2022年09月15日号
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artscapeレビュー

ディミトリス・パパイオアヌー『TRANSVERSE ORIENTATION』

2022年09月15日号

会期:2022/08/10~2022/08/11

ロームシアター京都 サウスホール[京都府]

2019年の初来日で反響を呼んだ『THE GREAT TAMER』に続く、ギリシャ人演出家ディミトリス・パパイオアヌーの最新作の日本ツアー。台詞が一切ないまま、ギリシャ彫刻のように鍛え上げられたダンサーの身体美により、西洋美術や聖書、ギリシャ神話を思わせるイメージが次々と「活人画」として美しくもナンセンスに展開する魔術的なトリックは本作でも健在で、(後述する「開口部」の存在も含め)続編的といえる。タイトルの「TRANSVERSE ORIENTATION」とは、「蛾などの昆虫が、月などの遠方の光源に対して一定の角度を保ちながら飛ぶ感覚反応」を指し、光源が近距離の人工の光に替わると、角度が狂うという。

本作は2種類の「光(源)」の演出が印象的だ。舞台装置は一見シンプルで、上手側にドアと水道の蛇口、下手側の高所に1本の蛍光灯が付けられた横長の「壁」が設置されている。無機質な青白い光を放つ蛍光灯は、警告を発するようにバチバチと音を立てて明滅を繰り返し、何度も「修理」される。一方、オレンジ色の光で舞台を満たす投光機が台車に載せて運び込まれ、ダンサーたちのシルエットを動く「影絵劇」として変容させ、何度も観客席に向けて投射され、見る者の目をまばゆく眩ませる。光/影の対比、無意識の闇に対する理性としての光、その危機的失調、イリュージョンを生み出す光(源)など、本作のテーマが凝縮される。



[© Julian Mommert]


『THE GREAT TAMER』では、ベニヤ板を張り重ねた「舞台」の上で西洋美術史や聖書、神話から抽出したイメージが「白人の身体(ヌード)」によって演じられる一方、その「ヨーロッパの歴史的地層」のあちこちに開けられた「穴」「開口部」から、バラバラ死体や骸骨などグロテスクなイメージが噴き上がり、「ヨーロッパの抑圧された下部」を示唆していた。本作でも、「壁のドア」の向こう側から、「極端に小さい頭とひょろりと長い腕をもつ真っ黒な人間(?)たち」「スーツ姿に牛の頭部をもつミノタウロス」といった奇妙な者たちが「光の照らすこちら側」にやって来る。あるいは、ドアを開けると、向こう側は巨大な白い石を積み上げた壁で塞がれ、その「石」がこちら側に人間もろとも延々と吐き出され、奔流となって飲み込んでしまう。垂直から水平に置き換わったこの「ドア」は、「ヨーロッパ」という「理性の世界(光)」が抑圧してきた「無意識」「暗部」「異界的狂気」への通路なのだ。

また、『THE GREAT TAMER』と同様、上半身+下半身、右半身+左半身を「合体」させたダンサーによる「両性具有者」「半人半馬のケンタウロス」や「男性の人魚」といったジェンダーや種の境界を撹乱する身体が跋扈する。牛頭人身のミノタウロスは剣を持った男(テセウス)に「断首」(=去勢)されるが、後半でテセウスは、腕に抱えた牛頭から舌の愛撫を受けて悶絶する。



[© Julian Mommert]


ただ、前作以上に強く感じたのは、「ヨーロッパの精神文化が(真に)抑圧してきた二項対立かつ非対照的なジェンダー構造」はむしろ温存され、男性中心主義的視線がより強化されている点だ。ブラックスーツに身を包み、匿名化・均質化された男たちと、癒しであり欲望の源泉でもある「水」を与える神聖化された(唯一の)女性。男たちの集団は「巨大な黒牛」のシルエットと同化し、脚や尻尾を本物の牛のように操りながら、「闘牛」「野生の調教」に従事する。一方、荒ぶる牛の背に全裸でまたがり、股間の果実を裸の男に与える女は、エウロペかつエヴァであり、「男に略奪される女/男を誘惑する女」という両極に定型化されたイメージを二重に身にまとう。老いて太った全裸の女が杖をつきながらゆっくり舞台上を横切り、ドアの向こうに姿を消した一瞬後、ドアが開くと「均整の取れた肢体の若い女」に入れ替わっているシーンはマジカルだが、なぜ、女性のみ、「老/若」「醜/美」の対で眼差されるのか。

母乳か精液か判然としない白い濃密な液体を滴らせる聖母。「生きた噴水彫刻」として男たちのグラスに水を与える女性像。「水と女性」という定型化されたテーマは終盤、アングルの《泉》のように水を床に落下させ続ける女に変奏され、やがて水もろとも「床の下」に姿を消してしまう。スーツの男たちが床板を剥がすと、島影の映る美しい海景が現われる。照明が星のまたたく夕凪ぎの海を出現させ、スーツを脱いだ裸の男がその光景を見つめ続ける。舞台を文字通り支える物理的基盤であると同時に、イリュージョンを支える透明化された基盤が剥がされるが、その「イリュージョンの崩壊」自体が「幻想的な夕暮れの海景」という別のイリュージョンをつくりだす。だがそれさえも、「壁のドア」を開けて去っていく裸の男によって、文字通り亀裂を入れられる。上演中、常に「こちら側」に向けて開けられていたドアは、ラストで初めて「向こう側」の暗闇に向かって開かれた。(危険な)ドアは開け放たれたままだ。だが、(強固に蘇る)イリュージョンを自己破壊し、通路を自らの手で開いた「彼」は、「向こう側の抑圧された世界」とは何であるかに本当に気づいていただろうか。



[© Julian Mommert]




[© Julian Mommert]


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ディミトリス・パパイオアヌー『THE GREAT TAMER』|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年08月01日号)

2022/08/10(高嶋慈)

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