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美術にぶるっ! ベストセレクション日本近代美術の100年

2013年02月01日号

会期:2012/10/16~2013/01/14

東京国立近代美術館[東京都]

近代と現代は何がどうちがうのだろう? 長年気になっていた疑問が、この展覧会を見て少しだけ解けたような気がした。
本展は、同館が所蔵する美術品のなかから、日本の近代美術を中心に厳選して展示したもの。萬鉄五郎《裸体美人》や横山大観《生々流転》から和田三造《南風》や福沢一郎《牛》まで、日本の近代美術にとって欠かすことのできない名品が続く展示はたしかに圧巻だ。とりわけ川端龍子《草炎》は、群青色を背景に金色の草花を描いた、きわめてシンプルな屏風絵だが、その鮮やかな対比が美しいのはもちろん、まるで左方向に草花が行進していくような躍動感を感じさせるところがすばらしい。日本近代美術の底力をまざまざと見せつけた展観である。
しかし、戦後の現代になると様相が徐々に変わってくる。物が描かれなくなる代わりに、コンセプトが重視されるようになるのである。そのような転換をていねいに解説する仕掛けがあれば、理解のための努力も惜しまなかったのかもしれない。だが、それが欠落しているばかりか、珠玉の近代を目の当たりにした直後では、なおさら薄ら寒い印象しか残らない。いったい、「現代」は私たちに何をもたらしたというのだろう?
そして、何よりの疑問が、そのようなコンセプチュアルな傾向を「現代美術」の末端に位置づけている反面、1950年代に焦点を当てた「実験場1950s」を「第二部」として外在化している点だ。いわゆる「肉体絵画」やルポルタージュ絵画、雑誌「暮しの手帖」、デザイン、写真などの豊かな成果を考えれば、この「実験場1950s」こそ、本来は「第一部」のなかに組み込まれなければならない。それをわざわざ傍流に外し、コンセプチュアル・アートを主流に含める展示構成に、いったいどんな根拠があるのか、まったく理解に苦しむ。
近代美術に「ぶるっ」としたことはまちがいない。だが、現代美術の貧しさが私たちの背中に冷たい汗を落としたこともまた事実である。次の100年を歩むには、現代美術の歴史を本格的にオーバーホールすることから始めるべきだろう。

2013/01/09(水)(福住廉)

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