artscapeレビュー
チン・ユウジュウ「軍歌と恋歌」
2017年05月15日号
会期:2017/04/12~2017/04/23
元・淳風小学校[京都府]
「台湾語の流行歌が日本語の軍歌に改変された」という史実を基に、歴史、ジェンダー、文化的アイデンティティへの考察を織り交ぜた秀逸な映像作品。左側の画面には、無表情のまま遠くへ視線を送る若い女性たちが映され、右側の画面には、海から見た陸地、都市の河辺、波の打ち寄せる浜辺、そして穏やかな水面が淡々と映し出されていく。日本と台湾両国で撮られた、女性たちと水辺の情景の上に流れるのは、懐かしさとエキゾティックな印象を与える甘美な歌声である。逢えない恋人への思慕を月夜に歌う台湾語の歌が流れた後、同じメロディに乗せて日本語で歌われるのが、戦死の覚悟を決めて海の向こうへ出征した夫への想いと、「泣きはせぬ」という軍人の妻としての覚悟である。この2つの歌は、1933年に作曲された台湾語の流行歌「月夜愁(月の憂愁)」が、日本統治時代の台湾で1937年に始まる皇民化教育によって、日本語の軍歌「軍夫の妻」へと変えられた史実に基づく。
「恋歌から軍歌へ」というこの改変は、享楽的な世相を軍国主義へと塗り替えるとともに、支配者の言語へと同一化する、という二重性をはらむ。だが重要なのはそれだけではない。この改変から透けて見えるのは、巧妙に内包されたジェンダー的な意味づけである。「軍夫の妻」の歌詞は、確かに軍国主義的な要請によるものだが、「遠く隔てられた男女の別れ」という切ないシチュエーションを女性の視点から歌う、という点では元の「月夜愁」と同質である。元の流行歌の甘いメロディが勇壮な歌詞には向かなかったという事情もあるかもしれない。だが、単に勇壮で愛国的な歌詞に書き換えるよりも、恋愛感情を通して「国への忠誠」にすり替える操作は、より巧妙なジェンダー的仕掛けをはらむ。そこには、「国に従う夫」に従う妻、つまり国家>夫>妻というヒエラルキーが内包されているのであり、この歌を聞き、口ずさむ女性は、恋愛イデオロギーと国家イデオロギーの両方への奉仕を要請されているのだ。
だが、チン・ユウジュウの本作に登場する女性たちは、どこか彼方へと視線を送るものの、その口元は閉じられている。現在の日本、台湾の風景の中に佇む彼女たちは「歌ってはいない」のだ。そのことに気づいたとき、本作は、文化の改変・剥奪とジェンダーの巧妙な利用という歴史への注視とともに、それへの抵抗点として立ち現われるはずだ。
2017/04/21(金)(高嶋慈)