artscapeレビュー
伊島薫「あなたは美しい」
2017年05月15日号
会期:2017/04/15~2017/06/11
京都場[京都府]
80年代より広告やファッション写真で活躍しつつ、アーティストとしての発表も行なう伊島薫の作品は、「写真、女性、美」をめぐって極めて両義的である。代表作の《死体のある風景》シリーズは、ハイブランドの華やかな衣装をまとった女優やモデルが、都市空間や室内、自然の中で「死体」を演じる様子を撮影したものだ。このシリーズには、以下のような「解釈」が可能だろう。完璧なメイクと最先端のファッションを提示する商業写真に、タブーとされる「死(死体)」を組み合わせることで、ファッション写真のフォーマットを利用しつつ、それが規範化する「美/醜」の基準それ自体を撹乱する。「ファッション写真/凄惨な事故現場写真」といった写真ジャンルの区別を無効化させる。あるいはここに、目を閉じて横になる女優をひたすら写した《眠る 松雪泰子》を加えるならば、それらの写真は、「眠り」と「死」の写真における弁別不可能性を示唆し(写真=瞬間的な死)、写された光景がフィクションかどうかを判断する手立ては、写真それ自体には備わっていないことを自己批判的に提示する……。
こうした「美/醜」の基準や写真ジャンルの自明性への疑い、写真というメディアへの自己参照性を読み取ることが可能な一方で、これらの伊島作品は、写真におけるジェンダー的な視線の不均衡をより増幅・強化させる両義性を構造的にはらんでいる。「殺される無垢で美しいヒロイン」というイメージは、死体写真よりも映画のスチルを想起させる。《死体のある風景》シリーズは、シンディ・シャーマンの《アンタイトルド・スチル・フィルム》をより過激化かつ美的化かつ性化を推し進めたものなのであり、しばしば大きく脚を開き、争った痕跡のように衣服をはだけ、低いアングルから窃視的に写される彼女たちは、「眠れる美しい死体」として男性の欲望の視線に供されているのだ。そこで再生産されているのは、西洋絵画における「眠る女性」という主題とエロティシズムの結びつきであり、「死体を演じている」という設定を取り払えば、被写体が取るポーズはポルノグラフィックなそれと同質である。
本展で展示された《あなたは美しい》もプロブレマティックな作品だ。超高精細のデジタルカメラで撮影された女性のヌードが、10mを超える巨大な画像へ引き伸ばされ、目の前に屹立する。一枚の画像を拡大するのではなく、9分割して撮ったそれぞれを引き伸ばすことで、より高精細な画像が得られるのだという。ここでは、作品との距離の取り方によって、「見えるもの」が変化する。全体が一望できる十分な距離を取れば、無防備でありながらも非人間的なスケールで威圧感を与える、モニュメンタルな大きさのヌード像が出現する。9分割のフレームは、まるで檻の中に閉じ込められているような印象を与える。一方、作品に近寄ると、修正を一切加えていない画像には、剥がれたネイル、毛穴、吹き出物の跡、体毛の一本一本までが精密に写し取られており、「ヌード写真=美」という(男性の視線にとっての)価値観を裏切っていく。
だがそれは、デジタル修正が常識となったTVや広告写真に対して、「ありのままの肯定」を訴える素朴なものだろうか。「メディアに流通する、修正された美」へのアンチを提示したいなら、ここまで巨大化させる必然性はどこにあるのか。むしろ本作は、「超高精細のデジタル巨大写真」というアート市場における「商品」と、「女性ヌード」という「商品」という2つの魅惑的な商品をハイブリッドに掛け合わせ、対峙する者を「見ること」の終わりのない往還のうちに誘い込もうとするのだ。
2017/04/21(金)(高嶋慈)