2019年10月15日号
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artscapeレビュー

2018年01月15日号のレビュー/プレビュー

Place M 30周年記念写真展

会期:2017/12/18~2017/12/28

Place M[東京都]

1987年に瀬戸正人がPlace Mを東京・四谷にオープンしてから30年になるという。オープン当初から展示を見ているので、なんとも感慨深いものがある。Place Mのような、写真家たちがスペースを確保して展示活動を続ける自主運営ギャラリーを長く続けるのが、いかに大変なことかをよく知っているからだ。メンバーのモチベーションを維持して、クオリティの高い展示を続けていくために、特に中心的なメンバーにかかる負担はただ事ではない。その意味で、四谷から新宿への移転を経て、30年に渡って運営を担ってきた瀬戸正人に敬意を表したい。
今回は「30周年記念写真展」ということで、つねにPlace Mの顧問的な役割を果たしてきた森山大道をはじめとして、須田一政、沢渡朔、深瀬昌久、ロバート・フランク、ユージン・スミス、ジャン・ルイ・トルナート、張照堂ら、「当ギャラリーがコレクションしてきたオリジナルプリント」が展示されていた。それに加えて、浜浦しゅう、西岡広聡、小松透、佐藤充、奈良茉美など「当ギャラリーで展示した若手新人作家」の作品も並ぶ。ギャラリーを主宰する瀬戸正人の作品が数多く展示されているのはいうまでもない。
Place Mの特徴のひとつは、ギャラリーの運営だけでなく、年2回受講生を募集する写真ワークショップの「夜の写真学校」、レンタル暗室のTokyo Darkroomなどの活動なども積極的に展開していることである。写真制作を軸にした、有名無名の写真家たちの出会いの場としても機能しているわけで、それがエネルギーを枯渇させずにギャラリーが続いてきた要因ともいえる。展示にも、個々の生のリアリティに固執する彼らの志向性がよくあらわれていて見応えがあった。

2017/12/24(飯沢耕太郎)

Qenji Yoshida×Wantanee Siripattananuntakul「インターセクション กับดักนักท่องเที่ยว」

会期:2017/12/10~2017/12/30

Gallery wks.[大阪府]

「言語」「翻訳」「対話」をテーマに制作するQenji Yoshida。例えば、母語の異なる2名が通訳を介さずにそれぞれの母語で対話し、ジェスチャーの助けも借りつつ、パラレルな2つの発話が意思の疎通と誤解の間を漂い続ける状況を記録した映像作品では、「異言語間のコミュニケーションにおける共有不可能性と新たなコミュニケーションの萌芽」をユーモアとともに提示している。

本個展では、タイ人作家、Wantanee Siripattananuntakul(ワンタニー・シリパッタナーナンタクーン)と協働したパフォーマンスの記録映像を展示。2面の映像には、それぞれが拠点とする大阪/バンコクの街を、英語で相手に案内しながら歩き続ける様子が映し出される。近年、海外観光客が急増する道頓堀周辺の繁華街と、対照的にシャッターを閉ざした店舗や「福祉住宅案内所」の看板が目につく寂れた地区。高層ビルやビジネスセンターが立ち並ぶバンコクのエリアは、均質化したグローバリゼーションの様相だが、カラフルな色に溢れ、二人乗りのバイクが行き交う街路は、エキゾチックな魅力に満ちたものとして映る。

一見すると、コミュニケーションの素朴な称揚に見えるが、「英語」という非母語の使用をそれぞれに課し、一カ所に留まらない通過者として振る舞うことで、自身が身を置く場所との密着が次第に遊離していく。それは、不自由なコミュニケーションの中にある、ある種の不安定な自由さの萌芽だ。また、本展にはいくつもの「空白」や「欠落」が構造的に組み込まれている。映像には字幕が無く、それぞれの画面から流れる2つの音声は(意図的に)混在して響くため、互いを打ち消すように働いてクリアに聞き取れず、会話内容は断片的にしか把握できない(加えて、シリパッタナーナンタクーンが話す英語は、タイ語の訛りが強く、ほとんど聞き取れない)。左右の映像と音声の間で戸惑ううちに、どちらにも属さない「第3の場所」に身を置いているような感覚に陥ってくる。

