artscapeレビュー

2018年12月15日号のレビュー/プレビュー

『プロヴォーク 復刻版 全三巻』

発行所:二手舎

発行日:2018/11/11

さる6月、世田谷区の古書店・二手舎から受け取った一通のメールに目が止まった。よくある営業メールならばざっと読み流すところだが、そこにはなんと、かの写真雑誌『プロヴォーク』を復刻・販売するという驚くべき内容が含まれていたのだ。いくぶん訝しく思いつつ読み進めてみると、このたび復刻されるのは二手舎にたまたま流れ着いた『プロヴォーク』全3巻(古書)であり、同舎はこの稀覯本をただ市場に流すのでなく、なるべくオリジナルに忠実に再現することを選択したのだという。意気に感じてすぐさまプレオーダーに応じ、つい先頃手元に届いたのがこの3冊揃(+英語訳・中国語訳付)の書物である。

累々説明するまでもなく、『プロヴォーク』とは岡田隆彦、高梨豊、多木浩二、中平卓馬の4名によって1968年に創刊された同人誌である。前述の4名のほか、2、3号には森山大道や吉増剛造も作品を寄せたことで知られている。詩・評論・写真からなるその前衛的な内容もさることながら、同人であった上記メンバー、とりわけ「アレ、ブレ、ボケ」の定型句で知られる中平・森山の写真が世界的な名声を獲得したことにともない、『プロヴォーク』の存在も次第に伝説的なものとなっていった。結果、長らく稀覯本と化していた同誌が、こうして気軽に手に取れるようになったのは慶賀すべきことである。原著に見られた特殊な判型や帯をはじめ、その再現度についても申し分ない(本書の特設サイトには、2001年に国外で刊行されたファクシミリ版との異同についての言及もある)。また本体とは別に、全テクストの英語訳・中国語訳を収めた別冊が添えられているという事実は、同誌を未来の読者に開いていこうとする発行者の熱意を何よりも雄弁に物語っていよう。

本書は2018年11月、すなわち『プロヴォーク』の創刊(1968年11月)からちょうど半世紀後に復刻された。その創刊号を締めくくる多木浩二の文章(「覚え書・1──知の頽廃」)は、当時絶頂の最中にあった全共闘運動をめぐる所感に加え、来たる1970年の大阪万博への批判に多くの紙幅を割いている。その「頽廃」を伝える多木の苦々しい思いは、たとえば次のようなエピソードに端的に表われている──「『要するにお祭ですよ』というのを、私はEXPO’70に参加しているデザイナーたちから何度もきいた。それは、大したことではないのだから、そう角をたてるなという意味でもあり、そこで大へんな金が使えるから、『やりたいこと』を部分的にやればいいのだという意味でもある」(68頁)。

いかにもありそうな話だ。むろん多木が「頽廃」と呼んで批判しているのは、「要するにお祭ですよ」というこの種の「思想の欠落」にほかならない。具体的に多木は、当時の第一線の建築家(丹下健三、大谷幸夫、磯崎新)、デザイナー(杉浦康平、粟津潔、福田繁雄)、さらには映像作家(松本俊夫、勅使河原宏)にいたるまでの「一切が万博へと組織されてしまった」ことを批判している。そのことがもたらす帰結に対して、多木の筆致は次のごとく辛辣だ。「私は建築家やデザイナーはいま、ほとんど永久に復権する機会を喪ったと考える。それはかれらの内部において喪われたのであり、それだけに回復は不能である」(同前)。

奇しくも筆者は、2025年の万博の開催地が大阪に決まったことを告げるニュースを聞きながら、この小文を書いている。多木が目撃した一度目のそれが悲劇なら、私たちはそれを喜劇として目撃することになるのだろうか。いずれにせよ、多木が指弾した「頽廃」はその後ましになるどころか、当時から半世紀を経ていっそう深刻さを増している。そのことを確認できるだけでも、この『プロヴォーク』復刻版が私たちの眼前に現われた意味がある。刊行に尽力された関係諸氏の努力を讃えたい。

参考

アートワード『プロヴォーク』(土屋誠一)

2018/12/11(火)(星野太)

