artscapeレビュー

2020年04月01日号のレビュー/プレビュー

コレクション展 越境者たち—BEYOND THE BORDERS

会期:2020/02/15~2020/03/22

目黒区美術館[東京都]

美術館のコレクション展だが、「越境者たち-BEYOND THE BORDERS」というテーマの下、日本画と西洋画の境を超えた画家たちの作品を特集している。出品は、屏風や絹本、扇面などに油彩で日本の風物をリアルに描いた川村清雄から、戦後日本画に前衛表現を採り入れたパンリアルの画家たち、そして現代美術から日本画に接近した諏訪直樹まで、40点余り(それとは別に「山下新太郎のファミリーポートレート」も同時開催)。

川村清雄にも興味はあったが、2日前に三重県の「諏訪直樹展」に行ってきたので、そこに出ていなかった《無限連鎖する絵画》を見たくなって訪れたのだ。この作品は1988年から亡くなる1990年まで描き継がれた計50点におよぶ大連作。1年ごとに「Part1」から「Part3」に分かれ、目黒区が所蔵しているのは「Part2」の17点だ。いま50点とか17点と言ったが、物理的に画面が分かれているだけで絵柄はすべてつながっているので、全体で1枚の絵とも言える。原則的に終わりはないが、作者が死ねば「未完のまま完結」するという矛盾した存在なのだ。形式的には、時間軸に沿って横に(左右は逆だが)展開していく点で絵巻に似ているし、物理的には屏風絵や襖絵に近い。いずれにせよ前代未聞の絵画であることに間違いない。

「Part2」は1989年に描かれた部分で、画面にはまず鋭角の三角形や菱形が現われ、その内外に金や緑青、群青などの絵具が荒々しいタッチで塗布されている。やがて扇形、菱形格子が現われ、色彩や形態が重なって複雑なパターンを形成していく。絵具の撥ねや滴りは絶妙で、作者は自らのタッチに酔っているようにさえ思える。諏訪はこれを描くとき、どの程度先まで構想していたのだろう。あまり先まで決めていたら連鎖させる意味がないし、かといって1点1点場当たり的に描いていたとも思えない。日々の移ろいや季節による変化も反映されているのだろうか。フォーマットを決め、死ぬまで続けるという点では、河原温の「Today」シリーズに近いかもしれない。

2020/02/26(水)(村田真)

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野村浩展 Merandi

会期:2020/02/22~2020/04/04

POETIC SCAPE[東京都]

野村浩は写真を中心に、さまざまなメディアを横断的に取り込みながら創作活動を続けているアーティストである。2019年に第31回写真の会賞を受賞するなど、このところその活動ぶりに弾みがついている。今回、東京・目黒のPOETIC SCAPEで展示された「Merandi」シリーズも、いかにも彼らしいひねりが効いた作品だった。

野村は2007年に『EYES』(赤々舎)と題する写真集を刊行している。丸くてちょっと猫っぽい「目玉」が、いろいろな日常的な場面で、オブジェに貼り付いて出現してくる様を撮影したものだ。「Merandi」もその延長線上にあるシリーズで、今回「目玉」たちは、なんとイタリアの静物画の巨匠ジョルジョ・モランディの絵の中に嵌め込まれている。といっても、もちろんフェイクで、モランディっぽい色彩とタッチで描かれた小さな油彩画(野村自身の筆によるもの)の中から、こちらを見つめているのだ。「目玉」がそこにあるだけで、どこか落ち着かない気分になるのだが、その心理的効果は計算済みで、「Morandi」と「Merandi」の語呂合わせもうまくはまっていた。ほかに、銅版画や写真による試作もあり、野村の本気度がうかがえるいい展示だった。野村の個展は、毎回楽しみに見に行くのだが、期待が裏切られることはほとんどない。作家としての自信に裏打ちされた実力が備わってきているのではないだろうか。

なお、展覧会カタログ風に編集されたミニ画集『Merandi』(私家版)も同時に刊行されている。土屋誠一の解説付きの、なかなかしっかりとした造りの作品集である。

関連レビュー

野村浩「もう一人の娘には、手と足の仕草に特徴がある。」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年11月15日号)

野村浩「Doppelopment」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年04月15日号)

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野村浩「ヱキスドラ ララララ・・・」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年07月15日号)

2020/02/27(木)(飯沢耕太郎)

白髪一雄

会期:2020/01/11~2020/03/22(02/29〜03/22は臨時休館)

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

戦後日本の前衛美術の流れにおいて、大きな役割を果たした具体美術協会の中心メンバーだった白髪一雄の回顧展は、圧倒的な迫力と存在感を備えた代表作がずらりと並んでいて見応えがあった。古賀春江を思わせる幻想画から、次第に抽象性を強め、画面に全身で没入する「フット・ペインティング」に至る道筋も興味深かったのだが、ここでは別な角度から白髪の仕事を捉え直してみたい。

展示の最後に、《緑のフォトアルバム》、《青いフォトアルバム》、《赤いフォトスクラップブック》と題された写真帖3冊が出品されていた。ガラスケースの中なので、ひとつの見開きのページしか見ることができないのだが、そこに貼られていたポートレートやパフォーマンスの記録写真の質はかなり高い。また、年表の1956年の項に《レンズ》という作品が紹介されている。板を削った窪みの底にレンズを嵌め込んだ作品だが、その解説に白髪は「無類のカメラ好き、カメラマニア」だったと記されていた。白髪が具体美術協会第1回東京展(1955)に参加したときのパフォーマンス《泥に挑む》の記録写真にも、写真作品としての表現性の高さを感じる。それらを考え合わせると、白髪の仕事を写真という切り口で再検証することも可能なのではないだろうか。

