artscapeレビュー

2021年03月01日号のレビュー/プレビュー

あざみ野フォト・アニュアル とどまってみえるもの

会期:2021/01/23~2021/02/14

横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1[神奈川県]

毎年開催されている「あざみ野フォト・アニュアル」の一環として、今年は写真家7人による展示が実現した。出品作家は宇田川直寛、川島崇志、木原結花、チバガク、新居上実、平本成海、吉田志穂である。「コ・キュレーター」として1990年代から写真「ひとつぼ展」とその後身の「1_WALL展」をコーディネートしていた菅沼比呂志が加わっていることもあり、両公募企画のグランプリ受賞者、ファイナリストが多い。だが、企画意図としてはデジタルテクノロジーの進展によって、「写真表現の独自性を集約することすら不可能な時代」における、1980年代〜90年代生まれの写真を使うアーティストたちの動向に焦点を絞った企画といえるだろう。同時に、彼らが「コロナ禍という例外的な状況」にどう対応しようとしているかも大きなテーマとなっていた。

ペイントしたダンボールを「風景」に見立てて撮影する宇田川、震災や火山などの「カタストロフィの断片的な物語」を再構築する川島、「行旅死亡人」の架空の肖像をフォトモンタージュで作成する木原、デジタルツールで日常空間の再編成をもくろむチバ、コロナ禍の状況において「ミニチュアハウス」のイメージを増殖させる新居、地方新聞に掲載された写真で「固有名詞を持たない像をつくる」平本、インターネット上の情報や画像と実際に訪れた「山」のイメージとを重ね合わせる吉田――どの作品もさまざまな手法を用いて、よく練り上げられたインスタレーション展示を構築していた。だが、正直あまり面白くない。彼らそれぞれに、作品制作の意欲と動機があるはずなのだが、それがうまく伝わってこないのだ。 出品作家7人に共通しているのは、これまで「写真表現の独自性」と捉えられてきた制作の原理、例えば現実世界の実在性、一回性、個別性などをとりあえず括弧に入れ、操作可能なイメージの束と見なして再構築するという姿勢だろう。いうまでもなく、デジタル化を所与のものとして受け入れることから写真家としての活動を開始した彼らにとって、それはごく自然な選択だったはずだ。だが、デジタル画像がむしろ一般化してしまった現在では、手法のみが一人歩きして、何かを生み出したいという肝心要な動機づけが希薄になっているように感じる。今や「若手」から「中堅」に成りつつある彼らには、殻をもうひとつ破っていくような仕事を期待したいものだ。

2021/01/23(土)(飯沢耕太郎)

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冨安由真展 漂泊する幻影

会期:2021/01/14~2021/01/31

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ[神奈川県]

会場の扉を開けると、長い廊下が真っすぐ伸びている。が、正面に自分の姿が見えるので、鏡で長さを倍増していることがわかる。左側に扉があり、開けると今度は暗い部屋に出る。そこには3つの古びたテーブルセットをはじめ、ホコリだらけのソファ、時代物のピアノ、シカやクマの剥製、止まった時計、瓦礫やボロ切れ、旧式の受話器などが置かれ、それぞれにスポットライトが当たっては消えていく。放射能かコロナか知らないけれど、無人になった廃墟のような風景だ。奥のスクリーンには実在する廃墟だろう、荒れ果てた室内の映像が映し出される。

別の扉から出ると、また最初の廊下に戻る。と思ったら、先ほどの鏡の裏側に設えた別の廊下であることがわかる。再び奥の扉を開けて、絵が10点ほどかかっている薄暗いギャラリーに入る。その絵はいま見た廃墟を描いたものらしいが、1点ずつランダムに照明が当てられるので移動しながら見ることになる。こうしてインスタレーションと映像と絵画によって廃墟を追体験させられるわけだが、これらは実際に廃業した千葉県のホテルがモチーフになっており、インスタレーションで使われた家具などはそのホテルから運んだものだという。コンセプトも会場構成もよく練られ、照明効果も抜群だ。それもそのはず、この「美術展」が県民ギャラリーではなく芸術劇場で行なわれるのは、照明やセットなど舞台美術のノウハウが活かせるからであり、「現代美術と舞台芸術の融合による新しい表現」を模索するKAATならではの企画だからだ。ああ見てよかった。