スティーヴン・エリック・ブロナー『フランクフルト学派と批判理論──〈疎外〉と〈物象化〉の現代的地平』

訳者:小田透

発行所:白水社

発行日:2018/11/10

こんにち「Critical Theory」という言葉から、人はいかなる内容を連想するだろうか。それは「批判」理論として、あるいは「批評」理論として受け止められるべきものだろうか。この場合、「critical」という形容詞を「批判的/批評的」と訳し分けてきた近代日本語の伝統が、事態の正確な把握を困難にしている。本当のところを言えば、そもそも「批判/批評」とは互いに異なる二つのものではない。なぜなら「critical」とは、既存のいかなる価値も尺度も前提とせず、その物事をあらしめている土台や根拠を疑ってかかることの謂いだからである。

オックスフォード大学出版会の名シリーズ「Very Short Introductions」の一冊として刊行された本書は、政治学者スティーヴン・エリック・ブロナー(1949-)による批判理論(Critical Theory)の入門書である。ここでいう「批判理論」とは、邦題に明示されているように、第一にはアドルノやホルクハイマーに代表されるフランクフルト学派の理論を指している。現に、狭義の「批判理論」の入門書は、しばしばフランクフルトの社会研究所に集ったドイツの思想家たちの紹介に終始する。反対に、広義における「批判理論」を相手取ろうとする場合、そこでは必然的にフランクフルト学派という限定的なサークルにとどまらず、マルクス、ニーチェ、フロイトらを淵源とするより広範な思想を扱う必要に迫られるだろう。本書はその両者を絶妙なバランスで按配しつつ、フランクフルト学派の名とともに歴史に登記された「批判理論」のポテンシャルを現代に甦らせようとする一書である。

そして以上の特徴はそのまま、本書の内容にも反映されている。本書で著者ブロナーは、フランクフルト学派やその周辺の思想家(ホルクハイマー、フロム、マルクーゼ、ベンヤミン、アドルノ、ハーバーマス……)、および「疎外」や「物象化」といった彼らの諸概念について過不足ない説明を加えるいっぽう、「文化産業」批判をはじめとする彼らの理論に対しては仮借のない批判を加える。たんなる礼賛ではないその批判的再読を通じて、著者は批判理論を──彼らがもっとも痛烈に批判した──啓蒙の問題へと(再)接続する。フランクフルト学派の功罪を明らかにするとともに、そこから現代における新たな展望を示す、見事な手続きである。

なお、本訳書は初版(2011)ではなく、昨年刊行されたばかりの第二版(2017)を底本としている。この第二版で追加された章(第3章「批判理論とモダニズム」)は、文学や芸術におけるモダニズムと批判理論の関係について、簡にして要を得た見取図を提供してくれる。「批判理論をモダニズムのまた別の表出と理解することさえできる」(51頁)という著者の見解に何か感じるところのある読者には、まずこの章の一読を勧めたい。

2018/12/11(火)(星野太)

民具 MINGU展

会期:2018/12/14~2019/01/14

21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3[東京都]

そうか、無印良品は現代の民具なのか。本展のコンセプトはそういうことだった。升と計量カップやスプーン、蝋燭と電灯、地下足袋とスニーカー、半纏とダウンジャケット、羽釜やおひつと炊飯器、手ぬぐいとタオル、柳行李とスーツケース……。このように生活道具の昔といまが一目で比較できるよう、左右に丁寧に並べられ、展示されていた。昔といってもそれが活躍していた時代はまちまちのはずで、大まかに言ってしまえば、戦前まではどの家庭にもあった道具なのだろう。もちろん現代でも活躍していたり、見直されていたりする道具はあるし、いずれも決して見たことのない道具ではなかった。

こうしてあらためて比較してみると、道具の形自体は変化があまりないものが多い。大きく変化したのは電気が使われるようになった点、そして素材である。昔は木や竹、綿といった自然素材か金属しか存在しなかったため、生活道具もそれらによってつくられていた。現代の生活道具に使われる素材は、プラスチックが圧倒的に多い。特に無印良品ではそうだ。プラスチックを使うことで大量生産が可能になり、生産効率が飛躍的に上がり、コストも抑えられ、流通も発達した。しかし悲しいかな、時代が豊かになり、生活道具をはじめとしてものが飽和状態になると、現代人の心の内に自然素材への憧れが湧いてくる。安くて、扱いやすく、クリーンな道具を求めたはずなのに、それだけではどこか物足りなさを感じてしまう。手触りや風合い、経年変化といったものを人は欲するのだ。電化製品の便利さは捨てられないが、電気を使わない道具であれば、ときには自然素材でもいい。本展を観ながら、そんな現代人の矛盾と葛藤がよぎった。昔の生活道具が見直される理由は、こういう点にあるのだろう。しかしさらに時代が進めば、無印良品も「昔の生活道具」として見直される未来が来るかもしれない。昭和・平成の時代はプラスチックをよく使っていたよね、と。そんな未来でも道具の形自体はやっぱり変化があまりないのだろうか。いや、そもそも道具の概念自体が変わっているのだろうか。未来予測は楽しくもあり、怖くもある。

