artscapeレビュー
衣服が語る戦争
2015年08月01日号
会期:2015/06/10~2015/08/31(08/09~08/16:夏期休館)
文化学園服飾博物館[東京都]
第二次世界大戦終結から70年になる今年、文化学園服飾博物館では戦争と衣服の関わりをテーマとした企画展が開かれている。人々の暮らしを構成する衣食住のなかでも、衣服はその視覚的性格もあり、時代を映す鏡としてその変遷を見ることができるようだ。
展示は明治から大正、昭和、第二次世界大戦直後までの衣服を、実物やファッション誌などによって時系列にたどる。この間には日清・日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、そして第二次世界大戦がある。すべての時期において衣服に同様の事象が見られたのではなく、国内事情、国際関係、戦況によって衣服の事情は変化してきた。第1室で最初に目に飛び込んでくるのは、大正中期から昭和初期につくられた日の丸を付けた戦闘機と飛行機雲をあしらった銘仙の女性用羽織だ。簡略化されたモダンなデザインと鮮やかな色彩が美しい。隣には、日英の旗を仲良く振る子どもたちの図案(日英同盟の頃のものと思われる)や、日章旗を掲げて行進する子どもたち(昭和10~15年頃)の男児着物、爆弾三勇士をモチーフにした女児着物(昭和7~10年頃)、提灯・花電車・日章旗とともにあしらわれたラッパを吹く兵士は木口小平か(女性用襦袢、昭和5~15年頃)。戦闘機と鉤十字があしらわれた男児着物(昭和12~15年頃)があったことにも驚かされる。こうした凝った図案の着物は富裕層向けの製品で、まだ戦況が逼迫する前の、趣味的に選ばれた品と推察される。第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期のヨーロッパでは女性の社会進出が見られたと同時にミリタリーテイストのファッションの流行があり、それが直接間接に日本のファッションにも影響したことが、実物や雑誌の表紙、記事などで示されている。
戦中の衣服といえばもんぺや国民服が思い浮かぶが、そこに至るまでにはプロセスがある。物資節約のためのさまざまな取り組みやキャンペーンが行なわれ、スフ(ステープル・ファイバー)などの代用品の使用が奨励された。興味深い製品は絹製の子ども用シャツ。むしろ贅沢に思われるが、アメリカ向けに絹製品の輸出ができなくなったために生産された絹を国内で消費せざるをえなくなったのだという。昭和15年に制定された国民服に主導的な役割を果たしたのは、陸軍被服廠の外郭団体「被服協会」。講習会や展示会のほか、機関誌『被服』(昭和5~18年)を通じて教育指導を行なっていった。文化服装学院の教員たちもまた婦人標準服の普及に努め、講習会を行なっていたという。ただし、単に機能的、節約的であるだけではなく、そこにお洒落の要素を取り込む工夫がなされている点は婦人服ならではだろう。被服協会はアジア・ヨーロッパの民族衣装、アジア各地の市民の平常服を蒐集し『被服』で紹介していた。昭和20年で戦争が終結せず、アジアの植民地支配が続いていれば、これらの研究成果が利用されることになったのだろうか。
戦後は物資が不足する一方で軍服を再生したり、放出された生地から洋服が仕立てられた。落下傘を解いて型染を施してつくられた女児の祝着など、とても興味深い資料だ。当時の落下傘には絹の羽二重地が用いられており、この着物には落下傘の継ぎ目を解いた跡が残っている。
衣服に焦点を当てて明治から昭和、戦後までを通覧することで、総力戦へといたるもうひとつの道筋が見えてくる。戦中の暮らしを取り上げる展示は多いが、その姿もこのように長期にわたる歴史に位置づけることで相対化される。かといって、ことさら軍国主義、全体主義といった社会状況を強調することなく、資料によって丁寧に歴史を追った構成も好ましい。「戦争法案」が国会で審議されるこの頃、私たち自身が歩んできた歴史を読み直すために、見るべき展覧会のひとつだと思う。[新川徳彦]
2015/07/15(水)(SYNK)