でも作品とは別に、残念なこともあった。まだ1週間近く会期を残しているのに、カタログが完売していたことだ。いったい何部刷ったんだろう? 増刷もないという。主催者としては喜ばしいことかもしれないが、見に行った者にとっては残念というほかない。買えなかった腹いせに言うのではないが、きつい言い方をすれば、作家にとって失礼ではないか? 完売するということはあらかじめ動員数を少なく見積もっていたということだろう。最近はSNSなどで反響が予想を超えることもあるかもしれないが、千部と二千部と経費はそれほど変わらないのだから、最大限つくってやれよ。せっかくすばらしい作品を実現してくれたのに、なんとももったいないと思うのだ。

2021/01/25(月)(村田真)

並木のパブリックアートプロジェクト

会期:2021/01/16~2021/01/31

金沢シーサイドタウン各所[神奈川県]

開発50年を迎えた横浜市の金沢シーサイドタウンを舞台に、人とアートの出会いを演出する「ナミキアートプラス」プロジェクト。その一環として、期間限定のパブリックアートを並木地区の商店街や住宅地に展開している。今日は、黄金町芸術学校のプログラムとして毎月1回開いている講座が緊急事態宣言で中止になったため、代替案としてこのパブリックアートをオンラインで紹介しようということで訪れたのだ。ぼくもこのプロジェクトのことは知らなかったので、最初にスタッフからレクチャーを受ける。ふむふむ、なるほど、そうだったのか。作品展示はキム・ガウンと池田光宏の2人で、ほかに「まちあるきプログラム」としてorangcosongも参加しているという。

同地出身の池田は、並木地区の住人が家や商店に飾っているお宝コレクションを調査し、そのお宝の画像とキャッチコピーを大きくバナーにプリントして、展覧会の広告みたいにアーケードの天井から吊るした。題して「BGAプロジェクト─横浜・並木のアートシーン─」。BGAとはバックグラウンドアートの略で、いつも身近にあって生活に溶け込んだアートのこと。「佐久間玉江の陶板画展」「KOUTA 並木少年画家」「さとうりさ ワークショップ」といったように、10枚ほど掲げられている。池田尚弘という人の絵もあったが、地元出身の作者、池田光宏と名前がよく似てないるなあと思ったら、やっぱり無縁ではないらしい。コレクション自体はどれも豪華なもんではないけれど(本物の高価なお宝があっても税金や盗難の関係で出せない?)、どうせなら独り占めするより地区全体で共有しようという発想だろう。

韓国出身のキム・ガウンは、日本やイタリアにも長く住み、絵本作家、ジュエリーデザイナーとしても活動するアーティスト。クマとウサギが主人公の絵本も書いており、ここでは池や公園など5カ所にクマとウサギがクジラや魚と戯れる壁画を制作している。なぜクマとウサギかというと、黒と白、大と小、コワイとカワイイといったように対照的な動物だからだそうだ。それがクジラや魚と遊ぶのは、ここがもともと埋立地につくられた集合住宅地で、それ以前は海だったから。そうした土地の記憶を遡った絵物語を綴っているのだ。圧巻なのは、公園に建つ東屋の円蓋にマーカーペンと鉛筆で描いた天井画。東屋は3メートル四方ほどの大きさだが、線描なので大変な作業だったはず。これは残しといてほしいなあ。

これらのパブリックアートは半月しか公開されないのが残念だが、短期間という条件だからこそ可能だったともいえるだろう。長期間展示しようとすれば、安全性や耐久性、環境や美観への配慮などクリアしなければならない問題が出てきて、結局当たり障りのない表現に落ち着いてしまいがち。だから恒久的なパブリックアートはつまらないものが多いんだね。



キム・ガウン《海を想う》(2021)金沢センターシーサイドショッピングセンター


2021/01/26(火)(村田真)

下瀬信雄「鬼魅易犬馬難(きみはやすしけんばはかたし)」

会期:2021/01/19~2021/02/01

ニコンサロン[東京都]

