artscapeレビュー

2018年01月15日号のレビュー/プレビュー

奥山由之「As the Call, So the Echo」

会期:2017/11/18~2017/12/24

Gallery 916[東京都]

奥山由之の新しい写真集『As the Call, So the Echo』(赤々舎)は、これまで彼の写真を見てきた読者にとって、やや意外な印象を与えるものになった。奥山といえば、目に飛び込んでくる現実世界の断片を、軽やかに掬い取り、撒き散らしていくような作風が特徴的なのだが、今回の写真集には東京から長野県に移住した友人、「哲朗さん」とその家族の日常を撮影した写真が大きくフィーチャーされている。被写体としっかりと向き合ってシャッターを切った写真も多く、「私写真」的な雰囲気が色濃い。
ちょうどデビュー写真集となった『BACON ICE CREAM』(PARCO出版、2015)を完成させた頃から、奥山は「急に音が聞こえなく」なり、「目にするもの全てがグレーに見えた」時期があったのだという。自己と現実世界とのズレが極限状態に達したということなのだろうが、そんな引きこもり状態の時期に「哲朗さん」と出会い、彼とその家族(奥さんと幼い息子)を撮影するうちに、再び「前向きな喜び」を感じられるようになった。つまりそれらの写真は、奥山にとって、写真家としての原点回帰としての意味を持っていたということだろう。
とはいえ、写真集として刊行された『As the Call, So the Echo』も、916で開催された同名の個展も、一筋縄ではくくれないつくりになっている。写真はⅰ~ⅳの4部に分かれており、そのうちⅱとⅳは気持ちのよい波動が伝わる家族写真だが、ⅰとⅲにはなんとも不穏な気配の漂う、奇妙な雰囲気の写真が集められているのだ。「彼が作り上げたプールでの出来事」(ⅰ)と「吉祥寺キチムでの小さな舞台」(ⅲ)を撮影した写真群は、ほとんどがブレていて、光と色に暴力的に浸透されており、どうも居心地がよくない。なぜこのような構成にしたのか不思議に思っていたのだが、12月10日に916で開催された奥村とのトーク・イベントに参加して、ようやく納得することができた。つまり、これらの写真群は、奥山が長野の「哲朗さん」の家とその周辺で経験した出来事を、いったんフィルターにかけて濾過して出現させた、いわば彼自身の脳内環境の写しとでもいうべきイメージだったのだ。
あらゆる出来事が、外在的な現実(意識)と内在する幻影(無意識)とに分化して、しかも表裏一体となってあらわれてくるという考え方はとても興味深い。その2つの世界をつなぐ役目を果たしているのが、「水」のイメージなのだという。916での写真のインスタレーションも、そのⅰ~ⅳの構成プランに対応して、細部まできっちりと組み上げられていた。写真家としての奥山の本領がようやく発揮できるようになってきたのではないかと思う。加速度的に成長しつつある彼の次の展開が楽しみだ。

2017/12/10(飯沢耕太郎)

京都鉄道博物館

京都鉄道博物館[京都府]

日曜に京都鉄道博物館を訪れたら、従来の鉄道ファンに加え、やはり家族連れが多く、とても賑わっていた。大空間の吹抜けに数多くの懐かしい実物の車両を並べたり(食堂車で弁当を食べることも可能だった!)、大きな鉄道ジオラマがあるなど、一見、名古屋のリニア・鉄道館と似ているが、決定的に違うのは建築や場所性だろう。リニア・鉄道館が名古屋の海沿い(レゴランドの隣である)という鉄道と関係ない立地であるのに対し、京都鉄道博物館は屋上から隣接して走る東海道新幹線がよく見えたり、営業線と連結しているだけでなく(屋外で往復1kmを走るSLスチーム号に体験乗車できる)、それ自体が歴史的な価値をもつ旧二条駅舎や扇形車庫が展示に組み込まれているからだ。ゆえに、建築ファンとしてもかなり楽しめる。また企画展でも駅舎の展示が多く、鉄道の開通に合わせて建設されたホテルや昔の標準駅舎プランなどが紹介されている。

旧二条駅は博物館のルートから言うと出口にあたり、ミュージアムショップが設置されている。館の入口があまりに素っ気ないだけにこれが出口というのは少々もったいない気もするが、最初にこれが出迎えると、あまりにレトロ過ぎるのだろう。ともあれ、1904年に建設された木造駅舎であり、瓦屋根を載せた和風のデザインが目立つ。一方で、鉄筋コンクリート造の扇形車庫はいわゆる有名な建築家が手がけたものではないが、求められる機能をストレートに造形化しており、文句なしにカッコよい。現在は耐震補強のために斜めのブレスが加えられているが、まぎれもなく、モダニズムのデザインである。中央に蒸気機関車を回転させる転車台を据え、それを扇形の車庫や検修車が取り囲む。それぞれの車庫には、大きな開口やトップライトのほか、おそらく蒸気を屋外にはき出させるための煙突が屋根から突き出す。扇形車庫に蒸気機関車がずらりと並ぶ姿は壮観である。


旧二条駅舎

扇形車庫

2017/12/10(日)(五十嵐太郎)

長島有里枝/ミヨ・スティーヴンス-ガンダーラ「Forever is Composed of Nows」

会期:2017/11/21~2017/12/22

MAHO KUBOTA GALLERY[東京都]

