artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
大山顕『新写真論 スマホと顔』
発行所:ゲンロン
発行日:2020年3月20日
本書の著者の大山顕は、石井哲との共著『工場萌え』(東京書籍、2007)の大ヒットで知られるライター、写真家である。本書では、日本各地の石油コンビナートなど、工場群のメカニックな構造美の探究に新たな視点をもたらした彼が、「スマートフォンとSNS」の時代における写真のあり方について、広範な視点で論じている。
「自撮りの写真論」、「幽霊化するカメラ」、「航空写真と風景」、「ドローン兵器とSNS」、「Googleがあなたの思い出を決める」など、23章にわたって論じられる内容は、まさに「眼から鱗」であり、たしかにここ10年余りで写真をめぐる環境が激変したことがよくわかる。最も興味深いのは、20章の「写真は誰のものか」だろう。2019年6月から警察における取調べの可視化を義務づける改正刑事訴訟法が施行された。これは録画機器の低価格化、高性能化によってコスト面で取調べの全録画が可能になったからだ。このような「全記録化」は、監視カメラやドライブレコーダーを含むあらゆる写真に広がっていくことが予想される。するとどうなるかといえば、記録された全画像を人間が見るのは不可能なので、その選別をAIが学習して行なうことになる。大山はこのような「写真システムの自立」が進めば、「人間を必要としなくなる写真」が大量に出現してくるのではないかと述べる。
とすると、「人間を必要とする写真」は完全に絶滅してしまうのだろうか。たしかに、誰もがスマートフォンとSNSのアカウントを持っていて、日々天文学的な数量の写真を生産し消費しているいま、それらを従来のように「オリジナリティ」を基準にして批評するのはむずかしくなっている。では、批評に値する写真がまったくなくなってしまったのかといえば、そうとはいえない。例えば本書に収録されている、大山が香港の団地群を撮影した「香港スキャニング」は、「こう撮りたい」というコンセプトをデジタル化以降のテクノロジーで実現した高度な「写真作品」といえる。
「スマートフォンとSNS」の時代の写真のほとんどが、「いいね」がつくことを目的にした同じようなパターンの繰り返しになり、「人間を必要としなく」なったとしても、それでもなお、写真を使って思考や認識を更新していく写真家たちの営みは続いていくのではないだろうか。大山にはぜひ、SNSを母胎にした写真「表現」の可能性について論じてもらいたいものだ。
2020/05/15(金)(飯沢耕太郎)
松谷友美『山の光』
発行所:蒼穹舎
発行日:2020年5月18日
大田通貴が1986年に創設した蒼穹舎からは、コンスタントに写真集が刊行されている。去年(2019)は14冊、今年(2020)もすでに6冊出ているので、ほぼ月一冊のペースと言えるだろう。その内容の幅は、むろんかなり大きいのだが、どこか共通性があるようにも感じる。多くはスナップショットであり、コンセプトを優先させたり、画像に手を加えたりするものはほとんどない。厳密にチェックしたわけではないが、おそらく使用機材はデジタルカメラではなく、ほとんどが銀塩カメラとフィルムだろう。とりたてて、テーマを立てることはなく、写真家の前にあらわれた光景を淡々と受け入れ、写しとっているものが多い。
松谷友美の新作『山の光』も、まさに蒼穹舎の出版物らしい写真集だ。1984年に埼玉県に生まれ、2005年に東京ビジュアルアーツ卒業後、いくつかの自主運営ギャラリーの活動にかかわってきた彼女は、蒼穹舎からすでに写真集『六花』(2014)を出版している。旧作は主に「北の町」で、今回は山口県、岡山県、島根県、広島県など「西の町」で撮影されたという違いはあるが、写真から受ける感触にはほとんど変わりはない。町の眺めや人々の姿を、やや引き気味に距離をとって画面におさめていく。撮ることによってその場所の空気感が揺らいだり、被写体との関係が壊れたりすることをなるべく回避するように、息を殺してシャッターを切っている様子が伝わってくる。その、まったく押しつけがましくない、慎ましやかな写真のたたずまいが、ページを繰るごとに次第に目に馴染んでくる。
