2021年12月01日号
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artscapeレビュー

長島有里枝『SWISS』

2010年09月15日号

発行所:赤々舎

発行日:2010年7月2日

文章家としての長島有里枝の才能に気づいたのは、2009年に刊行された『背中の記憶』(講談社)を読んだ時だ。『群像』に連載された短編をまとめたもので、幼い頃からの家族、近親者、友人たちの記憶を、糸をたぐるように辿り直した連作である。視覚的記憶を文章として定着していく手つきの、鮮やかさと細やかさにびっくりした。思い出したのは幸田文の『みそっかす』や『おとうと』といった作品群で、はるか昔に起こった出来事に対する生理的反応や感情の起伏を、正確に、くっきりと描写していく才能には、天性のものがあるのではないだろうか。同時に、長島の文章にはどこかスナップショットのような爽快さが備わっており、彼女の写真作品と共通する感触もある。
その長島の新作写真集が赤々舎から刊行された『SWISS』。2007年に5歳の息子とともに、スイスのエスタバイエ・ル・ラックにあるVillage Nomadeという芸術家村に3週間滞在した時の記録だ。日記と写真のページが交互に現われる構成になっており、ここでも日記のパートに彼女の文章力がしっかりと発揮されている。記述そのものは、芸術家村で出会った人びととの交友や、父親と別に暮らすことを選びとったばかりの息子との、3週間の間に微妙に変化していく関係のあり方が淡々と綴られているだけだ。だが、庭に咲き乱れる花々や室内の光景を中心に撮影した写真と、重なり合ったりずれたりしながらページが進むうちに、静かな生活の中に湧き起こる感情のさざ波が、生々しい実感をともなって感じられるようになってくる。そのあたりの呼吸が実に巧みで洗練されている。これまでよりもやや抑え気味に、被写体を凝視するように撮影された写真も、しっとりとした味わいで見応えがある。写真と文章とが、さらにみずみずしい関係を構築していく可能性を感じさせる仕事といえるだろう。
なお、特筆しておきたいのは、寄藤文平による造本・デザインのアイディアの豊かさと新鮮さ。紙質やレイアウトに気を配りつつ、物語を包み込む器をダイナミックに仕上げている。表紙の色が20パターンあり、自由に選べるというのも、あまり聞いたことがない。

2010/08/25(水)(飯沢耕太郎)

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