展示風景 21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3[写真提供:良品計画]

公式サイト:http://www.2121designsight.jp/gallery3/mingu/
      https://passport-api.muji.com/muji.mp/api/public/showNewsDetail/?news_id=11158

2018/12/14(杉江あこ)

カタログ&ブックス│2018年12月

展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます





「カタストロフと美術のちから」展覧会カタログ

発行:平凡社
編集:近藤健一、熊倉晴子(森美術館)、高城昭夫、明石康正(パッド株式会社)、押金純士
   湯原公浩、水野良美(平凡社) デザイン:松田行正、杉本聖士(株式会社マツダオフィス)
発行日:2018年11月21日
定価:3,200円(税抜)
サイズ:A4判変型、ソフトカバー、208ページ

近年多発する災害から日常の個人的な悲劇まで、人類を襲う惨事に美術はいかに向き合ってきたか。同名の展覧会図録を兼ねた一冊。

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「扇の国、日本」展覧会カタログ

発行:サントリー美術館
編集:サントリー美術館、山口県立美術館
デザイン:高岡健太郎(日本写真印刷コミュニケーションズ株式会社)
発行日:2018年11月28日
定価:2,315円(税抜)
サイズ:B5判変型、ソフトカバー、304ページ

日本で生まれ発展した「扇」は宗教祭祀や日常生活での用具としてだけでなく、最も身近な美術品でした。屏風や巻物、そして工芸や染織などとも結びついて、多彩な作品を生み出していきます。あらゆるジャンル、流派と交わる扇には、日本人が求めた美のエッセンスが凝縮されているのです。本展では、日本人が愛した「扇」をめぐる美の世界を、幅広い時代と視点からご紹介します。
本図録では、展示作品すべてのカラー写真と解説を掲載しています。

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日本のアール・ブリュット: もうひとつの眼差し

責任編集:サラ・ロンバルディ/エドワード・M・ゴメズ
編集:アール・ブリュット・コレクション
発行:国書刊行会
執筆:服部正
翻訳:藤森愛実
発行日:2018年11月20日
定価:3,500円(税抜)
サイズ:A4判、164ページ

世界のアートシーンから注目を浴びる日本のアール・ブリュット。「創る」ことへの原初的衝動から生まれた、ときに美しく、ときに奇妙で不思議な、24名の日本のアール・ブリュット創作者による独創的な作品を凝縮した充実の画集。創作の背景に秘められたドラマを臨場感たっぷりに伝える作家解説や、日本におけるアール・ブリュットの現状と課題について述べたエッセイも収録。
「アール・ブリュット」を命名した画家ジャン・デュビュッフェの収集作品を収蔵する、スイス・ローザンヌにある「アール・ブリュット・コレクション」で開催される「Art Brut du Japon, un autre regard / Art Brut form Japan, Another Look」展の日本語版公式カタログ。
◎収録作家(掲載順):戸次公明/土井宏之/蛇目/井村ももか/稲田萌子/鎌江一美/小林一緒/桑原敏郎/ミルカ/三浦明菜/モンマ/西村一成/西岡弘治/野本竜士/岡元俊雄/大倉史子/柴田鋭一/ストレンジナイト/杉浦 篤/竹中克佳/田村拓也/植野康幸/山﨑菜那/横山明子

抽象の力 近代芸術の解析

著者:岡﨑乾二郎
発行:亜紀書房
発行日:2018年11月22日
定価:3,800円(税抜)
サイズ:A5判、ハードカバー、440ページ

近代芸術はいかに展開したか。20世紀美術を動かした、真の芸術家たちは誰か。戦後美術史の不分明を晴らし、その力を発揮するはずの抽象芸術の可能性を明らかにする。雑誌掲載記事などに書き下ろしを加えて書籍化。

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2017年06月01日号キュレーターズノート|能勢陽子(豊田市美術館):岡﨑乾二郎の認識 抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜





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2018/12/15(artscape編集部)

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