また、本展は、大阪での開催と同期間かつ同時間に、シリパッタナーナンタクーンによるもう一つの展覧会としてバンコクで開催されている(タイ語の表記は、バンコクでの展覧会タイトルを指す)。だが、大阪でこの展示を見ている私たちは、バンコクでの同時開催展を見ることはできず、シリパッタナーナンタクーンが別の視点から作品化しているであろう、このパフォーマンスについて知ることはできない。同時に2つの異なる場所に存在できないという物理的/身体的な制約と、それ故の複眼的な想像力の重要性を改めて提示する展示だった。


会場風景

2017/12/24(日)(高嶋慈)

小杉武久 音楽のピクニック

会期:2017/12/09~2018/02/12

芦屋市立美術博物館[兵庫県]

音楽家、小杉武久の約60年にわたる活動を、300点以上のアーカイブ資料とオーディオ・ビジュアル作品の展示で紹介する回顧展。後者はエントランスの吹き抜け空間やそれを取り囲む回廊、通路に展示されており、微妙な空気の揺らぎや光の変化、観客の動きなどの外的要因を取り込みながら、場所に寄生するように存在している。例えば、《Mano-dharma, electronic》では、波の映像を背景に、可聴域を超える電波を発する発信機と、高周波を発信するラジオの受信機が吊るされている。傍らに置かれた扇風機や観客の動きによって微妙に気流が変化すると、2つの周波数の波が出会うことで、耳に聴こえる第三の音波が不確定的に生み出され、「キーン…」といった微かな音が響く。また、ソーラー・パネルを電源とし、電子音を発する多数のオブジェが机上に載せられた《Light music Ⅱ》では、観客が近づくと光が遮られるため、立ち位置によって聴こえ方が刻々と変化する。それらは電気を供給源とした電子音でありながら、森のざわめきの中に身を浸しているような有機的な響きに満ちている。

だが、本展で圧倒的なのは、1950年代から現在までの記録写真、チラシ、ポスター、プログラム、楽譜、雑誌などのアーカイブ資料の膨大な物量と情報量だろう。これらのドキュメントは時系列順に「グループ・音楽から反音楽へ(1957~1965年)」「フルクサスからインターメディアへ(1965~1969年)」「タージ・マハル旅行団(1969~1977年)」「マース・カニングハム舞踊団(1977年~)」の4章で構成されている。ただし、記録映像や音源は一切ない(もちろんここには、即興性やリアルタイムの体験性を重視する小杉作品への配慮や敬意がある)。写真と文字情報を追う中で浮かび上がってくるのは、音楽/美術/舞踊といったジャンルを越境した交友関係の広がりである。現代音楽やフルクサスのアーティストに加え、「ハイレッド・センター」や「ネオ・ダダ」のメンバー、映像作家の飯村隆彦、舞踏家らとのコラボレーション、渡米後のナムジュン・パイクとの交友、さらにポスターのデザインに目を向ければ粟津潔や杉浦康平といった名前も登場する。記録映像や音源をあえて「封印」し、紙媒体の資料を徹底して淡々と並べていくことで、小杉武久という観測点の周囲に形成されるジャンル越境的なネットワークと時代状況が浮かび上がってくる。

ところで本展の最後には、看過できないある操作が仕掛けられている。徹底して「資料」、それも(期待される)記録映像や音源ではなく、紙資料にこだわる本展示の締めくくりには、「この『小杉武久 音楽のピクニック』展のポスター」も展示され、自身をメタ的に内部に取り込んでいるのだ。大量に複製・頒布され、「広報・周知」の機能を持つフラジャイルなものが資料的価値へと転じること。その速度を限りなく圧縮してゼロに近づけることで、広報物や印刷媒体を資料的価値へと転換させて歴史化する「ミュージアム」という機能(価値転換と歴史記述の装置)、さらには「アーカイブ」への貪欲な欲望を自己言及的に浮かび上がらせていたと言える。

2017/12/24(日)(高嶋慈)

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鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」

会期:2017/11/10~2018/01/21

アートエリアB1[大阪府]

