artscapeレビュー

欠片(かけら)~キンスキ・イムレ 写真の世界〜

2022年04月01日号

会期:2021/12/07〜~2022/03/31

リスト・ハンガリー文化センター[東京都]

おそらく多くの人にとっては、初めて聞く名前だろう。筆者も、キンスキ・イムレ(ハンガリーの名前の表記は姓―名の順)という写真家については、東京・麻布十番のリスト・ハンガリー文化センターでの展示を見るまでは、まったく知らなかった。

キンスキは1901年にハンガリー・ブダペストで、ユダヤ系の知識人の家に生まれた。大学中退後、ハンガリー繊維業協会で文書管理の職に就くが、熱心なアマチュア写真家として知られるようになる。だが、いくつかの写真家団体の会員として活動し、雑誌などにも寄稿していたが、結局写真家として大成することはなかった。ユダヤ人への迫害により、1945年に強制労働に招集されて移動中に44歳という若さで亡くなってしまったからだ。彼が残したネガは、遺族によって管理され、苛烈な戦後の時期をくぐり抜けて、近年になってようやく陽の目を見ることになる。今回の展覧会には、ブダペストのバラッシ・インスティテュートで2019年に開催された回顧展の出品作、55点から抜粋された20点の作品が展示されていた。

展示作を見ると、キンスキの写真家としての能力の高さがよくわかる。街頭スナップ、建築、人物、抽象的な影の写真など、被写体の幅は広いが、どれも瞬間の表情を的確な構図、シャープな描写で捉えている。何よりも素晴らしいのは、ブダペストにおける両大戦間のつかの間の都市生活の輝きが、いきいきと写しとられていることだろう。もうひとつ興味深いのは、彼が同時代のモダニズム写真の文法や美意識を積極的に取り入れていることだ。上から見下ろした俯瞰構図、光と影のコントラスト、長時間露光によるブレの効果、クローズアップなどの視覚的効果への着目は、同時期の日本の「新興写真」の作り手たちとも重なり合う。もし、彼が第二次世界大戦後も生きていたら、さらにスケールの大きな作品世界をつくり上げていったのではないだろうか。

ラースロー・モホイ=ナジ、アンドレ・ケルテス、マーティン・ムンカッチ、ロバート・キャパなど、海外で活動したハンガリー出身の写真家たちについては、日本でもよく知られているが、キンスキのように国内にとどまった写真家たちについてはほとんど情報がない。本展をきっかけに、ハンガリー写真の流れがよりクリアに見えてくることを期待したい。

2022/03/04(金)(飯沢耕太郎)

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