artscapeレビュー

2022年04月01日号のレビュー/プレビュー

石川幸史「The changing same」

会期:2022/02/22~2022/03/07

ニコンサロン[東京都]

1970-80年代にかけて、アメリカを中心に「ニュー・カラー」と称する写真のスタイルが話題を集めた。ウィリアム・エグルストン、ジョエル・スターンフェルド、スティーブン・ショア、リチャード・ミズラックらによる、主に中判~大判カメラで、アメリカ各地の風景をやや距離を置いて地誌的な視点で撮影した、カラー写真による一群の写真である。「ニュー・カラー」は、以後ヨーロッパや日本の写真家たちにも、強い影響を及ぼしていった。

石川幸史の「The changing same」は、その「ニュー・カラー」のスタイルを意識しつつ換骨奪胎したシリーズといえる。石川は2017-21年にかけて、東京の周辺地域を、まさに「ニュー・カラー」的な視点で撮影した。だが、そこには独特のバイアスがかかっている。乾いた風土のアメリカとは違って、日本を撮影すると、やや湿り気を帯びた空気感があらわれてくるのがひとつ。もうひとつは、石川がカメラを向けているのが、日本におけるアメリカ、つまり「内面化してきたアメリカ化とそれらがもたらす神話作用」を感じさせる被写体であるということだ。自由の女神、サウスダコタ州の4人の大統領の巨大モニュメント、アメリカ国旗などがちりばめられた光景を、石川は丹念に探索し、「ロード・ムービー」のように撮影していった。

その意図はよく実現しており、石川の批評的な眼差しのあり方が、写真にきちんとあらわれている。長い時間をかけた労作といえるだろう。今回の展示で一区切りというところだが、このシリーズをどのように完成させていくかについては熟慮する必要がありそうだ。「こんな面白い風景があった」ということで終わらせることなく、日本の現代社会における「アメリカ化」の諸相を、より多面的にあぶり出していってほしい。

2022/02/23(水)(飯沢耕太郎)

ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展

会期:2022/02/10~2022/04/03

東京都美術館[東京都]

これは楽しみにしていた展覧会。もちろん17世紀オランダ絵画に興味があるからだが、なによりフェルメールの《窓辺で手紙を読む女》が見たかった。一時は開催延期になってヤキモキしたけど、無事開催されてほっとした。この作品、日本で公開されるのは確か3回目だが、今回はなんと、これまでとは違う《窓辺で手紙を読む女》が来るのだ。どういうことかというと、近年の修復によって背景の壁に塗り込められていた画中画が「発掘」されたからだ。以前から壁に画中画が隠されていることは知られていたが、上塗りされたのが画家の死後であることが判明したため、オリジナル画面に戻したというわけ。だから今回は、装いも新たな《窓辺で手紙を読む女》の来日ということになる。

フェルメールは、窓辺で手紙を読んだり楽器を弾いたりする女性像を何点も残しているが、この作品がその出発点といわれている。だが、ほかの女性像と違って頭部が画面の中心よりやや下にあり、その上の壁の空白がやけに広く感じられたものだ。この空白が気になって、画面の上半分だけ模写したことがある(「上の空」シリーズ)。ところが今回、キューピッドの画中画が現われた画面を見ると、逆に上半分が窮屈に感じられた。しかもキューピッドは「愛」を暗示するため、女性の読む手紙が恋文であることが示唆され、絵のテーマが明確になってしまう。これだったら修復前の空白のほうが情緒が感じられるし、絵の意味も曖昧なままで、むしろフェルメールらしかったかもしれない。そう考えれば、画家の死後に壁を塗り込めた人の気持ちもわからないではないが、しかし画面のど真ん中にL字型の黒い額縁が加わることで、より強固な幾何学的構成が蘇ったのも事実だろう。

