2022年12月01日号
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artscapeレビュー

2018年09月15日号のレビュー/プレビュー

たけうちかずとし「妄想植物園」

会期:2018/08/10~2018/08/23

ソニーイメージングギャラリー銀座[東京都]

たけうちかずとしの写真作品を初めて見たのは、2016年の第5回田淵行男賞の審査の時だった。その時に特別賞(フォトコン賞)を受賞した「五分の魂」は、さまざまな昆虫をオブジェに見立てて構成した作品である。今回の野菜や果物や野草をモチーフにした「妄想植物園」はその続編というべき仕事だが、彼のユニークな発想と高度な技術力はそのまま活かされていた。例えば「ナルシスト」の水仙はブランコに揺られ、西瓜は「遠い星からやって来た宇宙船」に仕立てられている。赤い実のミズヒキを「水引」に見立てるというしゃれた発想の作品もある。30点の作品のそれぞれが詩的な小宇宙として見事に自立しており、しかもそれらが相互に結びついて気持ちのいいハーモニーを奏でていた。今回はタイトルやキャプションは最小限に抑えられていたが、作品の一つひとつに散文詩のような言葉が付いていても面白いかもしれない。

たけうちの写真のスタイルは、日本ではどちらかといえば異端と見られがちだ。だが、ヨーロッパなどではもっと高い評価を受けそうな気がする。ギャラリーが銀座4丁目という絶好の場所にあるので、観客の多くが外国人観光客なのだが、特にイタリア人から熱烈な反応が返ってきたと聞いた。たけうちは、今後も「自然物をアート化」した作品をライフワークとして発表していく予定で、昆虫、植物の次は動物を考えているという。これまでより、大きさや動きという点でハードルの高いテーマだが、もしそれが実現すればさらにスケールの大きな作品になっていくのではないだろうか。

2018/08/22(水)(飯沢耕太郎)

明治150年記念 真明解・明治美術/増殖する新メディア──神奈川県立博物館50年の精華──

会期:2018/08/04~2018/09/30

神奈川県立歴史博物館[神奈川県]

国語辞典をもじったタイトルだが、本展が真に明解かどうかはさておき、きわめて示唆に富んだ展覧会であることは確かだ。サブタイトルは「明治150年記念」「増殖する新メディア」、そして「神奈川県立博物館50年の精華」の3本で、これらは本展の内容をよく物語っている。すなわち、維新150年を記念して明治美術を振り返るものであること。展示作品は油絵から写真、印刷、パノラマ館、そして日本画にいたるまで近代的「ニューメディア」であること(日本画は明治以降やまと絵や西洋画を参考にして新たにつくられたものだ)。さらに、ここがいちばんおもしろいのだが、神奈川県立博物館(旧名)のある開港都市・横浜に関連し、美術的興味より博物館的関心を喚起させるものであることだ。

まず、明治美術を振り返る展覧会なのに、“常連”の高橋由一は1点しかないし、横山大観や黒田清輝にいたっては1点も出ていない。その代わり、五姓田芳柳・義松父子をはじめとする五姓田派を中心に、義松の油絵の師であるチャールズ・ワーグマン、田村宗立や本多錦吉郎ら、どちらかというと傍系の画家たちが多い。これはひとつには横浜にゆかりがある画家たちだからであり(由一は油絵を学びに江戸から横浜のワーグマンの元に通った)、もうひとつは未知の油絵なるものと悪戦苦闘した、いわば第一世代の明治美術会系の画家たちが選ばれているからだ。つまり「明治美術」といっても、東京美術学校が開校したり『國華』が創刊したり、さまざまな意味で美術制度が整う以前の明治前半に焦点が当てられているのだ。裏返せば、この時代はまだ江戸と近代が混淆し、日本画と洋画がせめぎあっていた時代。たとえば、初代五姓田芳柳は和装の男女を陰影や立体感をつけてリアルに描いているが、画材は油絵ではなく絹本着彩だったりする。また、田村宗立や本多錦吉郎らが油絵で描く夜景や暗い雪景色は、西洋ではあまり見かけない。これらの作品に感じる違和感は、長い鎖国によって熟成した日本文化に、西洋近代のニューメディアを接続したときの化学反応みたいなものだ。

さらに興味深いのは、これらの絵が、美術館のように距離を置いて整然と並べられているのではなく、陳列ケースのなかにびっしり立て掛けられていたりすること。まるで「美術」以前の博物学の標本のように。その後の宮川香山による超絶技巧の眞葛焼も、戦争を主題にしたパノラマ画も、岩橋教章による印刷地図も、明治天皇の肖像画も、どれも「美術」とそうでないものとの境界線に位置する「つくりもの」ばかり。総点数200点を超える出品物がさほど広くない展示室にところ狭しと並ぶさまは、近世のヴンダーカマー(驚異の部屋)を彷彿とさせないでもない。そこがおもしろい。美術館ではなく博物館だからこそ発想でき、また実現できた展覧会だろう。

