artscapeレビュー
喜井豊治展「壁画から天使まで」
2022年03月01日号
会期:2022/01/8~2022/01/29
ギャラリー華[東京都]
ぼくがモザイクに興味を持つようになったのは喜井豊治のおかげだ。数年前、彼が所属するモザイク会議の定期展にぼくを審査員として採用してくれたからだ。本来モザイクは床や壁に石のかけらを貼りつけて完成させるので、フレスコ画などと同じく「不動産美術」といえる。不動産美術は基本的に注文がなければ制作できないので、依頼主の要求に沿った職人仕事になり、表現内容はある程度制約されざるをえない。そこで多くのモザイク作家は展覧会に出したり売ったりするため、タブローとしてのモザイク画を制作している。モザイク会議の展覧会も、今回の個展も、そうした発表の場のひとつだ。
ついでにいうと、モザイク展の審査でぼくが重視したのは、いま述べたようなモザイクの成り立ちをどれだけ作品に反映しているか、そして、油絵でもフレスコ画でもないモザイクならではの新しい表現がされているか、という点だった。つまり、不動産美術の記憶を止めつつ現代を表現すること、それがタブローとしてのモザイク制作のモチベーションでなければならない、と勝手に考えていた。モザイクの素人がいうのもおこがましいが、今回の喜井の作品はまさにそれを実現しているように思えた。
その作品の多くは、灰白色の石の小片を部分的に規則正しく、部分的にランダムに並べ、ところどころ草花や火や水を表わす緑、赤、青などの石をはめ込んだもの。しかも外縁が矩形ではなく不定形なので、パッと見、瓦礫と化した廃墟の床を真上から俯瞰したような印象がある。彼がテーマにするのは「人のいない景色の物語」。自然破壊が進んで無人になった世界を表わしているらしい。例えば、青い石をうねるように並べた《クレージー水ドラゴン》は川の氾濫や大津波を、白い石から赤い石を炎のように立ち上らせた《山は燃え川は暴れる》は、大火事か火山の噴火を思わせる。不動産美術の記憶を蘇らせると同時に、現代または近未来の日本を暗示するような表現といえるだろう。だが、いちばん共感したのはその作品より、会場に掲げられた彼の言葉だ(以下、ステートメントから抜粋)。
「話すのも気恥ずかしい陳腐な自然破壊のテーマです。それでもこのテーマを選ぶのは、石のかけらを組み合わせた画面にドリルで穴を開け、ハンマーでたたいて壊し、また組み合わせる。そういう破壊衝動に意味を持たせるためです」
ここから読み取れるのは、モザイク作家としての恥じらいと矜恃だ。「破壊衝動に意味を持たせる」というのは、形而上的な表現内容と形而下の創作行為との埋めがたい距離を縮めようとする努力にほかならない。もうひとつ指摘しておきたいのは、「話すのも気恥ずかしい陳腐な自然破壊のテーマ」は、売れ筋ではないということ。彼の主な仕事は壁画制作であり、その一部は会場に写真パネルで紹介されている。東京を中心に各地の公民館や図書館、地下鉄駅などに壁画を設置しているが、見たところ「自然破壊」をテーマにした作品はないようだ。先述のようにモザイクは依頼主の希望に沿って制作されるので、自然破壊のようなネガティブなテーマは好まれない。そうした壁画では需要のないテーマを、彼はタブローとしてのモザイク画で実現させようとしているのだ。ここに彼の恥じらいと矜恃の理由がある。
2022/01/22(土)(村田真)