artscapeレビュー
2020年12月01日号のレビュー/プレビュー
圓井義典「天象(アパリシオン)」
会期:2020/10/15~2020/12/05
PGI[東京都]
「天象(アパリシオン)」というやや聞き慣れない言葉は、圓井義典の解説によれば「星が生まれ、漆黒の闇の中に突如新しい光が出現する現象」なのだそうだ。圓井はそれを写真の出現のプロセスと重ね合わせようとしている。今回のPGIの個展に出品された同シリーズの作品を見て、彼が伝えようとしていることがおぼろげに浮かび上がってきた。
写っているものの多くは日常の事物である。花、空、顔の一部、部屋の片隅、影が落ちる昼下がりの街頭光景、それらは、彼のカメラの前に一瞬姿をあらわし、すぐにフレームの外へと消え失せてしまう。だが展示を見ると、天空の星々の偶然の配置が星座として認識されるように、それらの写真同士が見えない糸で結び合わされているような気がしてくる。圓井はこれまで「光をあつめる」(2011)、「点・閃光」(2016、2018)など、PGIで個展を重ねてきたが、写真の撮影・選択・配置の精度が、格段に上がってきている。
気になるのは展示作品の中に、画像を加工したものがいくつか含まれていることだ。写真の一部を切りとって拡大したり、画像の上のガラスの染みをそのまま写しとったりしたものはそれほど違和感がない。だが、プリント制作のプロセスに介入して、色味を加えた花の連作になると、「天象」を注意深く観察し、厳密に選択・配置する圓井の姿勢がやや崩れているように見えてしまう。このシリーズは、むしろ操作的な写真を省いた方が、すっきりと伝わるのではないだろうか。なお、展覧会に合わせて同名の写真集(私家版)が刊行された。
2020/10/28(水)(飯沢耕太郎)
改組 新 第7回日展
会期:2020/10/30~2020/11/22
国立新美術館[東京都]
日展は2000年から見始めたが、全体の印象は毎年ほとんど変わっていない。20年前の作品と今年の作品を入れ替えても、たぶん気がつかないと思う。20年1日のごとし。これが日展の最大の強みだが(もちろん最大の弱みでもあるが)、まったく変化がないわけじゃない。特に不正審査が表面化した2013年以降、なんとなく柔らかくなっている。というより「ゆるく」または「ぬるく」なっているというべきか。
日本画の洋画化、洋画の日本画化は毎年感じることだが、いつまで「洋画」という死語を使い、いつまで「日本画」と分けるつもりだろうか。ある観客が洋画の展示室を見渡して「暗い」とつぶやいていた。もちろん照明の問題ではなく作品についてだが、それがその部屋だけの印象なのか、洋画全体のことなのかはわからない。でもいわれてみれば確かに暗い。日本画と比べても暗く感じる。その原因は人物画の表情にあるんじゃないか。日本画に比べて洋画のほうが圧倒的に人物画が多いが、ほぼどれも無表情で、ポーズも静止している。躍動感がなく、なにか淀んでいる。もっといえば、死んでいる。死臭が漂う。それが「暗さ」の原因ではないか。
さて、今年はコロナに明け、コロナに暮れてきたが、不思議なことにマスクを描いた作品がほとんどない。作品点数は日本画285点、洋画718点だが、日本画でマスクが描かれているのは、岩田壮平《何も見えない》、能島千明《不安》、川崎鈴彦《古寺風声》、有沢昱由《メディカルⅥ》の4点だけ(ちなみに岩田の作品は写真画像を使っているように見える異色作だが、これでも日本画なのか)。さらに洋画では、曽剣雄のガスマスクをつけた自画像《2020》のたった1点のみ。700点以上あるなかで今年を象徴する作品がわずか1点しかないのだ。あとは地中海の風景だったり、田舎の年寄りだったり、古典絵画の前の女性像だったり、アロワナやペンギンだったり……。いったい、いつの時代に生きているのか? どこの世界を描いているのか?
