artscapeレビュー
飴屋法水『わたしのすがた』
2010年12月01日号
会期:2010/10/31~2010/11/28
にしすがも創造舎とその周辺[東京都]
にしすがも創造舎を起点に、観客が自分の足で周辺にある廃墟を三軒めぐるというのが、この演劇のストーリー。いや、正確には「ストーリー」はなく、そこにあるのはほぼ「コース」のみ。「ストーリー」に近いものがあるとすれば廃墟に点在する貼り紙くらいで、そこには聖書が基となっていると思しきシチュエーションにおいて「主」へ向けた「わたし」の独白が綴られている。恐ろしく朽ち果てた民家、小さな教会、病院。出発地の元中学校も含め、劇場=廃墟はどこを見ても、かつてそこに暮らしまた行き来していたひとの痕跡が空間にあふれかえっていて、不気味だ。おばけのいないおばけ屋敷のよう。すべての小物、柱や壁の傷、建物に巻き付く植物たちは、ただそれがそこにあるというだけでなにかしら見るべき出来事に見えてくる。小さな教会の大きめの部屋に巨大なスズメバチの巣が吊られているなど、演出は無数に施されている。けれども、同時に、ただの廃墟めぐりとどう違うのかとも思わされる。この仕掛けのどこがもっとも演劇的かといえば、廃墟を出るたびに渡される、次に向かうコースの記された地図だったのかもしれない。地図に誘導されることで町並みは劇場と化し、廃墟は貼り紙とも相まって無数のサイン(隠喩)を帯びたものに見えてくる。Port Bの『完全避難マニュアル 東京版』もまた、山手線の各駅周辺を舞台にしている。ぼくは「代々木」しか見ることができなかったが、街にある店の名前や看板の文句などの記された「台本」(専用ウェブサイトからプリントアウトして持参した)を頼りに、観客が店や看板を発見しながら進む作品だった。「フェスティバル/トーキョー10」のテーマ「演劇を脱ぐ」を強く意識させるこの2作が、役者不在、観客が街を歩くだけの作品であることは興味深い。Port B(本作の「代々木」)が街に潜在するものを意識させるマテリアル指向が強いとすれば、飴屋作品の場合それと独白とをブレンドさせることで観念的な指向が際立った。街を舞台にする作家としては岸井大輔も忘れてはならないが、彼らの取り組みによって、この方法の振り幅が明らかになり、それによって一層ユニークな試みが生まれてくる予感を抱いた。
2010/11/23(火・祝)(木村覚)