2018/08/28(村田真)

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試写『顔たち、ところどころ』

シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開[全国]

世界中の建物や車両に大きな顔のモノクロ写真を貼り付けるストリートアーティスト、JR。その彼が、ヌーヴェルヴァーグの女性監督のひとりアニエス・ヴァルダとともに、荷台を巨大カメラに改造した車でフランスの片田舎を旅しながら、人々の顔を撮って作品を残していく道行きを描いたロードムービー。若くてスラリとしていつも帽子とサングラスを外さないJRと、小さくてずんぐりむっくりで髪の毛を2色に染めたおばあちゃんのアニエスの視覚的対比が、まず目を引く。なんでこの2人が一緒に旅することになったのかとか、最後にアニエスの旧友ゴダールに会いに行ったなんて話はこの際どうでもいい。興味あるのはJRがどこにどうやって写真を貼っていくかだ。

まず、さびれた炭鉱街で坑夫の昔の写真を借りて引き伸ばし、空家の外壁に貼る。ゴーストタウンに近隣住人の顔写真を飾ってパーティーを開く。浜辺に打ち捨てられたトーチカの残骸に、アニエスが昔撮った思い出の写真を残す(翌朝には満潮で流されていた)。積み上げたコンテナの表面に港湾労働者の妻たちの全身写真を貼る……。だいたいいまちょっとさびれていたり元気がなかったりする場所や人ばかりを選んでいる。なのにみんなよく協力してくれるもんだと感心する。ノリがいいというかユルいというか。途中ポリスが「写真を貼るのはいいが、足場を組むのはダメだ」と注意すると、JRは「罰金はアニエスに、ホメ言葉はぼくに」とかわし、ポリスもにこやかに応じる。こうした「ウィット」と「おめこぼし」精神が愉快で痛快なストリートアートを育んでいるのだ。そんなことがわかっただけでもよかった。

2018/08/29(村田真)

深瀬昌久『MASAHISA FUKASE』

発行所:赤々舎

発行日:2018/09/13

2012年に死去した深瀬昌久に対する注目度は、このところ国内外で高まりつつある。その理由の一つは、さまざまな事情で、彼の本格的な回顧展や、初期から晩年までの作品を集成した写真集が実現してこなかったためだろう。断片的にしか作品を見ることができなかったことで、驚くべき執着力で自己と世界との関係のあり方を探求し続けてきたこの写真家が、いったい何者であり、どこへ向かおうとしていたのかという興味が、否応なしに強まってきているのだ。

今回、深瀬昌久アーカイブスのトモ・コスガが編集し、ヨーロッパ写真美術館のディレクター、サイモン・ベーカーが序文を執筆して刊行された『MASAHISA FUKASE』は、まさにその期待に応える出版物といえる。日本語版は赤々舎から出版されるが、Editions Xavier Barralから英語版/仏語版も同時に刊行される。ただしこの写真集が、内容的に大きな問題を孕んでいることは否定できない。1950年代に深瀬が故郷の北海道美深町で撮影した初期作品「北海道」から始まり、「豚を殺せ」、「遊戯-A PLAY-」、「烏」、「家族」、「父の記憶」、「私景」などの代表作を含む写真集の構成は、一見過不足ないものに思える。だが、そこには重要な写真群が抜け落ちている。深瀬が1964年に結婚し、76年に離婚した深瀬洋子を撮影した写真が、すべてカットされているのだ。

いうまでもなく「洋子」の写真群は、深瀬の写真家としての軌跡を辿る上で最も重要な位置にあるもののひとつであり、これまでの展覧会や写真集でも幾度となく取り上げられてきた。にもかかわらず、今回の写真集からそれらが抜け落ちた理由については、おおむね推測がつく。遺作を管理する深瀬昌久アーカイブスの内部事情が絡んでいるのは間違いない。とはいえこのような形で、しかも英語版・仏語版を含む国際出版の写真集が刊行されることは、やはり問題だと思う。むろん、深瀬が作家活動の最後の時期に取り憑かれたように制作していたというドローイング作品など、未発表作が掲載されていること含めて、本書の刊行の意義はとても大きい。だが、いつの日か(できればなるべく早く)、本書のような「不完全版」ではなく、「完全版」の深瀬昌久写真作品集が刊行されることを期待したい。

2018/08/31(金)(飯沢耕太郎)

メディアアートの輪廻転生

会期:2018/07/21~2018/10/28

山口情報芸術センター[YCAM][山口県]