タイトルの「鬼魅易犬馬難(きみはやすしけんばはかたし)」というのは『韓非子』に出てくる言葉で、斉王が画工に絵に描くのが難しいものは何かと尋ねたところ、こう答えたのだという。つまり「鬼やもののけ」の類は簡単だが、犬や馬のような当たり前なものを描くのは逆に難しいということで、下瀬はそれが写真にも通じると考えた。たしかに今回のニコンサロンの展示では、日常(犬や馬)のなかに「鬼魅」を見出したような写真が目につく。それらは「街中至る所に出現」しており、しかも「どこか懐かしく、過去の何かに似ている」のだという。街を散策しながら、そんな被写体を見つけ出しては、嬉々として撮影している下瀬の姿を想像すると、展示されている写真がより面白く見えてくる。

本欄でも何度か紹介しているように、下瀬は1944年生まれで、山口県萩市在住のベテラン写真家である。ニコンサロンでも何度となく個展を開催し、「結界」シリーズで、2005年に第30回伊奈信男賞、2015年には第34回土門拳賞を受賞している。だが、常に新たな領域にチャレンジしようとしており、今回もすべてデジタルカメラで撮影しただけでなく、被写体をかなり大胆にシフトしていた。好んで「鬼魅」にカメラを向け、街中で出会った女性たちやマネキン人形の写真などには、強烈なエロティシズムが漂っている。スナップ写真によって、「写された事によって立ち上がる不思議さ」を引き出そうとする意図がはっきりと見えてきた。このシリーズ、さらに続けていくと、彼の写真の世界に別な一面が加わるのではないだろうか。

2021/01/27(水)(飯沢耕太郎)

川田喜久治「エンドレス マップ」

会期:2021/01/20~2021/03/13

PGI[東京都]

かつて写真集として刊行したり、写真展で発表したりした作品を「改訂」し続ける写真家がいる。東松照明もその一人で、『〈11時02分〉NAGASAKI』(写真同人社、1966)や『太陽の鉛筆』(毎日新聞社、1975)に収録した写真を再プリントし、その掲載順、レイアウトなどを変更し続けた。1959年に、東松ともに写真家グループVIVOを結成した川田喜久治にも、どうやら同じ傾向があるようで、彼の代表作『地図』(美術出版社、1965)を何度となく「改訂」してきた。東松や川田は、新たな解釈によって、作品が生き物のようにメタモルフォーゼしていくこと自体に喜びを感じているのではないだろうか。

川田が今回の「エンドレス マップ」展のリーフレットに掲載した「光と時の寓話―2021」によれば、「地図 The Map」シリーズのプリントは、以下のように変貌していった。「半世紀ほどまえ、まず暗室で薄い複写用紙から始まる。それから、ゼラチン・シルバーにセレン調色、さらにプラチナ・プリントへ、(西丸雅之氏による)つづいて、バライタ紙にピグメント・インクジェット・プリント。いま、手漉きの和紙にピグメント・プリントを試みる。2019年から、3台の違ったインクジェット・プリンターで行われた」。80歳を越えた川田の、新たな可能性を求め続ける無尽蔵のエネルギーには驚くしかない。

結果的に「手漉きの和紙にピグメント・プリント」によって、同シリーズのイメージは大きく変わった。以前のプリントでは、黒白のコントラストを強調することで、画像情報がかなり損なわれていたのだが、高精度のスキャナーとインクジェット・プリンターを使うことで、その細部が浮かびあがってきている。そのことで、写り込んでいるモノの質感、例えば神経繊維を思わせる金属コイルや壁の染みなどの見え方がまったく違ってきた。さらに今回、川田は写真集『地図』に収録されたものだけでなく、アザー・カットを10点ほどプリントしている。トリミングを変更した写真もある。以前の見え方の方がよかったという反応も、当然出てくると思うが、新たなチャレンジによって、まさに「エンドレス」に更新を繰り返す「地図 The Map」の姿が、はっきりと見えてきたのではないかと思う。

2021/01/29(金)(飯沢耕太郎)

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