artscapeレビュー

2017年05月15日号のレビュー/プレビュー

「I am an ‘object’」

会期:2017/03/10~2017/04/04

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

ZEN FOTO GALLERYのディレクターのアマンダ・ロの企画による「I am an ‘object’」展には、西村多美子、安楽寺えみ、殿村任香、Tokyo Rumando、萬一一、鄭 の6人の女性写真家、アーティストが出品していた。1948年生まれの西村から、台湾出身で1985年生まれの鄭 まで、年齢も国籍もキャリアもさまざまだが、「object」というテーマで彼女たちの作品をくくったことで、面白い展示が実現した。
「object」は日本語で言えば「対象」、「目的」であり、写真の「被写体」という意味でも使われる。彼女たちの作品にも、むろん「object」が登場してくるのだが、それらの用法はかなりかけ離れたものだ。西村や殿村のように「観察により対象の像を写し出す作品」もあれば、安楽寺やRumandoのように「写真家自身が被写体であり主体でもある作品」もある。また台湾出身の2人の写真家の作品は、「物体を組み合わせて主題のイメージを創り出す作品」に分類できるだろう。だが、写真を見ているうちに、その「object」の提示の仕方が、やはり男性写真家たちのそれとは違っているように思えてきた。端的に言って、女性写真家たちの「object」と写真家本人との距離はとても近く、ほとんど同化している場合すらある。その生々しい触覚的な表現には、思わずたじろいでしまうほどの切迫感があった。
ZEN FOTO GALLERYでは、普段は個展を中心に企画が組まれているが、時折開催されるグループ展もなかなか面白い。また別の角度から、女性写真家たちの仕事を取りあげてほしいものだ。

2017/04/01(土)(飯沢耕太郎)

ヴォルス 路上から宇宙へ

会期:2017/04/01~2017/07/02

DIC川村記念美術館[千葉県]

ぼくが「現代美術」を知った70年代には、ヴォルスをはじめアンフォルメルの評価はもっと高かったように思うが、その後、抽象表現主義の評価の高まりとは対照的に徐々に低下していったような気がする。これは戦後美術におけるフランス(パリ)とアメリカ(ニューヨーク)の覇権争いも関係しているかもしれない。ともあれ、すっかり忘れたころにやってきたヴォルス展だ。導入は、というより前半は写真。点数でいえば約4割を写真が占める。第二次大戦前から戦中にかけて撮られたもので、モチーフはマックス・エルンストらのポートレートをはじめ、道端に寝そべる浮浪者、ぬれた舗道、ウサギや鶏肉、野菜や果物など。なんのために撮ったのかわからないところがいい。撮った意図はあるけど、発表する意図はないみたいな。
絵のほうは1930年代末から亡くなる51年までの10年余りのもので、紙にグワッシュか版画(ドライポイント)が大半を占め、油彩は5点しかない。でもこの小さなグワッシュ作品がなんともいえず病的で、心に染み入る。これはヴォルスの生来の特異な資質と、戦中を敵国人としてフランスですごした特殊な状況が生んだ絵画であって、モダンアートの尺度で計ってもあまり意味がないように思う。写真と同じく、描くモチベーションは高くても、それを発表したり残したりする意志は薄かったんじゃないか。ヴォルスの作品は、15歳年上の世話女房(もはや死語)がいなければ世に出なかったかもしれない。

2017/04/01(土)(村田真)

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千田高詩との対話

会期:2017/03/27~2017/04/08

BankARTスタジオNYK[神奈川県]

長く横浜を拠点に活動を続けた千田高詩の生誕100年を記念する回顧展。戦前に東京美術学校を出て、50-60年代には読売アンデパンダン展に出品、来日したアンフォルメルの推進者ミシェル・タピエにも注目されたという。会場には「モダーン」という言葉が似合う抽象絵画が並ぶが、彼の功績は作品そのものよりもむしろ美術教育者としての側面にあるようだ。1965年に弘明寺に「創造のアトリエ」を開き、「ワークショップ」という言葉がなかった時代から創造性を重視する美術教育を実践。彼の提唱した「みんなみんなアーティスト」は、思想的背景は異なるとはいえ、世代的に近いヨーゼフ・ボイスの「人間はだれでも芸術家である」を思い出させる。世が世なら千田も世界的に影響力を持っただろうか。

2017/04/02(日)(村田真)

Subjective Photography vol.2 大藤薫

会期:2017/03/29~2017/04/15

スタジオ35分[東京都]

ドイツのオットー・シュタイナートが1950年代に提唱し、展覧会の開催や写真集の刊行などで、世界的に反響を呼んだのがSubjective Photography(サブジェクティブ・フォトグラフィ)。日本では「主観主義写真」と訳され、当時一世を風靡していた「リアリズム写真」に対抗する、新しい写真運動として注目された。1956年には日本主観主義写真連盟が結成され、「国際主観主義写真展」(東京・日本橋高島屋)も開催されている。広島市出身の大藤薫(おおとう・かおる、1927~)もその運動の担い手として活躍した一人で、シュタイナートが編集した写真集『Subjective Photography1』(1952)と『Subjective Photography2』(1954)にも作品が掲載されている。今回、東京・新井薬師のスタジオ35分で開催された個展には、ヴィンテージ・プリントから複写して焼き付けたニュー・プリント20点が展示されていた。
いま見ると「主観主義写真」には、戦前の「新興写真」のスタイルに遡ってそのスタイルを受け継いでいくという側面と、造形意識を研ぎ澄ませることで新たな写真表現を打ち立てていこうという意欲とが同居していたように見える。戦前に中国写真家集団の一員だった正岡国男の指導で写真制作を始めたという大藤の写真にも、やはり過去と未来とに引き裂かれていく当時の状況が反映されている。とはいえ、廃船を撮影したシリーズなど、現実世界をフォルムとテクスチャーに還元して再構築しつつ、まさに彼の「主観」的なリアリティが色濃くあらわれている作品もある。大藤に限らず、「主観主義写真」の運動の周辺にいた写真家たちの動向を、もう一度細やかに見直していく必要があるのではないだろうか。
なお、今回のスタジオ35分の展示は、昨年の「vol.1新山清」に続く「Subjective Photography」展の第2弾になる。さらに同時代の写真家たちの発掘を積み重ねていってほしいものだ。

2017/04/06(木)(飯沢耕太郎)

ストリートミュージアム

会期:2017/03/17~2017/04/16

東京ミッドタウン・プラザB1[東京都]

紅白のコーンを螺旋状に積み上げたり、頭が尖ってる人物や髪の毛で覆われた人物の木彫を並べたり、開けたトランクの中に水たまりをつくったり、みんな奇妙なイメージをかたちにしている。案内状には「プラザB1のストリートをジャック」なんて威勢がいいけど、作品はこぢんまり台座に乗せられて破壊力は希薄。これじゃ単なるディスプレイじゃないか。もっと暴れろよ。

2017/04/07(金)(村田真)

2017年05月15日号の
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