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キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017「Case 5: 散種」

2018年02月15日号

会期:2018/01/05~2018/03/11

京都国立近代美術館[京都府]

男性用小便器を用いたマルセル・デュシャンによるレディメイド《泉》(1917)の100周年を記念した、コレクション企画展。再制作版(1964)を1年間展示しながら、計5名のゲスト・キュレーターによる展示がリレー形式で展開される。最終回の「Case 5: 散種」でキュレーションを担当したのはアーティストの毛利悠子。毛利は、さまざまな日用品を音や光の出る機器と組み合わせ、オブジェたちが繊細でリリカルな即興演奏を奏でているかのような魅力的なインスタレーションをつくり出す。水やエネルギーの循環、自動運動機構に関心を持つ毛利は今回、デュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称《大ガラス》、1915-23)に着目。9人の男性独身者たちの性的な欲望がさまざまな装置を通過して抽出され、花嫁を刺激して脱衣させるという物語が、巨大な板ガラス上に奇妙な図像で描かれた《大ガラス》を、立体化・空間化する試みを展開した。

「《大ガラス》の立体化」の先例としては、例えばアプロプリエーションの作家、シェリー・レヴィーンによる《独身者たち》(1989)がある。レヴィーンは、《大ガラス》下部にある「9つの雄の鋳型」を金属やガラス製の彫刻につくり替え、一つひとつをガラスケース内に隔離。形象化された男性の欲望を安全に眺められるオブジェとして無害化し、かつ「眼差しに晒される商品」として欲望の主客を転倒させてしまう。

一方、毛利は、「花嫁」「3つのヴェール」「9つの雄の鋳型」「チョコレート磨砕機」「眼科医の証人」などと名付けられた《大ガラス》各部分に、自作の翻案的な装置、自然科学の模型、デュシャン自身の作品を当てはめて複合的に再構成した。特に、「9つの雄の鋳型」の部分には、デュシャン作品のミニチュアのレプリカを詰め込んだ《トランクの中の箱》と、精液で描かれた《罪のある風景》を配置し、密かな反撃を仕掛けている。また、《トランクの中の箱》の投入はジェンダーの言及だけにとどまらない。《トランクの中の箱》には《大ガラス》のミニチュアも含まれ、上部の「花嫁」の世界/下部の「独身者たち」の世界、そして上下を分断する「水平線」に対応するように、3つのレディメイドのミニチュアが収納されている。毛利は《泉》を含むこの3つのレディメイドを、立体化された《大ガラス》の横に再配置した。平面から3次元化された《大ガラス》の中にデュシャンの別作品を取り込み、さらにそこからもう一つの立体的配置を展開させる。一つの空間内に、入れ子状になった引用の連鎖が折り重なる。

《泉》の展示シリーズはこれで最終回となるが、「作家による個展であると同時に、コレクションの斬新な(時に反則的な)活用」という点でも興味深く、今後も同種の企画が続いてほしいと思う。


[撮影:守屋友樹]

2018/01/28(日)(高嶋慈)

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