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書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

Vincent Zonca, Lichens. Pour une résistance minimale

発行所:Le Pommier(Paris)

発行日:2021/01/20

本書のタイトルにある「lichen」(仏語)とは、日本語における「地衣類」に相当する言葉である。これは、菌類と藻類が共生してできた複合生物のことであり、生物学的には前者の菌類に分類される。現在、地衣類は世界で約2万種あるとされており、なかには「……コケ(ゴケ)」という名称をもつものも多いのだが、厳密には蘚苔類(コケ植物)とは別物である。

この「地衣類」といういささか聞き慣れない言葉を表題にもつ本書は、フランスの出版社ル・ポミエの叢書「共生(Symbiose)」の一冊として今年(2021年)のはじめに刊行された。この叢書は、哲学者ミシェル・セール(1930-2019)の『自然契約』に着想を得たシリーズであり、まだ立ち上がったばかりではあるものの、今後のラインナップが大いに期待される。本書の著者ヴァンサン・ゾンカ(1987-)は、現在はブラジルのフランス大使館に勤務するかたわら、独立した作家・研究者としても執筆を行なっている(本書がはじめての著書である)

本書によると、地表における地衣類の割合は、およそ8%にもおよぶという。にもかかわらず、普段われわれがその存在に目をむけることは稀である。かれらはわれわれの世界の「周縁」にいるのであって、薬や食料、あるいは顔料として用いられるわずかな例外を除けば、何らかの有意な「目的」に転用されることもほとんどない。本書の副題にある「最小の抵抗にむけて(pour une résistance minimale)」という表現には複数の含意があるが、そのひとつが、もっぱら「開発」や「搾取」の発想に根ざしたグローバル資本主義への抵抗であることは注目されてよいだろう(pp. 274-276)。

しかし何よりも、地衣類の最大の特徴は、はじめにも述べたような菌類と藻類の共生関係にこそある。著者によると、生物学において「共生」という現象が厳密に定義されたのは1877年のことだというが、これはほかならぬ──共生体としての──地衣類の発見をきっかけとしていた(p. 222)。本書でもたびたび紹介されるように、以来この生物は科学者のみならず、「共生(symbiose)」──ないし「寄生(parasitisme)」──について考えるためのさまざまなきっかけを思想家たちに提供してきた。本書もまた、そうした過去の言説に立脚しつつ、「人新世」の時代における共生の問題をあらためて俎上に載せた、詩情豊かなエセーとして一読に値するものである。

本書が対象とする文化領域は多岐にわたる。過去、何らかのかたちで地衣類についての記述を残したカイヨワやバシュラールのような思想家をはじめ、ユゴーやユイスマンスといった作家、あるいはエドゥアルド・コーン(『森は考える』)やアナ・L・ツィン(『マツタケ』)のような人類学者の言説、さらには地衣類をテーマとする詩篇や美術作品の紹介も豊富である。著者ゾンカは、これまでフランス、スイス、フィンランド、日本をはじめとする世界各国の研究機関を訪問してきており、本書では自然科学を土台とした生物学的考察も疎かにされていない(著者が管理するInstagramのアカウントでは、フランス、ブラジルのものを中心とするさまざまな地衣類の写真を目にすることができる)。

なお、本書には『植物の生の哲学』(嶋崎正樹訳、勁草書房、2019)によって知られるようになった哲学者エマヌエーレ・コッチャ(1976-)が短い序文を寄せている。昨今、世界的に「植物の哲学」が活況を呈している様子は本邦でも知られるとおりだが(黒田昭信「他性の沈黙の声を聴く──植物哲学序説」『現代思想』2021年1月号、フロランス・ビュルガ『そもそも植物とは何か』田中裕子訳、河出書房新社、2021)、本書はそうした現代思想の流れにも棹さしつつ、植物ならぬ「地衣類」という小さくも大きな生命に光を当てた、いまだ数少ない領域横断的な試みである。

★──出版社の本著の著者紹介の項を参照。https://www.editions-lepommier.fr/lichens

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エマヌエーレ・コッチャ『植物の生の哲学──混合の形而上学』|星野太:artscapeレビュー(2020年06月15日号)

2021/09/27(月)(星野太)

納富信留『ギリシア哲学史』

発行所:筑摩書房

発行日:2021/03/20

本書の著者・納富信留(1965-)は、これまで『ソフィストとは誰か?』(人文書院、2006[ちくま学芸文庫、2015])や『プラトンとの哲学』(岩波新書、2015)といった、専門的な知見に裏打ちされた好著を次々と世に送り出してきた。共同で責任編集を務めた『世界哲学史』(全8巻+別巻、ちくま新書、2020)のインパクトも記憶に新しいが、本書『ギリシア哲学史』はたった一人で執筆された、約750ページにもおよぶ古代ギリシア哲学の通史である。