京阪電車「なにわ橋駅」のコンコース内に位置するアートエリアB1では、毎年、「鉄道」をテーマとした芸術祭を開催している。第7回目の今回は、メインアーティストとして、文字、紙、本を素材やテーマに制作するアーティストでグラフィックデザイナーの立花文穂を迎え、立花が編集する雑誌『球体7号』を展覧会という形式で表現した。参加メンバーは、美術作家だけでなく、グラフィックデザイナー、イラストレーター、音楽家、料理家、文筆作家など多彩な顔ぶれが集った。

会場に入ると、ゆるく心地よい音楽が流れ、外も中もイラストで覆われた仮設のキオスクが出迎え、立花らがポルトガルを旅した映像が流れ、ポルトガル料理のレシピや食品サンプルが置かれ、旅情を誘う導入となっている。一見、ゆるく自由で散漫な印象すら与える本展だが、構造的なポイントは2点抽出できる。1点目は、鉄道網、すなわち都市の表皮や体内に縦横に張り巡らされた線路、その自己増殖的な「線」の運動だ。路線や原稿用紙、間取りなど規格化された線を切り貼りしたコラージュ作品、モーターや昆虫を用いた「自動描画機」、レコードの溝の接写、極細の糸で編まれた内臓的なチューブのインスタレーションなどがこの領域を形成する。また、contact Gonzoは、そりに身を横たえ、掘った溝の中を滑走するパフォーマンスの記録映像を出品。線路という決められたルートを、「電車の車体」という外殻をまとわず生身の肉体をむき出しにして突っ走ることで、自らの身を危険に晒すリスクと引き換えに抵抗を示す。

また、もう一つのポイントが、「紙」「印刷」「原稿」である。いわばこの展覧会場全体が書籍や雑誌の立体化・空間化であるが、個々の作品同士は固定された順序を持たず、縦横に伸び広がる地下茎のように、複数の結節点でゆるやかに絡まり合っている。「編集作業」としてのキュレーションを、書籍や雑誌が持つリニアな秩序を解きほぐしながら、鮮やかに示していた。


会場風景

2017/12/24(日)(高嶋慈)

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《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》

[神奈川県]

クルーズで「飛鳥II」に乗船した。おかげでfoaが設計した《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》を初めて出航と入港する側から見ることができた。頭ではわかっていたつもりだったが、本当にこれは船から見ると、さらにカッコよい。海に向かって突き出す波打つような屋上のヴォリュームのほか、客船と平行する水平のラインや層構成などがはっきりとわかる。もちろん、この建築の内部や屋上を歩くだけでも刺激的な空間を味わえるが、やはり移動しつつ海から眺めることもしないと、このデザインの醍醐味を本当に体験したことにならない。となると、世界各地を移動する超大型客船の場合、橋をくぐることができないため、ここに着岸できないのはもったいない。

同様に海から見る横浜の風景も素晴らしい。みなとみらいの高層建築や赤煉瓦の倉庫はもちろん、横浜のランドマークとして親しまれているキング、クィーン、ジャックという3つの近代建築が同時に視野に入るからだ。おそらく昔はもっと目立ったはずだ。しかも晴れていると、ビルのあいだに富士山がでっかく見える。このアングルは写真で知っていたが、本当に見たのは初めてだった。また地図上で理解していた象の鼻の形も、船から見下ろすと肉眼で確認できる。飛鳥IIはさまざまな高さから周囲を観覧できる船尾のデッキをもち、眺望を得るためのデザインがすぐれている。そして朝夕の食事もいい。

ただし、飛鳥IIの空間や内装は、ロイヤル・カリビアンのクルーズ船に比べると、意外に豪華でなかった。かといって、シックでもない。超大型(乗客3~4千人+乗組員千人以上)というスケールメリットのなせる技だろうが、なるほど、ロイヤル・カリビアンの安い価格設定はよくできている。船内で幾つかの音楽をはしごしたが、水野彰子+石井希衣が面白かった。通常、ラウンジの音楽は当たり障りのない有名な曲だけで終わるが、それも一応最初に入れつつ、途中で激しいガチのピアノ・ソロ(ショパンの「革命」とか)、最後にフルートのための超絶技巧系の現代音楽を演奏し、なかなか攻めた選曲だった。

2017/12/24(日)(五十嵐太郎)

2018年01月15日号の
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