開館15周年を迎えた山口情報芸術センター[YCAM]。アートユニット、エキソニモとの共同企画展として、メディアアートの保存や継承について考える本展が開催された。コンピュータや映像機材などを使用するメディアアート作品は、物理的なハードの故障や、OSのアップデートなど技術環境の変化によって動かせなくなることも多く、保存修復や継続的な展示の難しさが近年の美術館の大きな課題となっている。本展では、YCAMと関わりのある作家100名以上に対し、「作品の死や寿命」と「作品の未来」についてアンケートを投げかけ、寄せられた回答を記したバナーを会場に吊り下げた。また、会場中央には、古墳を思わせる小山型をした「メディアアートの墓」を設置。その暗い内部には、作家自身が「死を迎えた」と考える作品の「亡骸」が、ガラスの棺に収めるように展示ケース内に陳列されている。観客は、オーディオガイドから流れる合成音声による説明を聴きながら、計10個の「作品の亡骸」と向かい合う(オーディオガイドの再生機器は、iPhoneやiPadに加え、ラジカセやポータブル音楽プレーヤーなど新旧のメディアから自由に選ぶことができ、「メディアの変遷自体も鑑賞経験を通して実感できる」というメタな仕掛けになっている)。



会場風景[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]

「メディアアート作品の死や寿命」というと、ハードの故障や動作環境の更新を考えがちだが、そうした技術的要因に偏らず、バラエティに富むのが「出品作品」の大きな特徴だ。物理的・技術的要因に始まり、ネット環境や(情報)プライバシーに対する意識の変化、企業の意向、体験の一回性の重視、そして非物質的なコンセプトに至るまで、さまざまな「死」の要因が提示されている。例えば、ナムジュン・パイクの《ビデオシャンデリア No.1》(1989)に使用されていたモニター3台は、「故障」により取り外されたものだ。これは作品の構成要素の交換可能性の例だが、一方、パイク直筆のサインが施された別のモニターは、「交換可能な工業製品に唯一性のアウラが宿る」という矛盾を体現する。また、ネット黎明期に制作された江渡浩一郎の《WebHopper》(インターネット1996ワールドエキスポジションの日本ゾーンのテーマ館「sensorium」にて発表)は、ユーザーがアクセスするウェブサーバーの位置情報を可視化し、ウェブがまさに全世界的な通信網であることを示すものだ。だが、情報セキュリティに対する意識の変化によって展示不可能になったと判断され、「取り外されたハードディスク」が「亡骸」として展示された。一方、企業の技術的協力に依ることも多いメディアアート作品が企業側の意向により発表できなくなった例として、岩井俊雄の《サウンドファンタジー》(1994)がある。これは、ユーザーが画面上に描いた絵がサウンドに変換されるというスーパーファミコン用の音楽ゲームソフトだが、発売直前に中止となった。ケース内には、この幻のゲームソフトがパッケージやトリセツとともに収められた。また、エキソニモの《ゴット・イズ・デット》(2011)は、同名の語句が展覧会タイトルのように記されたポスターの作品である。実は日付に仕掛けがあり、開幕日が「翌日の日付」になったポスターが、毎日貼り替えられていた。「常に明日から始まる展覧会/永遠に始まらない展覧会」を想像することがこの作品の眼目だが、再展示した場合、「翌日」だった日付は「過去のある日付」を指し示し、「実在しない展覧会への想像」は「過去に実在した展覧会の証左」にすり替わってしまう。「コンセプトそのものの破綻」が本作の「死」の要因だ。

本展のポイントは、作品に「死」の宣告を下す判断を、生み出した作家自身に委ねている点だ。ここには賛否両側面が伴うだろう。作家の自作品に対する考え方が明確になるメリットがある一方で、実際の現場で「死の宣告/延命」の判断を下す主体は、キュレーターやコンサバターなど第三者であることが多いからだ。伝統的な絵画や彫刻は物理的な支持体や素材から成る以上、劣化や破損を免れえないが、美術館はその「生」を仮死状態に凍結させ、可能な限り「延命」を施して永続的な保存を目指してきた。だが、その「可能な限り未来へ引き延ばされた生」の背後に「死」が常に潜むことは、非永続的な素材を使用した現代美術作品やメディアアートによって加速的に示されてきている。

また、本展に対するもうひとつの疑問として、「輪廻転生」というタイトルと実際の展示内容とのズレや齟齬がある。作家自身の声に委ねているからこそ、(飛躍や再解釈、アップデートをも含んだ)「転生」のあり方の可能性を提示してほしかった。「保存修復」は後世の介入を最小限にとどめ、出来る限りオリジナルの状態を保持するという原則に依るが、作家自身が考える「作品のコア」をどう抽出し、どう現在の技術的条件でアップデートさせられるか。実験的な取り組みへのチャレンジを今後期待したい。


[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


展覧会公式サイト:https://rema.ycam.jp/

2018/09/02(日)(高嶋慈)

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