2017年11月15日号
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artscapeレビュー

2011年11月01日号のレビュー/プレビュー

高嶺格/ジャパン・シンドローム~step.1 球の裏側

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会期:2011/09/23~2011/10/16

京都芸術センター[京都府]

「KYOTO EXPERIMENT 2011 京都国際舞台芸術祭」のプログラムとして開催された展覧会。本展は、今後約3年にわたり継続されるプロジェクトの第1回にあたる。南ギャラリーでは、ブラジルで取材した映像とスラム発祥の音楽が流れ、観客が手をかざすと変化するインタラクティブなインスタレーションが展示された。北ギャラリーでは、南ギャラリーでの観客の振る舞いを覗き見する、少々意地悪な視点の作品が。これは、日本人のブラジルに対する関心や南北問題を皮肉った表現なのだろうか? また、南ギャラリー近くの階段横では、食品の放射能汚染について語る商店主と客の会話を再現したビデオ作品《ジャパン・シンドローム~関西編》も。本作は当初の予定にはなかった作品かもしれないが、時宜を得たテーマだったので、むしろ南北ギャラリーの作品以上に印象的だった。

2011/09/23(金)(小吹隆文)

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すみっこにみつける いつも近くにある世界:中居真理 展

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会期:2011/09/23~2011/10/11

Gallery PARC [グランマーブル ギャラリー・パルク][京都府]

「KYOTO EXPERIMENT 2011 京都国際舞台芸術祭」のプログラムとして開催された展覧会。部屋や建物の隅をアップで撮影した画像をタイルに焼き付けて16ピース1セットの平面作品を制作する中居が、「KYOTO EXPERIMENT」の会場や会場間の道で撮影した画像をもとに新作を発表した。色とりどりの幾何学形態が繰り返されるミニマルアートのような作品は、間近でイメージを見た瞬間にそれらが現実世界の一部だとわかり、そのギャップが観客の心を刺激する。しかも各ピースは磁石で仮留めされているだけなので、幾らでも並べ替えができる。本展では、観客が触れる作品も数点用意されており、観客がイメージの操作を楽しむ情景も見られた。

2011/09/23(金)(小吹隆文)

Chim↑Pom「SURVIVAL DANCE」

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会期:2011/09/24~2011/10/15

無人島プロダクション[東京都]

Chim↑Pomが凄まじい力を発揮するときというのがある。社会に自分から介入しておきながら、自分たちでは制御しえない出来事を招いてしまうときだ。だからと言って、諸々の事件やお騒がせな若者というイメージが生むセンセーションのことは本質的ではないので無視しておこう。大事なのは、「巻き込みつつ巻き込まれる」出来事を計画し実行するということを彼らが自らの方法にしてきたということだ。さて、今回の展示である。ぼくが彼らに期待する「凄まじい力」が十分に発揮されたか、といえば「さほどではなかった」というのが正直な感想だ。はっきりしていたのは「Chim↑Pomのなかの絵画/彫刻的傾向」が、前述した「出来事を招いてしまう傾向」に勝っていたこと。スーパーマーケットで目にするイメージを、「平和の火」(福岡県星野村)で板をあぶる手法で描いた作品。同じく平和の火に関連しているのだろう、火で地面に同名作のタイトルロゴなどを描く作品《BACK TO THE FUTURE》。エリイがカンボジアの射撃場で投影されたハリウッド映画の銃撃戦に向かってライフルを打ち続ける作品《Ellie VS Hollywood》(無数の弾丸が打ち込まれたボード/スクリーンは、ニキ・ド・サンファル「射撃絵画」を連想させる)。福島で制作された《Destiny Child》は砂でできた子どもの彫刻を写真に収めたものといえるが、以上のどれからも「不測の事態」は発生していない。なかでも気になったのは、彼らのデビュー作にして代表作であり、あらためて制作された黄色いネズミたち《スーパーラット showcase》で、以前は剥製のほかに捕獲の映像シーンが作品の一部として上映されていたのだが、今回はその捕獲映像がなかった。ギャラリーの天井にミラーボールとともに10台近くのモニターが置かれ、そこには都会のネズミたちのたくましい生態が映し出されているのだけれども、そこにChim↑Pomたちが映り込むことはない。あの、キャーキャー言いながらネズミと格闘する映像こそ、この作品の核だと思っていたので残念だ。そうした例もあげられるように、展示タイトルの「SURVIVAL」「DANCE」のワードはともに、彼らの過去作品のほうにより濃厚に結晶化されている気がしてしまうのだった。