ひとつ気になったのは、画面上端の部分。修復前はカーテンを吊るレールの数センチ上まで描かれていたのに、現在は額縁に隠れて見えなくなっているのだ。あれ? と思ってカタログをよく見ると、上端だけでなく、下端も左右端も数センチずつ狭まっているではないか。つまり画面全体が微妙に縮んだというか、額縁の縁が内側に寄っているのだ。これも画面の四辺がフェルメールの死後、何者かによって描き加えられたことがわかったため、額縁で隠したのだという。この修正によってカーテンがより手前に迫り、錯視的効果が強まったように感じられる。それにしても、世界的に知られる古典的名作でこれほどの変更があるというのも珍しい。絵が描かれてから時間が経つほどオリジナルの状態に戻すのは難しくなりそうなもんだが、しかし一方で、時代が進むにつれて検査機器や修復技術が発達するため、復元しやすくなる面もあるのかもしれない。

関連レビュー

フェルメール展|村田真:artscapeレビュー(2018年10月15日号)

2022/02/24(木)(村田真)

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ダミアン・ハースト 桜

会期:2022/03/02~2022/05/23

国立新美術館[東京都]

ダミアン・ハーストの日本初の本格的な個展が「桜」とは、なんてシャレた冗談だろう。ダミアン・ハーストといえば、真っ二つに割った牛のホルマリン漬けあり、薬品を並べただけの棚あり、ダイヤモンドを埋め込んだ骸骨ありのお騒がせアーティストだが、それらをすっ飛ばしていきなり「桜」かよ。唐突にこれだけ見せられても、彼のことを知らない日本人には山下清か塔本シスコの再来かってなもんだ。いや、ダミアン・ハーストを知ってる者にとっても衝撃は大きい。ジェフ・クーンズと同じく作品は他人につくらせることが多かっただけに、本人は絵がヘタなんじゃないかと密かに心配していたが、まさかこんなに稚拙だとは思わなかったからだ。

出品は、2×3メートルほど(最大で549×732センチ)の大画面に桜を描いた油彩画24点。いずれも水色に近い青空を背景に、こげ茶色の幹や枝が伸び、上からピンクや白、赤、青、緑などのドットで覆っている。1点1点ニュアンスを変えてはいるものの、空は青、幹は焦げ茶色、花はピンクという小学生並みの色づかいが陳腐きわまりない。もちろんガキの絵とは違って、ピンクの上から青やこげ茶を置いて地と図を反転させたり、点描派よろしく補色を交互に並べたり、絵具の飛沫や滴りを強調してアクション風味を利かせるなど、絵画的効果を高める努力をしていることは見てとれる。でも逆にそれが計算高く感じられるのも事実。だが幸か不幸か、そうした稚拙さや計算高さによって、このシリーズが職業画家に描かせたものではなく、紛れもなくダミアン・ハースト自身の手になるものであることが証明されるのだ。

もうひとつありがたいのは、見ていて楽しくなること。それはモチーフが桜であること、描き方がプリミティブであることに加え、本人が嬉々として描いていることが伝わってくるからだ。これは大切なことで、たとえば色違いの円を規則正しく並べるだけの「スポット・ペインティング」ではこうはいかない。思うに彼は「スポット・ペインティング」を量産することに飽きて、自分でベタベタ絵具を塗ってみたくなったのではないか。ひとつ提案だが、欧米の美術館がよくやるように、展覧会の会期中パーティー会場として貸し出してはどうだろう。花見気分できっと盛り上がるはずだ。名称はもちろん「桜を見る会」。

2022/03/01(火)(村田真)

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Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものがたり―

会期:2022/02/02~2022/03/21

大阪中之島美術館[大阪府]

昨年、国立国際美術館を訪れたら隣に黒い大きな箱が建っていたので驚いた。そういえば、これがウワサの大阪中之島美術館か、ようやくできたんだと納得。中身はさておき、建物だけは目立ちたがる日本の美術館にあって、隣の国立国際は地下に埋め込まれているし、当館はブラックボックスだし、この一角だけはあまり目立たない。いや、意外とこのブラックボックス、よく目立つかも。

