artscapeレビュー
絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から
2010年03月01日号
会期:2010/01/16~2010/04/04
国立国際美術館[大阪府]
ゼロ年代の特徴である具象的な傾向の強い絵画作品を集めた展覧会。草間彌生をはじめ、O JUN、奈良美智、会田誠といったベテランから、厚地朋子、坂本夏子、後藤靖香といった80年代生まれの新進アーティストにいたるまで、28名による200点あまりの作品が一挙に展示された。同美術館の全展示室を一人ひとりのアーティストのために規則的に整然と区切っているため、(学芸員による企画展にありがちな)異質な絵画を同居させることによるショック効果より、ゆっくりと丁寧に絵画を鑑賞させることをねらっていたようだ。じっさい、展観をじっくり見通して思い至るのは、ここにはかつてのアートにとっての中心的なイデオロギーとして機能していた「見ること」や「描くこと」をめぐる制度批判が微塵も見られない代わりに、描写することの全肯定ともいうべき無邪気な振る舞いがあるということだ。企画者がいうように、それが「欧米の美術史の文脈のみに縛られない解放感」をもたらした「かつてない地殻変動」であることはまちがいない。けれどもその一方で、それにしては展示された絵画作品が偏っていたのが気になった。スーパーフラットやマイクロポップの系譜を逸脱しない絵画が大半で、ゼロ年代の大きな特徴である新たな日本画や、明らかに著しい成果を残した細密画の動向、さらには淺井裕介の泥絵や大空に落書きを描いたChim↑Pomなどのように、最初から保存して残すことを念頭に置かない絵画、社会運動や政治運動と深く連動した絵画など、従来の絵画観ではとらえきれないような絵画は含まれていなかった。だが、近年の具象的な傾向とは、抽象/具象、洋画/日本画、タブロー/ドローイングといった制度的な分類に通底する大きな流れであり、だからこそそれは絵画のありようを根底的に変えてしまったことが明らかである以上、ゼロ年代の絵画を回顧するのであれば、そこには当然首尾一貫した傾向より、雑然とした異種混淆性が際立っているはずではないだろうか。ゼロ年代の絵画を絵画から振り返ることが難しいところにゼロ年代の絵画の特徴があるのだ。その意味でいえば、同展のなかでその困難な条件を体現していたのは、森千裕だけである。ほとんどの絵画作家が自己に固有の表現形式を追究することで個別の画風を醸し出していた反面、森千裕は全体的な雰囲気は統一されているものの、一つひとつの作品をそれぞれ別々のタッチで描き出した。水彩の絵もあれば、色をべったり塗りつけた絵もあり、落書きのようなドローイングもあれば、平面をあっさり飛び越えて粘土彫刻のような立体作品もある。同展の全体にゼロ年代の混沌を見出すことはできなかったが、森千裕の作品のなかに結果的に現われていたのは、救いである。
2010/02/09(火)(福住廉)