彫刻ものぞいてみたら、作品点数222点のうち人物像が95パーセントくらいを占めているにもかかわらず、マスクをつけた像は西沢明比児《テレヴィ・ウイルス》の1点だけ。観客は全員マスクをしているのに、その対比が鮮やかだった。そういえば、確か東日本大震災後の2011年も震災ネタ、原発ネタはほぼ皆無だったなあ。さすが日展、世の動きに動じず、超然としてらっしゃる。
2020/10/29(木)(村田真)
清野健人「地獄谷の日本猿」
会期:2020/10/23~2020/11/03
ニコンサロン[東京都]
長野県下高井郡山ノ内町の地獄谷野猿公苑は、動物写真の愛好家にはよく知られた場所で、温泉に入る猿の群れや雪玉で遊ぶ子猿など、数々の名作が撮影されてきた。逆にいえば、新たなアプローチがむずかしい場所ともいえるのだが、清野健人はむしろ正攻法ともいえる撮り方を貫くことで、逆に新たな方向性を見出そうとしているように思える。
固有名詞化したボス猿、死んだ子を抱き続ける母猿、珍しい白毛の猿などをクローズアップで捉え、周囲の環境と猿の群れとの関係のあり方を手堅く押さえていく。やや珍しいのは、それらをすべてモノクロームで撮影・プリントしていることで、そのことでクラシックな、やや絵画的といえるような雰囲気が生まれてきていた。モノクロームを使ったのは、猿たちの個性を際立たせ、むしろ「肖像」として撮影したかったからだという。その狙いはうまくはまっていて、これまでの動物写真とは一味違う見え方になっていた。ただ、それは諸刃の剣で、抽象度が強すぎると、「地獄谷の日本猿」という具体性、固有性が薄れていってしまう。今後はカラー写真との併用も考えられそうだ。
何度かこの欄で触れたように、日本の自然写真(動物写真)は1980-90年代に岩合光昭、星野道夫、宮崎学、今森光彦らが登場することで、画期的な写真世界を確立した。だが、彼らの業績があまりにも大きかったために、それ以後の世代が霞んでしまったともいえる。だが、そろそろ新たな息吹が形をとってもいいのではないかと思う。1990年生まれの清野もまた、その一人として期待してもいいだろう。
2020/10/29(木)(飯沢耕太郎)
田口るり子写真展「CUT OFF」
会期:2020/10/29~2020/11/15
コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]
今年6月にコミュニケーションギャラリーふげん社で開催された「東京2020 コロナの春」展は、コロナ禍の緊急事態宣言下の日本における20人の写真家たちの状況を、彼らが撮影した写真によって浮かび上がらせた好企画だった。田口るり子の「CUT OFF」は、その出品作の中でも特に印象に残った作品である。同展への出品が、あらためてふげん社での個展に結びついたのは、とてもよかったと思う。
田口は2002年に愛知県名古屋市から上京し、2003年に富士フォトサロン新人賞を受賞するなど、写真家として将来を期待されていた。だがその後、音楽関係の雑誌などで活動を続けていたものの、写真作品の発表は途絶えてしまう。2010年代になって作家活動を再開したが、なかなか手応えのある作品を発表することはできなかったようだ。
田口は「コロナの春」の企画に誘われた時、ふと思いついて、美容師に髪を切ってもらう行為を撮影しようと考えた。裸になって自室で撮影するという発想も、自然に湧いてきた。結果的にこのシリーズは、自発性と偶然性とが、思いがけない場面を生み出していく写真特有の表現のあり方を、見事に体現した作品になった。展覧会のリーフレットに田口が書いた「爪や髪を切ると、切った瞬間にそれは自分から離れて不要なものとなり、ゴミとなり、汚いものに変わる」というのは、たしかに考えてみれば不思議なことだ。異物としての髪の毛は、独特の物質的なエナジーを発している。そのことが、写真からしっかりと伝わってきた。「髪を切る」という行為は、古来イニシエーションの儀式でもある。田口のこのシリーズも、写真家として次のステップに進んでいくいい機会になるのではないだろうか。
この「脱皮」の写真をきっかけにして、彼女が新たな写真の世界を作り上げていくことを期待したい。「人は、断ち切り、取り入れ、断ち切る、を繰り返し進んでいく」(田口のコメント)。この作品で掴んだ確信をぜひ次に活かしていってほしい。
2020/10/31(土)(飯沢耕太郎)
M meets M 村野藤吾展 槇 文彦展
会期:2020/10/30~2020/12/27
BankART KAIKO、BankART Temporary[神奈川県]
2004年に馬車道の旧第一銀行からスタートしたBankARTが、今春再び第一銀行(Temporary)に戻り、秋には道路を挟んだ旧帝蚕倉庫の1フロア(KAIKO)も借りて再出発。その二つを使った第一弾が「村野藤吾展」と「槇文彦展」だ。両展合わせて「M meets M」。なぜこの二人が出会うのかというと、すぐ近くにオープンしたばかりの横浜市庁舎の設計および旧第一銀行のリノベーションが槇の仕事であり、関内駅前にあった旧市庁舎が村野の設計だからだ。ちなみにBankART KAIKOは、帝蚕倉庫がかつて輸出の主力だった蚕糸(生糸)の倉庫だったことから「蚕(かいこ)」をとったもので、横浜が日本で最初に「開港」したこともダブらせたネーミング。今回はさらに「回顧」の意味もトリプらせている。
そのKAIKOでの「村野展」は、開港100周年事業として起案された旧市庁舎(1959)を中心に、関西の尼崎市庁舎や宝塚市庁舎、天井がジンベエザメな日生劇場を擁する日本生命日比谷ビル、現在は目黒区役所として使われている千代田生命本社ビル、瀟洒という言葉がしっくりくる白亜の新高輪プリンスホテルなどの写真、図面、マケット、家具などを展示。モダニズムから和風建築まで幅の広さに驚く。ほかにも、坂倉準三の神奈川県立近代美術館や関内のシルクセンター国際貿易観光会館、前川國男の神奈川県立図書館・音楽堂など周辺の名建築も紹介。
Temporaryでの「槇展」は、横浜の新市庁舎を中心に、代官山ヒルサイドテラス、東京体育館、京都国立近代美術館、スパイラル(ワコールアートセンター)、幕張メッセなど、ジャンルは村野以上に幅広い。さらに、サンフランシスコのイエルバ・ブエナ芸術センター、マサチューセッツ工科大学新メディア研究所、深圳海上世界文化芸術中心など、海外のプロジェクトもたくさん手がけている。こうしてながめると、建築ごとにスタイルが変幻自在だった村野に対し、槇はどこでも直線と円形の組み合わせを基本としていることがわかる。これが近代建築(モダン)と現代建築(コンテンポラリー)の違いだろうか。でも共通しているのは、二人とも美しいプロポーションにこだわったことだ。
2020/11/06(金)(村田真)