このような写真の見え方は、とても好ましいものだが、松谷に限らず蒼穹舎の出版物を見ていると、長年日本の写真家たちによって培われてきた「旅と移動」を基本的なスタイルとするスナップショットの安定感が気になってくる。そうやって写真を撮り続け、発表を続けていくことは、写真家にも見る者にも、いつでも安心感を与えてくれるものだろう。だが、この居心地のよい場所から、未知の世界へと踏み出していく写真家が、もう少し出てきてもいいのではないだろうか。
2020/05/11(月)(飯沢耕太郎)
村上仁一『地下鉄日記』
発行所:roshin books
発行日:2020年
村上仁一(むらかみ・まさかず)は、2008年から写真関係の出版社に勤めるようになり、地下鉄を利用するようになった。この写真集は、その通勤の途中で撮られたモノクロームのスナップ写真を中心にまとめたものである。とはいえ、地下鉄以外の写真もかなり含まれていて、いわば「地下鉄通勤者の心象風景」というべき写真集になっている。
地下鉄の写真といえば、ウォーカー・エヴァンズが1938〜1941年にニューヨークの地下鉄の乗客を隠し撮りし、のちに写真集『Many Are Called』(1966)としてまとめたシリーズを思い出す。荒木経惟も1963〜70年に地下鉄の乗客を撮っていて、写真集『SUBWAY LOVE』(IBCパブリッシング、2005)を出版している。彼らの関心が、地下鉄の車内の乗客のどこか虚な、「無意識の」表情に向けられているのに対して、村上がこの『地下鉄日記』で引き出そうとしているのは、むしろ彼自身の内なる感情であるように見える。あとがきにあたる文章で、「いつからか私は、そんな浮き沈みのある自分の精神状態に向けてシャッターを切るようになっていった」と書いているのは、そのことを言おうとしているのではないだろうか。
その「自分の精神状態」の基調となっているのは、「深い憤り」である。といっても、何か特定の対象に向かうものではなく、脈絡のない、漠然とした、不安や哀しみと混じり合った感情の塊というべきものだ。そんな鬱屈感は、ストレスの多い現代社会に生きる誰もが抱え込んでいるものだが、いざ表現しようとすると、なかなかうまくいかないことが多い。たまたま村上は、編集者であるとともに、かつて第16回写真『ひとつぼ展』(2000)や、第5回ビジュアルアーツフォトアワード(2007)でグランプリを受賞したこともある、優れた資質を備えた写真家でもあったがゆえに、それをとても的確に引き出すことができたということだろう。
写真集のページをめくっていくと、どこか身に覚えがある光景が、次々に目の前にあらわれてきて、自分も地下鉄に乗って移動しているような気分に誘い込まれていく。
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村上仁一『雲隠れ温泉行』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2015年07月15日号)
2020/05/11(月)(飯沢耕太郎)
没後50年・三島由紀夫へのオマージュ展 人形作家・写真家 石塚公昭「椿説 男の死」
会期:2020/05/07~2020/06/07(会期延長)
コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]
石塚公昭は人形作家として活動しながら、写真作品を発表している。自作の人形を背景となる風景に嵌め込んだり、合成したりして、彼自身の文学的イマジネーションから発想した場面を構築していく。このところ、日本画や浮世絵を思わせる「影のない画像」を手漉き和紙にプリントしたシリーズを集中して制作してきた。今回のふげん社での個展では、没後50年ということで、三島由紀夫をテーマにした作品をまとめて発表した。
