artscapeレビュー
中野成樹+フランケンズ『EP1(ゆめみたい)』
2022年09月15日号
会期:2022/09/11, 23
個人的なことは政治的なことである。演劇の実践もまたその渦中にある。中野成樹+フランケンズ(以下ナカフラ)が「20年かけて『ハムレット』を最初から最後までゆっくりたどっていく企画」の第一弾『EP1(ゆめみたい)』(原作:シェイクスピア『ハムレット』より、作・演出:中野成樹)はそのことを正面から引き受けようとする試みだ。
前作『Part of it all』でナカフラは「現状のメンバー全員が、 ①日常生活を維持しながら無理なく参加できる ②あるいは、積極的に不参加できる」という二つの指針に基づき準備を行ない、結果として上演の場にメンバーの子供たちの姿があるような公演が実現することになった。20年かけて『ハムレット』を上演するという今回の企画はその延長線上にあり、より長いスパンで生活と演劇とを撚り合わせる試みだと言えるだろう。中野は今回の試みをEP=extended play(ing)と呼んでいる。演劇の時間が限りなく、とまでは言わずとも20年という長さにまで拡張されたとき、それと生活の時間との、あるいは人生との関係はどのようなものになるだろうか。
『EP1(ゆめみたい)』として上演されるのは原作『ハムレット』の1幕5場にあたるシーンまで。以下では各シーンの内容に触れていくが、今作は9月23日(金・祝)に2回目の上演が、10・11月にも同内容での上演が予定されているので注意されたい。気になる方はホームページで作品の冒頭部にあたるシーン1「今 半透明」の戯曲も公開されているのでそちらをチェックするのもいいだろう。今作では原作において重要なモチーフとなる亡霊を軸に、見えない(ことにされてきた)ものの存在や陰謀論など、『ハムレット』の今日性が引き出されていくことになる。
会場に入ると舞台(となるであろう空間)では公演関係者とその子供たち(と思われる人々)がおもちゃを広げて遊んでいる(ということは拡張されるのは演劇ではなく子供の遊びの方なのかもしれない)。やがておもちゃが一旦片づけられると前説(斎藤淳子、出演者と配役は回によって異なりここでは9月11日の回の配役を記す、以下同様)がはじまり、今回の公演では子供たちがいてその行動は予測不能であること、諸々の事情で公演に参加していないメンバーがいることなどが告げられる。「いなくてもいい人の出席」と「いなくちゃいけない人の欠席」という表現からしてすでにすこぶるハムレット的である。なにせ、いるかいないか(To be, or not to be)、それが問題(?)なのだから。
シーン1および1.5「だから半透明」は原作の1幕1場を踏襲し見張り同士の会話の場面。「例の亡霊」が出たか否かという会話も交わされるものの、バナードー(野島真里)はいまいち要領を得ない様子でフランシスコー(佐々木愛)との会話も噛み合わない。「オカルトは、政治と連んでろって」と言うホレイショー(石橋志保)に対し、マーセラス(森唯人)は陰謀論は「それほど嘘じゃない気がする」と亡霊=陰謀論説を持ち出したりもする。しかしようやく亡霊が登場するに至り、世界は反転する。亡霊と思われた人物が、あたかもバナードーたちこそが亡霊であるかのように「誰だ! 何のため、姿を見せた?」と誰何するのだ。「俺たちが、亡霊にされている……?」「不具合の原因にされている……!」と彼(女)たちは言うが、さて、見えていないものは、不具合の原因は真実のところ果たしてどちらにあるのだろうか。ここには再び生活と演劇の関係も重ねて見ておくべきだろう。そこでは何が見えておらず、不具合の原因は果たしてどちらにあるのか(それは本当に不具合か)。「見え(てい)ないもの」は『Part of it all』から引き継がれたテーマでもある。
シーン2はクローディアス(洪雄大)とガートルード(小泉まき)による記者会見の設え。官僚の不倫騒動など現実の出来事を下敷きにしたと思しき場面はコミカルにアイロニカルだが、ここは「個人的なことは政治的なことである」という言葉がその本来意味するところとは異なる、悪しきかたちで体現された場面でもある。かつて物語の主人公は王侯貴族であり、そこでは個人的なことはつねにすでに政治的なことであった。だが、現代の権力者たちは政治を私物化することによって「個人的なことは政治的なことである」を実現してしまっている。
続くシーン3「お正月」で描かれるボローニアス(中野)、レアティーズ(新藤みなみ)、オフィーリア(端田新菜)のやりとりもまた、家族の会話でありながら政治的なものであることからは逃れられない。そしてこの場面では子供たちが舞台に戻り、正月の親戚の集まりさながら舞台上でわいわいと遊んでもいる。切っても切れない政治と家との、そして演劇と生活との関係がそこで絡まり合っている。
再び見張りの場面を挟んで先代ハムレット王の亡霊(福田毅)とハムレット(竹田英司)の対話(だがそこに滲むのはごくごく個人的な感情のようだ)で『EP1(ゆめみたい)』は一旦終わる。しかし物語は閉じず、生活も続く。決してオールオッケーではない、ひとまずのplayの区切り。
中野成樹+フランケンズ:http://frankens.net/
関連レビュー
中野成樹+フランケンズ『Part of it all』|山﨑健太:artscapeレビュー(2021年09月15日号)
2022/09/11(日)(山﨑健太)