まず手始めに第I部「ギリシア哲学史序論」に目を通してみれば、本書がどれほど画期的な一冊であるかはすぐにうかがい知れるはずである。このテーマについてはすでに膨大な研究成果があるだけに、たいていの通史はごく一通りの説明に終始するか、せいぜい著者が得意とする領域の知見を二、三、披露して終わってしまいがちである。しかし本書においては、どの章節もごく最近の研究成果を踏まえたうえで書かれているということが、その揺るぎない筆致の端々からうかがえる。

本書の構成についても簡単に見ておこう。さきほども話題にした第I部は二つの序章からなる。まず序章1「ギリシア哲学とは何か」では、そもそもの「ギリシア哲学」をめぐる一般的な解説がなされ、これから記述される「ギリシア哲学史」の外延が過不足ないかたちで示される。つづく序章2「ギリシア哲学資料論」では、写本の伝承や校訂テクストをはじめとする基本事項が手際よくまとめられており、こちらも──とりわけ初学者にとって──きわめて有益である。

本編は、第II部「初期ギリシア哲学」と第Ⅲ部「古典期ギリシア哲学」に大きく分かれ、あわせて32の章からなる。第II部の「初期ギリシア哲学」では、タレス、アナクシマンドロス、ピュタゴラス、パルメニデスといった、イオニアおよびイタリアにおける「哲学の誕生」が、その社会的背景とともに論じられる。また第Ⅲ部の「古典期ギリシア哲学」では、ソクラテス、プラトン、アリストテレスに代表される、古典期アテナイにおける哲学者たちの学説が幅広く紹介される。内容は明快このうえなく、それぞれの典拠も註にかなり細かく顕示されているため、ここから難なくほかの文献にアクセスすることもできる。本書が、初学者と専門家のどちらにとっても必携であるのは、ひとえにこうした理由による。

ここまで見てきたように、本書は手元において事典的に用いることもできるが、もちろん前から順番に通読するという読みかたも十分に可能である。なかでも、本書のひとつの大きな読みどころとなるのが「ソフィスト」の扱いであろう。古代ギリシアにおける職業的知識人であったソフィストは、基本的には哲学史の正道から排除されることが常であった。より正確に言えば、ヘーゲル以来、ソフィストはこれまでの哲学史のなかにもその存在をみとめられてはいたが、そこではもっぱら「哲学者ソクラテス」対「有象無象のソフィスト」という、否定的な扱いがつきまとってきたのである。本書第III部Bパートにあたる「ソフィスト思潮とソクラテス」は、こうした表層的な見かたに一石を投じ、ソクラテスを同時代のソフィスト思潮のなかに位置づけた、とくに興味深いパートである。

なお、以上のことは、本書が示す歴史区分にとっても小さくない意味をもっている。本書の前半部にあたる「初期ギリシア哲学」は、従来「ソクラテス以前(Pre-Socratic)」の哲学と呼ばれることが珍しくなかった。しかしこの呼称は、昨今の研究成果によってその不正確さがたびたび指摘され、むしろいまでは本書が採用する「初期ギリシア哲学(Early Greek Philosophy)」という呼称のほうが一般的になっている。これだけでなく、本書が示す「ギリシア哲学史」は、過去の通念をくつがえすさまざまなアップデートに満ちている。日本語におけるギリシア哲学史のスタンダードとして、今後長く読まれるべき一冊である。

2021/09/27(月)(星野太)

青森 1950-1962 工藤正市写真集

発行所:みすず書房

発行日:2021/09/16

工藤正市(1929-2014)は青森市に生まれ、1946年に青森県立青森工業学校機械科を卒業した。その後、東奥日報社に入社し、印刷部を経て写真部に所属する。1950年代になると、工藤は美術展の写真部門やカメラ雑誌の月例写真欄に積極的に応募するようになり、入賞を重ねて、写真家として名前を知られるようになっていった。特に、1952-1954年頃の『カメラ』月例第一部での活躍はめざましく、1953年には、応募作家の年間最優秀賞であるベスト10の第1位を獲得する。ちなみに、この時のベスト10の第3位は川田喜久治、第6位は東松照明だった。

1960年代以降は、新聞社の仕事に専念し、写真作品の応募は封印するようになった。そのため、彼の存在はほとんど忘れ去られたままになっていた。ところが、没後の2018年に、荷物の整理をしていた娘の工藤加奈子が、押入れの奥からネガフィルムが入った大小の段ボール箱を発見し、写真家・工藤正市の仕事にふたたび注目が集まるようになる。スキャンした画像をInstagramに上げたところ、日本だけではなく世界各地から大きな反響があり、2021年6月には東京・馬喰町のKiyoyuki Kuwahara Accounting Galleryで写真展(「portraits 見出された工藤正市」)も開催された。本書はその工藤の残した写真を300ページ以上にまとめた、決定版というべき写真集である。

