2019年12月01日号
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artscapeレビュー

2013年07月01日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:ART OSAKA 2013

会期:2013/07/20~2013/07/21

ホテルグランヴィア大阪 26階[大阪府]

今年で11回目を迎える、関西を代表するアートフェア。大阪・梅田のホテルのワンフロアを会場に、国内外の52画廊が出品する。ホテルという日常空間に近い環境で趣向を凝らした展示を行なうことにより、アートを買って楽しむファンをひとりでも増やすことが使命だ。今年は関連企画も充実しており、松谷武判、堀尾貞治、今井祝雄ら具体美術協会ゆかりの作家たちの展示や、フランスの公募展「ジュクレアシオン」から選出された若手フランス人アーティストの展示なども行なわれる。美術館とも画廊とも違うアートの楽しみ方を求めている人に、アートフェアをおすすめしたい。

2013/06/20(木)(小吹隆文)

プレビュー:堂島リバービエンナーレ2013“Little Water”

会期:2013/07/20~2013/08/18

堂島リバーフォーラム[大阪府]

2009年から始まった同ビエンナーレも、今年で3回目を迎える。初回は南條史生(森美術館館長)、2回目は飯田高誉(青森県立美術館チーフ・キュレーター)をアーティスティック・ディレクターに招いたが、今回その任に当たるのは、台湾出身のキュレーターでテート・ギャラリーのアジア太平洋購入委員会委員を務めるルディ・ツェンだ。彼が打ち出したテーマは「Little Water」。これは会場が大阪市内中心部を流れる土佐堀川沿いにあることと、アジアの多くの文明が川沿いで生まれ発展したことに因むものだ。水の意味を再考し、農業・文学・エコロジー・人間の感性などに占める水の役割を探究することがテーマとなる。出品作家は、ダグ・エイケン、藤本由紀夫、畠山直哉、石田尚志、ウィリアム・ケントリッジ、ヴォルフガング・ライプ、リー・ミンウェイ、杉本博司、チーム・ラボなど28組。この面々を見るだけでも、十分期待できることがおわかりだろう。

写真:ユェン・グワンミン《Disappearing Landscape-Passing II》

2013/06/20(木)(小吹隆文)

プレビュー:大竹伸朗 展「ニューニュー」「憶速」「女根/めこん」

[香川県]

ニューニュー:2013/07/13~11/04、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
憶速:2013/07/17~09/01、高松市美術館
女根/めこん:2013/07/20~09/01・10/05~11/04、女木島

現在、ヴェネツィア・ビエンナーレの企画展に出品中の大竹伸朗が、7月に香川県で3つの展覧会を同時開催する。ひとつ目は丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での個展「ニューニュー」。これは大竹の現在に焦点を合わせ、大型インスタレーションやペインティング等の新作を発表するものだ。二つ目は高松市美術館での個展「憶速」。こちらは「記憶」「移動」「速度」と創作の関連性を切り口に、新作、近作、未発表作を展示する。そして三つ目は「瀬戸内国際芸術祭2013」の女木島で展示されている《女根/めこん》が、さらにバージョンアップして登場する。これだけの規模で大竹の作品が見られるのは、2006年に東京都現代美術館で行なわれた「全景」展以来ではなかろうか。もちろん「瀬戸内現代芸術祭2013」夏会期も同時期に行なわれる。これはもう、真夏の香川県に行くしかないだろう。

2013/06/20(木)(小吹隆文)

小松亨『シスターモルフィン』

会期:2013/06/21

森下スタジオ[東京都]

