artscapeレビュー

2014年06月01日号のレビュー/プレビュー

デザインバトンズ──未来のデザインをおもしろくする人たち

会期:2014/04/04~2014/05/11

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

アートディレクター、アーティスト、建築家、音楽家ら、10人のクリエーターたちが、それぞれ「未来を感じるデザインをしているクリエーター」「自分より後に生を受けたクリエーター」を指名し、「バトンを受け渡す」ことをテーマとした企画。展示自体は、バトンを渡すほうと受けとるほうの双方に同じ八つの質問をし、その答えを掲示し(バトンを渡すほうにはもうひとつ、誰に、なぜ、渡すのかという質問がある)、会場に置かれたモニターでは、それぞれのクリエーターたちの作品が写されている。いずれも優れた仕事をしている人たちであることはよくわかる。しかし、バトンを渡す/渡されるというイメージは抽象的で、展示からはよくわからなかった。バトンを渡す側のクリエーターがイメージする未来が、バトンを渡される側の人選に表象されていると考えればよいのだろうか。[新川徳彦]


展示風景

2014/05/09(金)(SYNK)

新開地ミュージックストリート関連企画 実験工房 IN 新開地

会期:2014/05/11

神戸アートビレッジセンター[兵庫県]

1957年に開催された関西初の電子音楽コンサートの再現と、実験工房(1950年代に活動した前衛芸術家グループ)の作曲家たちのピアノコンサート、そしてアフタートークからなるこのイベント。電子音楽コンサートでは檜垣智也がアクースモニウムという装置を用いて、ピエール・シェフェール、武満徹、諸井誠&黛敏郎など8作曲家の9曲を、ピアノコンサートでは河合拓始により、武満徹、湯浅譲二、福島和夫など6作曲家の9曲を演奏した。また、アフタートークは、川崎弘二(電子音楽研究家)、能美亮士(音楽エンジニア)に檜垣、河合の4人で進められた。筆者は、これらの楽曲のうち幾つかはレコードやCDで聞き覚えがあったが、生で聞くのは初めてだった。特に電子音楽はすべてが初体験で、追体験とはいえ非常に貴重な機会だった。しかも、これだけ充実した内容に関わらず、当イベントは入場無料。主催者の英断に心から感謝する。

2014/05/11(日)(小吹隆文)

山村幸則 展「風を待つ」《Thirdhand Clothing 2014 Spring》

会期:2014/05/03~2014/05/25

CAP STUDIO Y3[兵庫県]

2点の映像作品を展覧。「風を待つ」は、作家が幼少の頃に祖父から贈られた鯉のぼりを、自ら旗竿を握って神戸の空に翻らせる模様を記録したもので、《Thirdhand Clothing 2014 Spring》(画像)は、ファッションショーの形式を借りて、衣服の新しい着用法を提案するものだった。筆者が興味を持ったのは後者。衣服のルールを無視したアンサンブルでポーズを決める山村の姿は滑稽だが、これを人間彫刻、あるいはアートを通したファッションの更新と見なせば、新たな批評の対象になる。また、インスタレーションとして並べられた古着は試着や購入が可能で、ファッションのプレゼンテーションとしても可能性を秘めているのではなかろうか。

2014/05/11(日)(小吹隆文)

10周年記念企画展──西方の藍染

会期:2014/05/03~2014/06/30

ちいさな藍美術館[京都府]

ヨーロッパの藍染、40点余りからなる展覧会。いずれも19世紀から20世紀のあいだに、フランス、ドイツ、ハンガリー、チェコ、オランダ、スペイン、ノルウェイなど、ヨーロッパでつくられたものである。衣裳やインテリアファブリックといった庶民の日常を彩った藍染が中心で、骨董的価値はさほど高くないかも知れないが、だからこそ日本で目にすることは少なく、これだけの逸品が一堂に会するのはまたとない機会である。
会場は、ちいさな藍美術館。藍染作家である館長の新道弘之氏が、藍染に使う良い灰を求めて家族とともに京都府美山町(重要伝統的建造物群保存地区)に移り住んだのは34年前である。茅葺き民家の住居兼アトリエの2階に、氏が染色技法の探求のために長年収集してきた藍染コレクションの展示スペースとして美術館が創立されて10年になる。今回の企画展では、そのなかからとくにヨーロッパの品々が選出された。
藍染といえば、一般に、日本の伝統的な染色という印象がある。明治期に日本を訪れた英国人が藍を「ジャパン・ブルー」と呼んだことからも、当時、日本人の生活のなかで藍染がふんだんに使われていたのは確かであろう。しかし同じころ、藍染はヨーロッパでも「ブルー・プリント」として広く親しまれていたのである。19世紀から20世紀は、中世からヨーロッパ全土で栽培されていたウォード(細葉大青)、16世紀からヨーロッパに流入し始めたインド藍、そして1897年に発明された化学藍といったさまざまな染料による藍染が混在した時期であり、藍染のあらゆる可能性が試された時期である。今回の展示では、日本のものとはひと味違ったヨーロッパの藍染の豊かさと力強さを堪能し、人々を魅了してやまない藍の歴史の一面をあらためて知らされた。
まぶしいばかりの新緑が萌える美山、藍色がひときわ映える。会場では、見るだけでなく、手にとって布の感触を味わい、さらに新道夫妻作の藍染グッズを購入し持ち帰って楽しむこともできる。[平光睦子]


ちいさな藍美術館、外観



館長の新道氏



展示風景

2014/05/11(日)(SYNK)

快快『へんしん(仮)』

会期:2014/05/09~2014/05/19

こまばアゴラ劇場[東京都]

篠田千明が在籍していた時期よりはそのトーンが抑えられているとはいえ、快快とは「つながり」の演劇を志向する劇団である。確かに、今作でも、上演前にお菓子が振る舞われたり、とくにぼくの見たのが子どもの観客を歓迎する回だったこともあって、子どもが舞台上の役者に話しかけたり、ものを放り投げたり投げ返したりするなど、客席と舞台とがインタラクティヴな関係を保っていたのは事実。けれども、舞台で展開されるお話は、そうした打ち解けた空気とはちょっと異質な、絶望や諦念がベースに漂うものだった。冒頭、女(大道寺梨乃)が語るのは、いまの自分に合った新しい洋服を買いたいとの思い、そしてそれが叶った直後に車に轢かれてしまったという話。次に男(山崎皓司)は、自分は同時にあらゆる存在であり得るのだと言い、しかも、床に水たまりをつくるおもらしをすれば、犬の遠吠えをはじめたりもする。タイトルの「へんしん(仮)」が暗示していると思われる、「変身の可能性」を無邪気に信じられないといった雰囲気が、細切れで連なったエピソードのなかから伝わってくる。何者にもなれるのが役者というものである。でも同時に役者は何者でもない。そんなメタ演劇的なメッセージも読みとれそうだ。ヴォードビルショーのような空間で、役者たちは踊ったり、コミカルなシーンをこしらえる。山崎が迫真の演技でゴリラになれば、観客は盛り上がる。自分たちが狙ったはずの変身の効果に、自分たちが戸惑ってしまう、そんなニュアンスが感じられると、どこまでも虚しさが消えない。変身は「死」を通過する。死を通過した再生。『りんご』という作品で取り上げられた「死」のテーマが、本作にも影を落としているように思われた。舞踏はこの死を通過する変身を扱ってきた。快快が死を通してつながる可能性を模索することもあるのだろうか。少なくとも彼らがいま触れているのは、そうした人間の暗黒部分ではないのか。

2014/05/11(日)(木村覚)

2014年06月01日号の
artscapeレビュー