三島由紀夫は1970年に自死する前に、死の場面を自ら演じて篠山紀信に撮影させていた。それらは『男の死』と題して薔薇十字社から刊行予定だったが、『血と薔薇』に発表した《聖セバスチャンの殉教》など数点を除いては、結局未刊のままに終わった。今回の石塚の「椿説 男の死」は、その三島の意思を石塚なりに受け継ごうとした試みに思える。『からっ風野郎』、『黒蜥蜴』、『昭和残俠伝・唐獅子牡丹』など、三島のオブセッションを石塚なりに味つけ、膨らませて、画面の細部にまで気を配って構成している。新作の、三島が死の前年に演出した『椿説弓張月』に登場する武藤太を聖セバスチャンになぞらえた作品など、むしろ三島の発想をさらに拡張する試みもある。石塚がこれまで20年以上にわたって手がけてきた「作家・文士」シリーズの集大成といえる展示だった。
石塚によれば、既存の作家や画家だけでなく、肖像画や写真が残っていない架空の人物にまでテーマを広げていく構想もあるようだ。中国唐代の奇僧「寒山拾得」をもとに制作するとも話していた。それも面白いのではないだろうか。より自由にイマジネーションを広げていくことで、彼のユニークな作品世界が次の段階に進んでいくのではないかという予感がある。
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2020/05/09(土)(飯沢耕太郎)
日本初期写真史 関東編 幕末明治を撮る
会期:2020/03/03~2020/05/24
東京都写真美術館 3階展示室[東京都]
新型コロナウイルス感染症の拡大によって、多くのギャラリー、美術館での展示が休止になっている。本展も、現時点では再開のめどが立っていない(*本稿執筆後、2020/12/1〜2021/1/24に会期を変更して開催することが発表された)。いくつかの展覧会では、実際に展示を観ることができない観客のために、オンラインによるライブ映像を配信し始めた。本展でも、学芸員の三井圭司による展示解説を東京都写真美術館のホームページから見ることができるので、それをもとにしてその内容を紹介したい。
東京都写真美術館では、2007年の「夜明け前 知られざる日本写真開拓史 関東編」を皮切りに日本の初期写真を展示する連続展を開催してきた。2017年にその「総集編」展が開催され、同企画は一応完結するが、その後も調査が進められ、今回の「日本初期写真史 関東編 幕末明治を撮る」の開催に至った。
三章構成で、第一章「初期写真抄史」では、ヨーロッパで発明されたダゲレオタイプ、カロタイプ、湿板写真の日本への移入の過程、遣欧使節団団員たちのポートレート撮影などが辿られる。昨年の水害で大きな被害を受けた川崎市市民ミュージアム所蔵の、1851~52年頃にハーベイ・ロバート・マークスがサンフランシスコで撮影した漂流船員のポートレート(日本人が写された最初の写真)が、無事展示できたのはとてもよかった。
第二章「関東の写真家」では、風景・風俗写真を手彩色のアルバム仕立てにした「横浜写真」をはじめとして、明治以降の関東一円での写真普及の状況について概観する。第三章「初期写真に見る関東」は、主に明治期以降の写真を扱うが、その目玉になるのは、オーストリア人写真家、ライムント・フォン・シュティルフリートが横須賀製鉄所(造船所)を視察に訪れた明治天皇一行を隠し撮りした《天皇陛下と御一行》(1872)である。1873年の公式撮影前に天皇を撮影した貴重な記録写真だが、オーストリア公使によって頒布を差し止められたので、写真印画はほとんど残っていない。明治大学図書館所蔵のこの写真の実物を見ることができる機会がなくなったのは、とても残念だ。
全体的に、日本の写真の発祥の地となる関東地方を舞台にした写真術の広がりを丁寧に追跡し、貴重な写真とテキストで跡づけた充実した内容の展覧会になっている。三井圭司のライブ配信による解説もよくまとまっているが、やはり写真に近づいてじっくりと細部を見たいという気持ちが強くなってしまう。ライブ配信では、もう少し作品そのものを見せる時間を、長くとったほうがいいのではないだろうか。
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2020/04/30(木)(飯沢耕太郎)