工藤が土門拳や木村伊兵衛が主導した「リアリズム写真」の運動に強い影響を受けていたことは間違いない。その被写体の選択、眼差しの向け方において、同時期に全国各地に出現してきていた「リアリズム写真」の信奉者たちと、特に違いがあるわけではない。だが、被写体を突き放すのではなく、むしろ同化していくような視点のとり方、写真の舞台となる街や農漁村の空気感を大事にし、それを丸ごと掴みとるような撮影のあり方に、工藤の写真家としての姿勢が明確にあらわれている。「リアリズム写真」の運動そのものは、5年余りでピークを迎え、1950年代後半以降は退潮に向かう。だが、工藤の同期生というべき川田喜久治や東松照明は、「リアリズム写真」をベースとして、次のステップへと歩みを進めていった。1950年代の写真表現の展開の厚みを確認するという意味でも、重要な写真群といえる。

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連続企画「都築響一の眼」vol.4/「portraits 見出された工藤正市」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年08月01日号)

2021/09/20(月)(飯沢耕太郎)

ダニエル・マチャド『幽閉する男』

発行所:冬青社

発行日:2021/07/20

ダニエル・マチャドの「幽閉する男」展(銀座ニコンサロン)を見たのは2009年3月で、それから10年以上が過ぎている。没落したウルグアイ・モンテビデオの名家の、廃墟じみた屋敷に独り住む男の姿を捉えた写真群の、あたかも「ホルヘ・ルイス・ボルヘスやガブリエル・ガルシア=マルケスなど、中南米文学のテーマになりそうな」描写は、とても印象深く、記憶に残るものだった。ウルグアイ出身で、立教大学ラテンアメリカ研究所研究員を務めながら、写真家としても活動するマチャドは、展覧会の後、すぐに写真集を刊行する予定だったが、いろいろな事情でその望みを果たすことができなかった。結果的に、この時期に写真集が出ることになったわけだが、イメージの熟成という意味では、逆によかったのではないかと思う。

2001-2007年に撮影されたこの写真シリーズの主役は、むろん自分で自分を「幽閉」してしまった中年男である。だがそれ以上に、荒廃しつつも奇妙な華やぎを残した屋敷の部屋のたたずまいに魅力がある。古色蒼然とした家具が並び、崩れかけた壁には家族の古い写真が額に入れて飾られ、机の上に積み上げられた本には埃がかぶっている。かと思うと、部屋にはまったくそぐわないポップな人形が飾られていたりして、微妙に歪んだ磁場が生じているのだ。マチャドは撮影当時、ウォーカー・エヴァンズの『アメリカン・フォトグラフス』(1938)に強い影響を受けていたという。たしかに部屋の家具や調度品を、即物的に、あくまでも客観的に捉える視線はエヴァンズと共通している。だが、その眼差しが不吉な死の匂いが浸透した部屋とその住人に注がれると、ラテン・アメリカ特有の「魔術的リアリズム」に転化してしまうのが面白い。閉塞感が漂い、非日常的な状況が日常化しつつあるコロナ禍の現在の空気感にも、通じるものがありそうだ。

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ダニエル・マチャド「幽閉する男」 |飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2009年04月15日号)

2021/09/19(日)(飯沢耕太郎)

福島あつし『僕は独り暮らしの老人の家に弁当を運ぶ』

発行所:青幻舎

発行日:2021/08/31

本作の元になった作品「弁当 is Ready」は、2019年にKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の関連企画KG+の枠で展示され、同年度のKG+AWARDグランプリを受賞した。その受賞展は、2020年度の京都国際写真祭のメイン企画として同年9〜10月に下京区の伊藤佑 町家で開催されている。福島の真摯な写真への取り組みの姿勢が伝わってきて、とても強い印象を与える展示だった。今回、青幻舎から刊行されたのは、それをさらに練り直して完成させた、同シリーズの写真集ヴァージョンである。

2004年に大阪芸術大学写真学科を卒業した福島は、2004年から2014年にかけて、神奈川県川崎市で高齢者専門の弁当配達のアルバイトをしていた。たまたま情報誌で目に留まったというのが、仕事を始めるきっかけだったようだが、写真学科卒業という経歴からして、配達先の老人たちにカメラを向けるのは自然な行為だったのではないだろうか。だが、そうやって撮りためていった写真を実際に発表するまでには、かなり長い期間が必要だった。いうまでもなく、厳しい状況のなかで、時には身体的な不調を抱え込んで独り暮らしをしている老人たちにカメラを向けることへの葛藤(「罪の意識」)に、どう片をつけるのかに思い悩まざるを得なかったからだ。結果的に、その躊躇の日々は、本作の成立においてとても有意義だったのではないかと思う。どの写真を選び、どのように見せるのかという、写真集作りの基本的な作業に、重みと厚みが加わり、読者にもまた作者とともに自問自答を促すような回路が成立したからだ。

一方で福島にとって、このシリーズは写真家としてのスタートラインということになる。得難い経験を糧にして、彼がどんな道を歩んでいくのかが気になる。

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2021/09/19(日)(飯沢耕太郎)