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artscapeレビュー

薄井一議 写真展「Showa88/昭和88年」

2013年08月01日号

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会期:2013/06/15~2013/08/08

写大ギャラリー[東京都]

「マカロニキリシタン」で知られる薄井一議の写真展。タイトルは、元号としての昭和が継続していたら今年が「昭和88年」になるということ。その架空の時間軸を設定したうえで、大阪の飛田新地や京都の五条楽園、千葉の栄町などで撮影した写真作品18点を展示した。
「昭和」という語感にすでに哀愁が漂っているように、その写真といえば陰りや汚れ、そして湿度が付き物だった。私たちが想像する「昭和」のイメージも、おおむねそのようなものになりつつある。ところが薄井の写真には、そうした暗鬱とした空気感は一切見られない。むしろ明るく、色彩豊かで、きれいに乾いている。大半の写真に出現している鮮やかな桜色は、薄井にとっての「昭和」が決してノスタルジーの対象ではないことを如実に物語っている。
もちろん、「昭和」を象徴する記号がないわけではない。キャバレー、時代劇のポスター、大衆演劇の役者、そして雪駄を履いたスキンヘッドのチンピラたち。とはいえ、刀を握りしめた彼らが身にまとうシャツは、いずれもピンクや赤でけばけばしい。「昭和」が続いていたら、つまり「平成」が訪れていなかったら、造形は変わらずとも、このように色彩が激変していたに違いないということなのだろう。
とはいえ、それだけではなかった。最後に展示されていた一枚は、被災地の写真。画面の中央には、破壊された街並みを貫く一本の車道が写されている。周囲の痛ましい傷跡とは対照的に、きれいに片付けられたその車道がやけに眩しい。チリひとつ落ちていない清潔な路面は、復興の必要であると同時に、おそらく現代都市生活の象徴でもあるのだろう。そう考えると、薄井の写真に表われている明るい色彩も、現在の都市社会に欠かすことのできない構成要素であることに気づく。
そう、「昭和88年」というプロジェクトは、たんなるフィクションではなく、かといってノスタルジーでもなく、あくまでも現在を逆照するために仮設された装置なのだ。だからこそ薄井は、このようにいかにも今日的な明るい写真で撮ったのだ。だとすれば、その装置からは明度の高い色彩や除菌的潔癖性のほかにも、さまざまな要素が導き出されるのではないだろうか。「昭和」をとおした現在の表現には、あらゆる可能性が潜在しているに違いない。

2013/07/19(金)(福住廉)

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