2024年03月01日号
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artscapeレビュー

大橋可也&ダンサーズ『グラン・ヴァカンス』

2013年08月01日号

会期:2013/07/05~2013/07/07

シアタートラム[東京都]

上演直前、席おきのパンフレットを目にして、上演時間が「2時間半」とあり、驚愕した。ピナ・バウシュならば休憩込みでそんな尺の作品もあったかもしれないが、日本のダンス作家の作品としてはほとんど前代未聞。「どうなることか」と始まる前は不安もあったし、正直、前半はなくてもいいのではないかとも思ったものの、後半はまるでインド映画でも見ているときのような「ハイ」な状態が訪れ、終幕のころには「まだ30分くらいは全然見ていられる」なんて気持ちになってしまった。日本のダンスのなかでは珍しく原作のある作品だった(ちなみに、大橋の師・和栗由紀夫には美学者・谷川渥の著作をベースにした作品がある)が、SF小説を忠実にダンス化したというよりは、原作とつかず離れずの距離を取り、彼のキャリアの集大成的な作品に新味な彩りを施す手段として、大橋は原作を大胆に利用しているようだった。その点で、飛浩隆ファンにとってはわかりにくい公演になっていたかも知れない。けれども、大橋はそうした大橋作品未体験者を彼独自の舞踏世界へとまんまと誘拐しえたわけで、実際、長丁場の舞台に、客席はうとうとする者は少なく、観客が終始高いテンションを保っていたのは印象的だ。振付の方向としては、2011年の『驚愕と花びら』を思い起こさせる。この作品では、見なれないダンサーたちが舞台を埋めていた。彼らは当時大橋が行なったダンスワークショップに参加した若者たちだった。今作『グラン・ヴァカンス』でも、古参のダンサーたちによって重要場面が引き締められていたとはいえ、多くの時間で、彼らを中心とした新参のダンサーたちの存在が目立っていた。前半は、若い男性ダンサーたちのまだ出来上がっていない気がする身体に戸惑った。それとは対照的に、後半、若い女性ダンサーたちの訓練の跡を感じさせる身体は美しく、見応えがあった。いや、でも、そうしたばらつきのあるダンサーたちが、かたまりとして、醜さも示しつつ美しくまとまってゆくところに大橋の狙いはあったのだろう。そうした傾向は、大橋が「タスク」というよりも「振付」をより積極的に志向しはじめた『驚愕と花びら』に顕著だった。正直に言えば、ぼくは『ブラック・スワン』の頃の大橋が好きだ。緻密で繊細な動作に、見ている自分の記憶があれこれと呼び覚まされてしまう。そうした独特の感覚は今作ではあまり強調されていなかった。先述したことだが、今作でわかりにくかったのは、なにより原作とダンスとの関連性だった。原作があることで大橋が自由になれた部分と、原作があることで原作と今作との関係を問われてしまう部分とが出てくる。前者の効果は非常に大きかったと思う反面、後者に関して、原作を読み込んではいない筆者のような人間には、戸惑う面があった(あるいは小説のファンで大橋作品をはじめて見る観客にも、似たような戸惑いがあったと想像する)。提案なのだが、もっとわかりやすい原作に挑戦してみてはどうだろう。例えば、いま人気の押見修造『悪の華』はどうだろうか。あるいはいっそのこと『くるみ割り人形』でもいいかも知れない。その場合には、今度はバレエ愛好者たちが興味を抱かされることだろう。そう、今回の大橋の試みでもっとも評価すべきは、摩訶不思議なダンス公演というものの前で逡巡する潜在的な観客に、入りやすい「入口」をこしらえるやり方を示したことだ。宝塚歌劇団では、テレビゲームを原作とする作品を上演していると聞く。そうした「あざとさ」を一種の誘惑の戦略としてどう活用できるのかは、ダンスをどうポップなものにするのかという点のみならず、ダンスをどう刷新していくのかという点にも繋がっているはずだ。

「グラン・ヴァカンス」トレーラー

2013/07/06(土)(木村覚)

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