artscapeレビュー
セシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョー『DUB LOVE』
2018年11月15日号
会期:2018/10/18~2018/10/20
ロームシアター京都 ノースホール[京都府]
KYOTO EXPERIMENT 2014で上演された『TWERK』では、クラブカルチャーとクラシックバレエ、猥雑さと技術的洗練のめくるめく混淆を強烈な音響とともに刻み付けたセシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョー。強靭な身体性と鍛え上げられたテクニックをベースに、サーカス的なアクロバティックな運動やショー・ダンス的な要素、クラブでの踊りを振付言語として取り入れ、またドラァグクイーンのメイクを参照することで、「バレエ」及び「ジェンダー」という制度やその境界を撹乱し、ダンスが超人的な身体能力や「性」を商品として見せる側面を軽やかに批評した。
今回、KYOTO EXPERIMENT 2018で上演された『DUB LOVE』で戦略的に用いられたのは、「トウシューズ」という装置である。冒頭、暗がりから現われた姿を見て、初め「女性ダンサー」であると思ったのは、「彼」がトウシューズを着用し、爪先立ち(ポワント)で近づいてきたからだ。本作では、女性のセシリア・ベンゴレアのみならず、フランソワ・シェニョーともう一人の肌の黒い男性ダンサーの全員がトウシューズを履き、それがもたらす身体運動の拡張性/拘束性と徹底して戯れる。とりわけ開幕早々、膝を曲げて両足を開いた「M字開脚」の姿勢を保ったまま、ポワントで立ち続けるシェニョーの芸(?)は圧巻だ。数分間、いやもっと続いただろうか。バランスを取るように水平に伸ばした両腕を動かしたりするが、下半身は微動だにせず、強靭な筋力に支えられていることが分かる。このポワントの「M字開脚」に加え、同じくポワントでの高速回転や、曲げた膝に手を置き前屈みで歩行する、といった動作が各ダンサーによって何度も繰り返される。それは、床から数十センチ浮き上がり、地上の肉体を縛る重力の軛から束の間解放された喜びの旋回のようでもあり、じっと何かの重みに耐えながら困難な歩行を続けようとする不屈の意志のようでもある。クラシックバレエの優美さとその畸形性、そして「トウシューズ」の逸脱的な使用法による身体運動の拡張性が同時に見せつけられる。
さらに、ここでの「トウシューズ」は、ドラァグクイーンがパフォーマンスで着用する「ハイヒール」の代替物でもあると言えるだろう。通常のクラシックバレエでは主に女性ダンサーが着用するトウシューズは、ジェンダーと強固に結びついた装置である(男性役/女性役を明確に分け、儚い妖精や悲劇のヒロインとして「女性」を描く一方、彼女の軽やかな飛翔を力強く支える「男性」を必要とするバレエの構造自体、ジェンダーの再生産装置でもある)。ベンゴレアとシェニョーはそれを逆手に取り、拘束具であると同時にジェンダーの境界を侵犯する装置としてトウシューズの着用を戦略的に選択する。もちろん、これは舞台公演である以上、彼らは観客の(好奇の)眼差しに晒されている(『TWERK』と同様、派手なアイメイクを施し、腕に付けたスパンコールを妖しく煌めかせるシェニョーの姿は、シンプルなレオタード姿ながらもドラァグクイーンを想起させる)。従って、舞台の片側の壁全面に貼られた鏡は、「バレエのレッスン場」を模すると同時に、ここが「眼差しの支配する場」であることを示唆してもいる。だが、ポワントの姿勢で手を取り合って支え合い、バランスを崩しそうになりながらも覚束ない歩みを進める3人は、ぎこちなくも三美神のダンスを思わせ、固い連帯の内に祝福し合っているように見える。それは、クィア、女性、有色人種という、「白人男性」の支配的カテゴリーから疎外され周縁化された者たちによる、困難な歩みと連帯の意志として映った。
そして、彼らの力強いダンス、「バレエ」や「ジェンダー」の制度を越境しようとする歩みを音響的に支えるのが、レゲエの音響加工技術である「Dub」とダブプレートDJによるライブパフォーマンスである。舞台奥には高さ約3mのスピーカーが壁のように組まれ、陽気でまったりとしたメロディと重低音のビートが鼓動のように流れ出す。終盤、ダンサー達が去った無人の空間を、ひと際大きく増幅された重低音のビートが包み込む。身体中の骨や関節にまで響いて感じられるそれは、ダンサーが発したバイブレーションの名残りのように私の身体に共鳴し、包み込んだ。
公式サイト:https://kyoto-ex.jp/2018
2018/10/18(木)(高嶋慈)