世界を横断しながら活動を続ける(結果、日本での活動は控え目なのがもったいない)舞踏家・室伏鴻の作・演出・振付による作品。とはいえ、土方巽の晩年に薫陶を受けたという小松亨の身体所作には、その時期の土方独特の〈徴〉が強く刻まれており、まるで小松の身体の上で室伏と土方がつばぜり合いをしているかのように見えた。いや、もう少し冷静に読みとるべきかもしれない。土方仕込みの身体で自分の踊りたい欲求を舞台に発露する小松に、室伏のアイディアが衝突し、小さな摩擦を残してすれ違った、そんなところか。冒頭、白い布を被った小松がゆっくりとしゃがんだ姿勢から立ってゆく。布の奥で瞳が被虐性をほのめかす。立った姿勢で首を微妙に傾けると、ベーコンの自画像のように布のヒダが顔を歪める。そこに被虐の感触は一層際立ってくる。次のシークェンスでは、口から真珠がこぼれる/真珠をこぼす。全部で100粒ほどが、ぽろぽろとこぼれ、床に散らばる。布も真珠も室伏の作品にふさわしいアイテムなのだが、室伏が自分のソロ作品で用いるならば出てくるニュアンスとは微妙に違う。室伏が用いるとき、諸アイテムは自分とは別の生命をもったもののように単独性を帯びているのだが、小松はまるで自分の延長のように用いるのだ。小松のダンスからは、ナルシシズムが濃密に感じられる。それがピークに達したのは、中盤の5分ほど、ひたすら絶叫しながら、壁に激突したり、非常時用の階段を上り下りしたり、床を蹴ったりした場面だった。小松のなかの怒りのような不安のような思いが溢れた。しかし、ただ溢れてゆくだけだ。溢れたことを外から見つめる視点が舞台のなかにない。だから、溢れたものを観客はそのまま受け取らざるをえない。そのぶん、観客に強く依存する意識が目立ってくる。ダンス公演の帰り道などによく思うことなのだけれど、ダンスを見るとは、煎じ詰めると、所作の完成度などを云々することよりも、所作から透けて見える踊り手の意識を見ることなのだ、おそらく。終盤、四つん這いの獣の佇まいでゆっくりと舞台の縁を回り、最後はほぼ全裸の状態で小松はゆっくりゆっくり横回りした。50歳を過ぎた女性の体が表に裏になる、それがエロティックに映る。「見て!」と言わんばかりの所作は、その所作へ向けた小松の解釈がはっきりとこちらに伝わらないぶん、ただただ生々しい。自分を露出したいというダンサーの願望と、振付家の意図とがきちんとした対話を経る手前で、上演の日を迎えてしまった、そんな気がした。「出会い損ね」という出来事それ自体は面白いとも思えるものなのだが。

2013/06/21(金)(木村覚)

岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』

会期:2013/06/14~2013/06/23

北品川フリースペース楽間[東京都]

岡崎藝術座の芝居のほとんどを占めているモノローグは、とても攻撃的に観客に迫ってくる。この攻撃性については、作・演出の神里雄大のパーソナリティに由来するものかあるいは彼の社会的境遇に由来するものかなんて考えさせられることが多く、これまでの場合、攻撃性に思いを馳せるとき、作者本人の怒りや不安にその原因を求めがちだった。しかし、本作はすさまじい攻撃性を感じさせられるものの、その根底にあるのは個というよりもっと普遍的なものであると強く思わされた。観客に人間というものへと反省を向けさせる、ここにこの作品が傑作である理由がある。少女誘拐監禁という話題と刑事ポワロとその友人ヘイスティングズが関わる殺人事件の話が併存し進む。これら基本要素のなかで、5人の役者たちの演じる10人近い人間たちの思いが、憎悪や偏見、軽蔑やおせっかいなどを噴出させ、終始舞台は混沌としている。噴出する人間たちの思いを混ぜっ返してさらに複雑にしているのは、ダンスというべきか否か、役者たちの不思議な動作だ。口から漏れ出すセリフを冷やかし、ふざけて手にしては弄んでいるみたいに見える諸々の動作は、ただでさえ照明の暗い舞台を一層暗くさせる。見ていて、ずっと嫌な気持ちになっていた。いやがらせ?と思わされる感じは、相変わらずの岡崎藝術座。けれども、このダンスにも似た動作が部分的な統率を生み出して、舞台全体はいままでにないような独特で濃密な密度を保って進んでゆく。この全体の完成度が人間を語るという次元を成立させているのかもしれない。


『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』ダイジェスト

2013/06/22(土)(木村覚)

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