリーズ作品が生み出されるのではなかろうか。その端緒を見られたという意味で、本展は貴重な機会だった。
2012/08/12(日)(小吹隆文)