参考:Chim↑Pom展「SURVIVAL DANCE」再レビュー(2011年11月1日号)

http://artscape.jp/report/review/10014180_1735.html

2011/09/25(日)(木村覚)

指田菜穂子

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会期:2011/09/27~2011/10/22

西村画廊[東京都]

指田菜穂子が取り組んでいるのは、百科事典の絵画化である。共通しているのは中国の年画のような華やかな色彩だが、一つひとつの絵には、「酒」「箱」「糸」「子ども」といったようにテーマが設けられ、その項目に沿った図像や記号がそれぞれ画面に密集している。例えば《こんな夢を見た》(2010)を見てみると、富士山と鷹、茄子をはじめ、獏、夜の街並み、梟と蝙蝠、ユング、涅槃像、眼を閉じたオランピア、黒澤明の映画『夢』、落語の「芝浜」など、「夢」にまつわる古今東西のイメージがふんだんに盛り込まれており、絵の中に分け入りながらそれらを読み解いていく経験がじつに楽しい。子どもたちが放り投げた枕がいつのまにか羊に成り代わっていく様子をストップモーションで描く工夫もおもしろいし、「はかない夢」を花言葉とするアネモネなのかどうか、可憐な花々が描いているのは無限大のかたち(∞)だ。つまり、睡眠中の「夢」だけでなく、将来的な願望を意味する「夢」も隠されているわけだ。百科事典が幾度も読み返すための書物であるように、指田が描き出しているのは、見れば見るほど新たな発見を期待させ、そこからさらに見ることを誘うような、文字どおり何度も見返すことのできる絵画である。そして何よりすばらしいのは、そうして画面の隅々に視線を運んでいると、さまざまなイメージを嬉々として配置する指田の心の躍動感がたしかに伝わってくるところだ。このような絵を描く原初的な喜びは、禁欲的で理論的、あるいは心神耗弱的な日本の現代絵画の伝統において長らく不当に抑圧されてきた、絵を描く者にとっての心の「よすが」である。指田菜穂子はそれを健やかに取り戻してみせた。百科事典の絵画化というプロジェクトは、絵を見る者の心にも、やがてそれを復活させるだろう。

2011/09/29(木)(福住廉)

城戸孝充・天方信吾

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会期:2011/09/08~2011/10/02

gallery 21 yo-j[東京都]

城戸孝充と天方信吾の二人展。城戸が制作した立体作品に、天方による音をあわせた《まだ、雨は降り続いている》を発表した。彫刻を出自とするアーティストは数多いが、城戸ほど毎回趣の異なる作品を見せて鑑賞者を圧倒する美術家はいない。今回の立体作品は、鉄板を貼りあわせた重厚な土台の上に細長い真鍮を無数に突き立てたもの。鈍い金色の線が垂直方向に幾重にも重なり合った光景は、密集した竹林や降り注ぐ雨を連想させるが、雨音をモチーフにした音響が徐々に大きくドラマティックに展開すると、その光景がモアレ状に見え始め、一点を見通すことができないほど、視線が撹乱される。その斑紋の先に、見えるはずのない世界が見えたような気がしたから不思議だ。森のなかで不意に雨に打たれ、風雨が山肌を削る音を耳にしながら、岩陰で身を潜めて堪え忍ぶ時間。おのずと動物的な感性が研ぎ澄まされる。やがて大音響が去っていくと、雨上がりの森の静けさが身にしみてくる。画廊の天窓から差し込む穏やかな光も、雨雲と樹木を突き抜けて下りてきた陽射しのように見える。むろん、音の力を借りてはいる。そうだとしても、これほどまでに物体の造形から見えない世界を想像的に体験させる作品は、他に類例を見ないのではないだろうか。城戸孝充が切り開いている彫刻のフロントは、いまもっとも注目すべきトピックである。

2011/09/30(金)(福住廉)

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