具体美術協会のメンバーたちは、白髪の「フット・ペインティング」のように、完成作だけでなく、そのプロセスを重視する作品を多数残している。有名な村上三郎の《紙破り》のパフォーマンスもその一例だろう。パフォーマンス作品においては、写真あるいは映像による記録だけが、唯一の存在証明となることが多い。写真と前衛美術との関係に、新たな角度から光を当てる展覧会も考えられそうだ。

2020/02/28(金)(飯沢耕太郎)

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生誕140年記念 背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和

会期:2020/02/21~2020/04/12

練馬区立美術館[東京都]

日本の美術史上、洋画も日本画も手がける画家はしばしばいるし、絵を描きながら図案で稼ぐ画家も少なくないが、図案から始めて日本画を学び、洋画に転向してフランスに留学、後半生は文人画に没頭した画家は珍しいと思う。明治・大正・昭和を生き、98歳の大往生を遂げた津田青楓だ。

津田は1880年、生け花の家元の次男として京都に誕生。生活のため図案制作をしながら、日本画家に師事したり、染織学校で学んだりしたが、20歳で徴兵されて日露戦争に従軍。除隊後は一転して関西美術院でデッサンを学び、本格的に油絵を習得するため1907年にパリに留学。帰国後、保守的な洋画壇に背を向け、1914年に二科会を創立し、フォーヴィスムの画風で会を盛り立てていく。と、ここまででもめまぐるしく仕事が移り変わっていくのがわかるが、このあとさらに大きな変化が訪れる。

1923年、関東大震災をきっかけにマルクス経済学者の河上肇と知り合い、次第に社会運動に目覚め、プロレタリア美術にのめり込んでいくのだ。ぼくがこれまで知っていた津田青楓の作品は《研究室に於ける河上肇像》と、拷問を受けた左翼運動家を描いた《犠牲者》の2点だけだが、いずれもこの時期の作品だ。しかし《犠牲者》を制作中に治安維持法違反で検挙され、拘留中に社会運動から身を引くことを誓約させられる。この「転向」は、同時に油絵の断筆宣言でもあった。油絵は社会的関心をリアルに絵に表わすものだと考えられていたからだ。以後、第2次大戦を挟んで半世紀近く、浮世離れした水墨画や書に親しんでいくことになる。

図案、日本画、油絵、文人画、書と多様な仕事を展開した画家の回顧展なので、作品も多彩きわまりない。しかも油絵だけでもフォーヴ風のヌードから社会主義リアリズムまで振れ幅が大きい。だから見ていて退屈しないけど、図案とか水墨画とか興味ない部分はスルーしたから、しっかり見たのは油絵だけで、全体の3分の1にも満たなかった。

2020/02/28(金)(村田真)

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木村孝写真展 ライフ・コレクション・イン・ニュータウン

会期:2020/02/26~2020/03/10(03/03〜03/10は臨時休館)

銀座ニコンサロン[東京都]

とても興味深いテーマの写真展である。木村孝は、2014年からタイ・チョンブリー県のアマタナコーン工業団地に隣接する集合団地を撮影し始めた。最初は団地を「風景」として撮影していたが、今回、銀座ニコンサロンで開催された個展「ライフ・コレクション・イン・ニュータウン」では、集合団地やその周辺の地域の住人たちと、彼らが暮らす部屋の内部にカメラを向けている。

もともとアマタ・コーポレーションという大企業が、工業団地で働く人々のための集合住宅を建造したことから、商業施設なども増え、「ニュータウン」が形成されていった。まったく何もない場所にできあがった「過去のない街」の空気感が、部屋の中のなんとも表層的な家具や壁紙、部屋の住人たち(若者が多い)の、どこか寄る辺のない不安げな表情から伝わってくる。木村のやや引き気味で、部屋の細部まできちんと画面におさめていく撮り方も、とてもうまくいっていた。

このような、都市そのものの生成のプロセスを、そのごく初期の段階から撮影していくプロジェクトは、ありそうであまりないのではないだろうか。「風景」から「部屋」へという展開も悪くないが、これから先がむずかしくなりそうだ。今のところ、カタログ的、羅列的な展示構成なのだが、次は住人一人ひとりにもっと寄り添ったストーリーが必要になってくるだろう。10年くらい撮り続ければ、アマタナコーンをもっと立体的に浮かび上がらせることができる、厚みのある写真とテキストがかたちをとってくるのではないだろうか。より大きな広がりを持つ写真シリーズになっていくことを期待したい。

なお、本展の会期は、新型コロナウイルス感染症の広がりの影響で短縮されてしまった。大阪展(3月19日〜4月1日)は開催される予定だが、当面のあいだ臨時休館となり、状況は予断を許さない。本展に限らず、あまり観客数が多くない美術館やギャラリーでの展覧会を、一律に中止してしまうことには疑問が残る。

2020/03/02(月)(飯沢耕太郎)

2020年04月01日号の
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