artscapeレビュー
2010年02月01日号のレビュー/プレビュー
内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している
会期:2009/11/14~2010/01/24
神奈川県立近代美術館/鎌倉館[神奈川県]
内藤礼の個展。糸やテープ、リボン、ビーズ、テグス、そして透明なガラス瓶など、繊細な素材を組み合わせたインスタレーションなど9点を発表した。ガラスの奥の展示スペースに観客を誘い入れたり、青空の真ん中でひらひらと舞うリボンを見上げさせるなど、私と世界のひそやかな関係性を追究してきた内藤ならではの展観で、おもしろい。リボンの向こうの青空を数匹のトンビがゆっくりと旋回していた光景は、どんな絵画作品よりも美しく、同時に美術のはかなさをも暗示していた。ただ、見方を変えれば、内藤のような静かではかない作品は、展覧会を企画する側にとって経済的に安上がりで、好都合なのだろう。絵画や彫刻のように大きな輸送費もかからず、映像のようにプロジェクターを何台も用意しなければならないわけでもない。今後も改善される見込みがないデフレ時代においては、こうした類の現代アートが主流になるのかもしれない。
2010/01/13(水)(福住廉)
絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から
会期:2010/01/16~2010/04/04
国立国際美術館[大阪府]
1990年代以降の絵画シーンを語るうえで外すことのできない“具象的傾向”を持つ作家たちをまとめて紹介。奈良美智、小林孝亘、O JUN、会田誠ら90年代後半に頭角を現わした世代と、ゼロ年代に登場した若い世代28作家が一堂に会した。また、世代的には異質だが、草間彌生が2004年に描いた未発表の連作絵画も出品された。具象的傾向といっても作品の様相はバラエティに富み、主催者も何らかの結論を打ち出すつもりはないようだ。ここから何を見つけ、どんな主張を導き出すのか。議論のお膳立てをした点に本展の意義はあるのだろう。初日前の記者発表には出品作家のほとんどが来場していたが、30歳前後の若い作家が半数以上を占めていたのではないか。その華やいだ雰囲気を前に「うわー、こんなに若くても国立美術館で発表できるのか」とオヤジ臭い感慨を抱いた筆者(45歳)であった。
2010/01/15(金)(小吹隆文)
小村雪岱とその時代
会期:2009/12/15~2010/02/14
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
大正の後半から昭和の戦前にかけて活躍した小村雪岱の回顧展。日本画をはじめ、本や雑誌の挿絵や装丁、舞台美術、着物の図案など、雪岱の幅広い画業を総合的に振り返る構成で、また竹久夢二や鏑木清方、河野通勢、木村荘八といった同時代人たちの作品もあわせて見せることで展示に厚みをもたらしていた。雪岱といえば、地面にしゃがみこんだ少女の丸みを帯びた身体表現や無個性といわれるほど表情に乏しい顔が特徴だが、今回改めて思い知ったのは空間処理の巧みさ。子母澤寛による「鐵火江戸侍」の挿絵では極端に縦長の紙をいかしながら屋敷の内部を描写しているし、邦枝完二の「おせん」や矢田挿雲の「忠臣蔵」の挿絵を見ると、余白の白と墨で塗りつぶした黒の鮮烈なコントラストがじつに美しい。モノクロームと描線で物語世界を描き出すという点でいえば、雪岱の絵は挿絵というよりむしろ現代のマンガ表現に近い気がした。宮川曼魚による「月夜の三馬」の挿絵に見られる無音空間は、榎本俊二や横山裕一に継承されているのではないか。
2010/01/16(土)(福住廉)
オブジェの方へ──変貌する「本」の世界
会期:2009/11/14~2010/01/24
うらわ美術館[埼玉県]
文字どおり「本」をテーマにした展覧会。同美術館のコレクションをもとに、遠藤利克や若林奮、マルセル・デュシャン、ジョージ・マチューナスなど30数組のアーティストによる作品が展示された。全体的に共通していたのは、本をオブジェとしてとらえる即物的な視点。紙の代わりに金属、糸の代わりにボルトで綴じた本などはそのもっとも典型的な事例だが、文庫本の小口を削り取って羅漢像を造形した福田尚代や高温で焼いた本をそのまま見せた西村陽平にしても、「本」というオブジェを加工して別の造形を造りだす姿勢が一貫している。けれども、それらの作品には「本」というメディアへの捩れたフェティシズムは認められるものの、「本」にとっての本質的な機能である「読書」という内省的な経験は遠く後景に退けられていたようだ。だから「本」の既成概念から逸脱した芸術的な本の外面に目を惹かれることはあっても、結局のところそれ以上でもそれ以下でもない。そうしたなか、「本」のオブジェ性とはまったく無関係に「読む」次元を切り開いてみせたのが、松澤宥である。新聞紙のスクラップ記事や手書きの文字を羅列したインスタレーションは、「本」のなかに閉じ込められた「言葉」を愚直に解放したかのようだった。電子メディアの登場によって経済的にも物理的にも「本」というメディアが相対化され、ネット空間に有象無象の「文字」や「言葉」が氾濫している現在、松澤の「本」にこそアクチュアリティが宿っているように見えた。
2010/01/16(土)(福住廉)
この世界とのつながりかた
会期:2009/10/24~2010/03/07
秋葉シスイ、奥村雄樹、川内倫子、仲澄子、橋口浩幸、松尾吉人、松本寛庸、森田浩彰の8名が出品。戦中の少女時代の思い出を絵日記風に綴る仲澄子や、子どもたちとの日常をホームムービー風の映像作品に仕上げた奥村雄樹など、日々を慈しむような作品が目立つ展覧会だった。ひとり別会場でスライドショーを行なった川内倫子の作品は、13年間にわたる家族の写真で構成されており、その膨大な量と密度から目が離せなかった。それらの中でやや異質に感じられたのが秋葉シスイと森田浩彰の作品。秋葉は抽象的な荒野のような空間に人がたたずむ絵画で、森田は一見スチールに見えるが実はムービーの映像。2人の作品だけ理が勝ち過ぎているように見えたのは私だけだろうか。
2010/01/17(日)(小吹隆文)