artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

齋藤大輔「石巻市定点撮影2011−2021」

会期:2021年12月21日~2022年1月10日

ニコンサロン[東京都]

東日本大震災から10年が経過した2021年には、もう一度「震災後」の状況を振り返り、記憶を更新するような仕事がいくつか発表された。齋藤大輔の「石巻市定点撮影2011−2021」もそのひとつに数えられるだろう。

タイトルの通り、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市内の39カ所にカメラを据え、2011年5月、2016年5月、2021年5月に同じアングルでシャッターを切った写真、117点を並べている。瓦礫に覆い尽くされた街や道路の非日常的な状況が、次第に日常化(正常化)していく様子が写しとられており、労作であるとともに、どう見せるのかというコンセプトがしっかりと確立されていた。定点観測写真に必要なのは、客観性をいかに精確に保ち続けるかということだが、その点においては、技術的なレベルも含めてほぼ完璧に仕上がっている。広がりのある風景を捉えるために、複数の画像データをつなぎ合わせてパノラマ画面にしたり、2021年撮影の写真だけをカラーでプリントして、現在性を強調したりする操作もとてもうまくいっていた。

ただ、このようなロジカルな枠組みの写真構成によって、逆に抜け落ちていくものもありそうだ。定点観測写真は、ともすれば「神の眼」のような視点になりがちで、撮り手の位置づけが見えにくくなってしまう。見る者にとっても、同じアングルの3枚の写真の細部の比較に縛られて、息苦しさを感じてしまうこともあるだろう。もう少しゆるい作画意識で撮影された写真と並置することで、石巻という土地の固有性が、より膨らみをもって見えてくるのではないだろうか。なお展覧会にあわせて、グラフィカ編集室から同名の写真集(すべてモノクロームの図版)が刊行されている。

2021/12/21(火)(飯沢耕太郎)

和歌山の近現代美術の精華 第2部 島村逢紅と日本の近代写真

会期:2021/10/23~2021/12/19

和歌山県立近代美術館[和歌山県]

このところ、各地の美術館で、日本写真史を再構築する企画展が相次いでいる。和歌山県立近代美術館で開催された「和歌山の近現代美術の精華 第2部 島村逢紅と日本の近代写真」もそのひとつである。

今回スポットが当たったのは、和歌山市で清酒醸造業を営みながら、1910〜40年代にアマチュア写真家として広く活動した島村 逢紅 ほうこう (本名は安三郎、1890-1944)である。1912年に和歌山で結成された写真家団体、木国写友会のリーダー的な存在としてその名前は知られていたが、彼の仕事の全体像を見る機会はこれまでなかった。ところが、最近になって島村家の蔵の中を再調査したところ、5,000点以上の写真作品だけでなく、写真雑誌を含む蔵書、手紙、手帳、撮影のための小道具など、大量の資料が見つかった。本展はそれらを元にして、島村逢紅の写真作品約200点を中心に、同時代の日本の近代写真の担い手だった野島康三、福原信三、淵上白陽、安井仲治、さらに木国写友会のメンバーの島村嫰葉、島村紫陽らの作品約50点を加えて構成されていた。

展覧会を見て驚いたのは、島村逢紅が残した写真のクオリティの高さである。写真家としてのキャリアの初期に、萩原守衛や保田龍門の彫刻作品を撮影した習作から、風景、人物、静物まで作風の幅はかなり広い。また。ソフトフォーカスの「芸術写真」から、シャープなピント、抽象的な画面構成の「新興写真」風の作品、さらには広告写真への取り組みまで、技術的にも、スタイルにおいても、日本の写真表現の潮流をしっかりと受け止めて制作していたことがうかがえる。とはいえ単純に流行を追うだけではなく、独自のものの見方を品格のある画面にまとめ上げる力量が、並々ならぬものであったことが伝わってきた。「地方作家」のレベルを突き抜けた、同時代を代表する写真家のひとりといってよいだろう。

島村逢紅が残した膨大な写真・資料の調査・研究は、まだ緒についたばかりだ。本展を契機として、代表作を網羅した写真集の刊行を望みたい。

2021/12/18(土)(飯沢耕太郎)

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新納翔「PETALOPOLIS」

会期:2021/12/09~2021/12/26

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

新納翔の新作は、都市写真のあり方を再考しつつ、新たな方向性を見出そうとする意欲作だった。撮影対象は現在の東京の風景なのだが、それを仮想都市「PETALOPOLIS(ペタロポリス)」に見立てて再構築している。縦位置の写真の画面の一部を加工して、色味、彩度、質感に配慮しながら、「未来の都市風景の断片」として提示していた。

このようなバーチャルな都市空間を画像化するとき、ともすればグラフィック的な処理に走りすぎて、写真的な見え方が失われてしまうことがよくある。本シリーズでも、看板の字を消すような操作も施しているが、それらを最小限に留め、都市風景としてのリアリティを余り損なわないようにしている。なお、「PETALOPOLIS」の「PETA」とは、国際単位系で1兆の1000倍をあらわす接頭辞である。「MEGALOPOLIS」や「GIGALOPOLIS」という言葉ではもはや追いつかないところまで、現代都市が爆発的に膨張しつつあるのではないかという新納の見立てにも説得力があった。

