artscapeレビュー

浅沼光樹『ポスト・ヒューマニティーズへの百年──絶滅の場所』

2023年04月15日号

発行所:青土社

発行日:2022/12/26

本書のもとになったのは、雑誌『現代思想』に連載された「ポスト・ヒューマニティーズへの百年」である(2020年1月号から2022年3月号まで)。本書の「あとがき」にあるように、連載時から大幅な加筆修正がなされているが、かくも壮大な思想史的試みが途絶せず一書にまとめられたことを、まずは言祝ぎたい。

本書の表題における「ポスト・ヒューマニティーズへの百年」とは、第二次世界大戦前から今日までの約一世紀にほぼ重なると見てよい。著者・浅沼光樹(1964-)は、思弁的実在論をはじめとする今日の現代思想──そこでは副題にもある「絶滅」が、ひとつの主要な問いを構成している──を論じるにあたり、まずはそこにいたるまでの思想の場面をたどることから始める。それが本書第一部「二〇世紀前半」の内容である。そこで論じられるヤスパース、ハイデガー、田邊元、ジャンケレヴィッチ、西田幾多郎、パースといった面々をつなぐひとつの固有名──それが「シェリング」である。

フリードリヒ・シェリング(1775-1854)は、カント、フィヒテ、ヘーゲルらと並び、ドイツ観念論を代表する哲学者のひとりである。弱冠15歳でテュービンゲン神学校に入学を許可され、卒業後まもなく幾冊もの著書を執筆、20代のはじめにはすでに大学の教壇に立っていたこの早熟の哲学者は、カントやヘーゲルに比べるとその一般的な知名度ははるかに劣る。しかし近年、専門家による地道な研究の甲斐あってか、このシェリングの哲学体系が新たに注目を集めつつあるのだ。

事実、今世紀に入ってからの現代思想は、さながら「シェリング・ルネッサンス」の様相を呈している。とりわけマルクス・ガブリエル(1980-)、イアン・ハミルトン・グラント(1963-)の2人をその代表格として、ここのところシェリング再評価の気運は留まることを知らない。本書の著者もまた、シェリングを専門とする研究者のひとりとして、現代において甦ったシェリングの思想をさまざまな仕方で「使用」していこうとする。このあたりの経緯は第二部「二〇世紀後半から二一世紀初頭にかけて」に詳しい。そこでは、ホグレーベ、ジジェク、ガブリエル、ドゥルーズ、グラントにおけるシェリングの(隠れた)影響が指摘され、現代思想におけるシェリングの重要性が(再)確認される。

その重要性とは、端的に言っていかなるものなのか。著者の見立てでは、カントからヘーゲルへといたるドイツ観念論の「ループ」のなかで、その中間にいるシェリングこそが、この終わりなきループからの脱出の鍵を握っている。ただし本書では、この仮説の証明にすべてが捧げられることはなく、むしろ19世紀から21世紀にかけてのさまざまな哲学者の仕事のうちに、このシェリングの隠れた痕跡が見いだされていくのだ。前述のように、ハイデガー、ジャンケレヴィッチ、ドゥルーズといった大陸哲学の重鎮たちはもちろんのこと、そこから時間的・地理的に隔たった京都学派(西田幾多郎、田邊元)や思弁的実在論(メイヤスー、ブラシエ)の面々についても、それは例外ではない。おそらくほとんどの読者にとって、近現代哲学におけるシェリングの存在感をこれほどまでに感じさせてくれる書物はかつてなかったのではないか──本書を読んでいると、そのように思わされる。

とはいえ、本書はシェリングやポスト・シェリングの哲学について、まとまった論証をおこなうといった性格の本ではない。平明な書きぶりながら、しばしば大胆な飛躍を厭わない議論の連続なので、読者はテンポよく移り変わる話題の節々から、自分で何らかの糸口を見いだすことが求められるだろう(とりわけ第三部「ニヒリズムの時代」にそれは顕著である)。いずれにせよ本書『ポスト・ヒューマニティーズへの百年』が、ガブリエルをはじめとする現代思想のルーツ(のひとつ)としてのシェリングへと赴こうとする読者に対し、さまざまな示唆を与えてくれるものであることは確かである。

2023/04/03(月)(星野太)

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