東京・神宮前のMAHO KUBOTA GALLERYで、長島有里枝が友人でもあるアメリカ人のアーティスト、ミヨ・スティーヴンス-ガンダーラと2人展を開催した。9月~11月に東京都写真美術館で開催された「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」は、これまでの仕事をまとめて振り返る大規模展だったが、こちらの小品展もなかなか見ごたえがあった。
スティーヴンス-ガンダーラは、高解像度スキャナーを使って植物、羽根、蜂の死骸を写しとったシリーズ、喪章をモチーフに「地球上から失われたもの、失われつつあるもの」を刺繍した作品を出品し、長島は東日本大震災後にアメリカの乾燥地帯で撮影した棘のある植物群のシリーズと、スケートボードに感光乳剤で写真をプリントした作品を出品している。2人ともある種の喪失感、環境の変化に対する鋭敏で繊細な感受性をくっきりと表現していて、高度に完成されたインスタレーションとして成立していた。
特に旧作ではあるが、長島のスケートボード作品が興味深い。1997年に神戸ファッション美術館ほかで開催された「SHASHIN」展に出品された作品(ほかに篠山紀信、荒木経惟、森村泰昌、田原桂一、植田正治が参加)だが、当時の彼女が、すでに写真表現の枠組みを現代美術の領域にまで拡大しようとしていたことがよくわかる。それはそのまま、彼女の現在の作品のスタイルに繋がるものといえる。

2017/12/13(飯沢耕太郎)

細倉真弓「Jubilee」

会期:2017/12/02~2018/01/28

G/P GALLERY[東京都]

細倉真弓の「Jubilee」展には、さまざまな出自、広がりと方向性を持つ作品が共存していた。その中心になるのは、アートビートパブリッシャーズから刊行された同名の写真集に収められた写真群である。日本、台湾、香港など東アジア各地で撮影された写真を集めたこのシリーズでは、ヌード、植物、都市風景の断片などが混じり合い、カラーフィルターによる色味の改変などの操作を加えることで、活気あふれる迷宮的なイメージ空間が織り上げられている。とりわけ、男とも女ともつかない中性的な若者たちの裸体のイメージには、細倉のジェンダーや人/動物、生物/無生物などの「境界を曖昧にする新しい肌」を、写真を通じて探ろうとする彼女の志向性がくっきりとあらわれていた。
だが、今回の展示にはそれだけでなく、中国・厦門のクラブで撮影した若者たちの映像作品、ネオンサインなどが散りばめられ、より錯綜した造りになっている。細倉は2015年からライターの磯部涼と組んで雑誌『サイゾー』で連載し始めた「ルポ川崎」の取材で、在日外国人コミュニティなど多次元的な環境で生きる若者たちの群像も撮影しており、そちらも同時期に写真集『写真集 川崎』(サイゾー)にまとめられた。つまり、ここ数年、関心の幅と行動範囲が大きく広がりつつあるわけで、それらがいままさに意欲的な作品群として形を取りつつあるということなのだろう。たしかに混乱の極みとしかいいようのない、落ち着きの悪い会場構成だったが、これはこれでいいのではないかと思う。この「もがき」の時期を乗り越えることで、ひと回り大きな作品世界が見えてくるはずだ。

2017/12/13(飯沢耕太郎)

IN PRINT, OUT OF PRINT 表現としての写真集

会期:2017/12/09~2017/12/24

入江泰吉記念奈良市写真美術館[奈良県]

入江泰吉記念奈良市写真美術館でユニークな展覧会が開催された。2015年9月から活動を開始したCASE Publishingは、まだ新しい出版社だが、このところクオリティの高い写真集を次々に刊行して、内外の注目を集めつつある。今回の企画は、荒木経惟『愛の劇場』、石内都『Belongings 遺されたもの』、トーマス・ルフ『Thomas Ruff』、鈴木理策『Water Mirror』、花代/沢渡朔『点子』、中平卓馬『氾濫』、村越としや『沈黙の中身はすべて言葉だった』など、CASE Publishingがこれまで刊行してきた、また現在出版準備中の写真集19タイトルを、多面的に展示・紹介するものだった。
会場には、運送用の木製パレットを使って組み上げた什器に、各写真集や束見本、紙見本などが手際よく配置されているほか、壁にはオリジナル・プリントや印刷用の刷版、校正刷などが並んでいた。普通われわれが目にする写真集は、完成して、最終的に書店に並んでいるものだが、それが実際につくられていくプロセスを見せることは、とても意義深い試みなのではないかと思う。写真家だけでなく、編集者やグラフィック・デザイナーやプリンティング・ディレクターも加わった共同作業によって、「表現としての写真集」が成立していることがよくわかるからだ。
ここ数年、CASE Publishingだけでなく、Match and Company(bookshop M)、POST、roshin books、スーパーラボなど、「独立系」の小出版社による少部数、高品質の意欲的な写真集出版の取り組みが目立ってきている。これは世界的な現象と言えるのだが、写真集制作の輝かしい伝統を持つ日本の出版社は、まさにその最先端を切り拓きつつあるのではないだろうか。一カ所での展示だけではもったいないので、ほかの出版社の写真集も一堂に会した同種の展覧会の企画も考えられそうだ。

2017/12/14(飯沢耕太郎)

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2018年01月15日号の
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