ちょうど、キヤノンギャラリーSで展示中の土田ヒロミの「ウロボロスのゆくえ」を見たばかりだったので、両作品を比較してみたくなった。土田が撮影したのは30年前の表層化、記号化しつつある東京とその周辺の都市風景であり、新納の「PETALOPOLIS」は逆に30年後の未来を予測したものだ。その両者が交錯したところに、もしかすると2021年現在の東京が姿を現わすのかもしれない。土田や新納だけでなく、複数の写真家たちの作品をつなぎ合わせてみることで、現時点における「東京写真」の全体像が見えてくるのではないかとも思った。

2021/12/17(金)(飯沢耕太郎)

垣本泰美「Merge Imago」

会期:2021/12/04~2021/12/25

The Third Gallery Aya[大阪府]

1976年、大阪生まれで京都在住の垣本泰美は、1999年に成安造形大学造形学部デザイン科写真専攻を卒業後、The Third Gallery Ayaを中心に写真作品の発表を続けてきた。「少女期の『記憶』をヴィジュアル化する」ことを主なテーマとして続けられてきた仕事は、かなりの厚みとふくらみを持ち始めている。近年は、スイス、スウェーデンなどでのレジデンス体験を元にしたシリーズに、制作の比重が移行し始めているようだ。今回同ギャラリーで7年ぶりに開催された「Merge Imago」展も、2017年12月のスウェーデン滞在中に撮影した写真群で構成されていた。

垣本が当地で特に心惹かれたのは「汽水域」の眺めだったという。真水と海水が混じり合うその場所のたたずまいは、人と人との交流、その記憶や意識の重なりとも通じあうものだった。今回の展示では、水域をテーマに撮影した風景だけでなく、森の樹木、羽ばたく鳥、蝶の標本、水晶などのイメージをちりばめることで、「溶けあってゆく」世界の様相を静かに浮かびあがらせようとしている。強化ガラスに大小のプリント(円型に切り抜いたものもある)を貼りつけ、「間」を配慮しながら壁に並べたインスタレーションが、とてもうまくいっていた。写真作家としての成長を充分に感じさせる、見応えのある展覧会となった。

写真家としての経験を積み、独自の手触り感を備えた写真の世界も、しっかりとかたちをとりつつある。ぜひ、これまでの仕事に撮り下ろしを加える形で、写真集をまとめてほしい。

2021/12/16(木)(飯沢耕太郎)

笹岡啓子「The World After」

会期:2021/12/11~2022/01/20

photographers’ gallery/KULA PHOTO GALLERY[東京都]

笹岡啓子は東日本大震災後の2011年4月から、その被災地となった岩手県、宮城県、福島県の太平洋沿岸部を撮影し始めた。それらはphotographers’ gallery での連続個展「Difference 3.11」(2012-2013)で発表されるとともに、2012年3月から刊行され始めた小冊子『Remembrance』(全41冊、KULA)にも収録された。今回のphotographers’ galleryでの個展は、その連作の中から124点を選んで出版した写真集『Remembrance 三陸、福島 2011-2014』(写真公園林、発売=ソリレス書店、2021)の刊行記念展として開催されたものである。

展示作品、及び写真集の収録作品を見て感じるのは、笹岡のアプローチが、震災後に夥しく撮影され、発表された被災地のほかの風景写真とは微妙に異なる位相にあるということだ。倉石信乃が写真集に寄せたテキスト「後の世界に──笹岡啓子の写真と思考」でいみじくも指摘しているように、笹岡は「震災直後の混沌と、2015年から21年までの『見かけ』の『復興』事業による土地の激変」の写真を除外している。つまり「よりシアトリカルでスペクタクルな事物の散乱や、事物の大がかりな再統合の様態はここには録されていない」のだ。結果的に本シリーズは、あくまでも平静な眼差しで撮影されたように見える、どちらかといえばフラットな印象の地誌学的な景観の集積となった。

むろん、個々の撮影時にはかなり大きな感情の振幅があったことは容易に想像がつく。だが、そのブレを極力抑えることによって、笹岡は震災後の「三陸、福島」の眺めを、「3・11」という特異点に収束させるのではなく、より普遍的、歴史的な広がりを持つ風景として再構築しようとした。笹岡が2011年4月に、岩手県大槌町で本シリーズの最初の写真を撮影した時、「写真で見たことがある被爆直後の広島に似ていた」と感じたというのは示唆的である。広島出身の笹岡にとって、「被爆直後の広島」の写真はいわば原風景というべきものであり、以後、彼女はそれを「三陸、福島」の眺めと重ね合わせるように撮影を続けていったということだろう。同時に、それらは写真を見る者一人ひとりにとっての「後の世界」を想起させる説得力を備えている。展示されている写真を見ながら、「どこかで見たことがある」という既視感を抑えることができなかった。

関連レビュー

笹岡啓子「Difference 3.11」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2014年01月15日号)
笹岡啓子「Difference 3.11」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2012年04月15日号)

2021/12/14(火)(飯沢耕太郎)