それにしても長かった。バブルのころから大阪に近代美術館の建設構想があるという話は聞いていたし、その準備室の学芸員にも何人かお会いしたことがある。だが、バブル崩壊後の長引く不況で計画は宙に浮き、学芸員も他館に移動したり退職したり三々五々。このまま永遠に開館しない「幻の美術館」で終わるんじゃないかと心配したもんだ。そもそもの始まりは1983年、大阪市制100周年を記念して近代美術館構想が発表され、佐伯祐三の作品を核とする山本發次郎コレクションが寄贈されたこと。1990年には準備室が設けられ、コレクションも寄贈や購入により増えていったが、景気の低迷に伴い計画は紆余曲折を余儀なくされた。ようやく10年前に大阪の心臓部ともいえる中之島に建設が決定し、昨年には遠藤克彦建築研究所の設計による建物が竣工。今年2月2日に一般公開となった。

コレクションはおよそ6,000点で、日本と西洋の近現代美術と、椅子やポスターなどのデザインが2本柱。開館記念展ではそのなかから、佐伯祐三をはじめ上村松園、小出楢重、吉原治良ら主に関西の画家の作品、モディリアーニ、ユトリロ、マグリットら西洋の絵画、ロートレックやボナールのポスター、マッキントッシュやリートフェルトらの椅子など約400点を選んでお披露目している。新しいところではゲルハルト・リヒター、ジャン・ミシェル・バスキア、森村泰昌、やなぎみわら、古いところでは、なぜかアルチンボルドの作品も。日本と西洋、近代から現代、美術とデザインと幅広く集めているが、これが30年前ならまだしも、21世紀も20年以上が経過したいまとなっては遅きに逸した感もある。いまさらエコール・ド・パリでもないし、現代美術やデザインの収集も珍しくなくなったし。

一方、出品作品でいちばん興味を惹かれたのは、国枝金三と青木宏峰による《中之島風景》や、池田遙邨の《雪の大阪》、小林柯白の《道頓堀の夜》、島成園の《祭りのよそおい》や木谷千種の《をんごく》といった、関西の画家による戦前の大阪の風景や風俗を描いた絵だ。1点1点はどこかで見たことあるけど、こうしてまとめて見るのは初めてのことで新鮮に感じられた。考えてみれば、大阪には大規模な美術館として戦前からの市立美術館と、郊外から移転してきた国立国際美術館があるが、前者がもっぱら団体展や巡回展の会場となり、後者が文字どおり国際的な現代美術に特化しているため、地元ゆかりの美術作品を見る機会は限られていた。この美術館にはその隙間を埋め、東京では見られない(また、京都とも少し違う)なにわ美術のアーカイブと、これからの大阪のアートシーンを牽引していく活動を期待したい。

関連レビュー

クリエイティブアイランド中之島、大阪中之島美術館 |五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年11月15日号)

2022/03/02(水)(村田真)

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アントワン・ダガタ「VIRUS」

会期:2022/02/03~2022/03/06

MEM[東京都]

フランスの写真家、アントワン・ダガタは、これまでも生と死の境界領域の事象をテーマとして作品を制作・発表してきた。その彼にとって、2020年から世界中を覆い尽くしたコロナ禍の状況は、避けて通れないものだったのではないだろうか。2020年3月にフランス全土のロックダウンが始まった、その時期から制作が開始された本作「VIRUS」は、まさに強い必然性を感じさせる作品として成立していた。

ダガタは、被写体の温度を感知して色彩のスペクトラムとして表示するサーモグラフィを写真画像として提示することを試みる。人気のない都市の街路と建物(路上生活者の姿だけが見える)、及び新型コロナウィルス感染症の患者たちが運び込まれて治療を受けている病院の内部を、サーモグラフィを使って撮影した画像が交互に並ぶ構成は衝撃的であり、強い説得力を持つ。同年7月のアルル国際写真フェスティバルでの展示(その後、メキシコ、スペイン、イタリア、中国、韓国、ウクライナに巡回)では、1,111枚のプリントをモザイク状に並べるインスタレーションの形で発表された。今回のMEMの展示はスペースの関係で33点のみだったが、ハンネミューレのミュージアム用紙に、やや色が滲むようにプリントされた写真群は、圧倒的なパワーを発していた。

多くのアーティストたちにとって、「コロナ時代」の意味を問い直していかなければならない時期が来つつあるいま、ダガタの仕事は、コロナ禍を写真でどのように捉え、表現していくかを推し量る指標となるのではないだろうか。

2022/03/02(水)(飯沢耕太郎)

2022年04月01日号の
artscapeレビュー