artscapeレビュー
2014年04月01日号のレビュー/プレビュー
3Dプリンティングの世界にようこそ!──ここまで来た! 驚きの技術と活用
会期:2014/03/11~2014/06/01
印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]
コンピュータ上のデータから、型などを用いることなくダイレクトに立体的な造形をつくりあげる3Dプリンタ。技術の進歩と装置の小型化・低価格化によって、このところ話題になることが増えてきた。夢の装置のように言われることもあるが、実際のところどのような仕組みになっているのか、なにができるのか、3Dプリンティング技術の現状と可能性とを、技術、活用法、生活への導入、問題点の四つの視点から示す展覧会である。3Dプリンタには使用する素材によって複数の方式がある。液体の樹脂をレーザーで固める光造形方式、粉末状の素材に高出力のレーザー光を当てて焼き固める粉末焼結積層方式、熱で溶かした樹脂を積み上げてゆく熱溶解積層方式、液状の素材をインクジェットプリンタの原理で噴出し積層するインクジェット方式が代表的な方法である。「プリント」する素材にはABSやアクリル、ナイロンなどの樹脂、チタニウムやステンレスなどの金属、石膏などの自然素材が用いられるほか、食品への応用も行なわれているという。
これまでのものづくりの技術体系は、大量生産に最適となるように発達してきた一方で、製品の少量生産が困難なほど初期コストを引き上げてきた。これに対して、3Dプリンティング技術による製造は型をつくらないために製品の単価は数量ではなく、素材の種類とサイズによって決まるため、少量生産にとって非常にメリットがある技術である。それゆえ、製品の試作や一点ものなどへの応用が考えられる。デザインのプレゼンテーションやサンプルづくりはすでにさまざまな領域で行なわれている。医療の現場では、CTやMRIのデータから患者の臓器を再現し、手術のトレーニングや患者への説明に利用されるという。展示では実用的な用途も示されている。展示品のひとつである義足は、個々人にフィットさせなければならない装具である点で、この技術の応用に適した事例である。実物をスキャンして3Dデータを取得する技術と組み合わせることで、立体的な複製品をつくることも容易である。この技術を応用すれば博物館で実物の発掘品を手に取ることはできなくても、重さや質感がリアルな複製を用意することで、教育的効果をより高めることが可能になる。
装置の小型化・低価格化はそうしたものづくりを企業ではなく、個人のレベルでも可能にし、その用途にはさらに可能性が拡がってきている。もちろん問題もある。夢のような技術として語られるが、道具が手に入ったからといって、誰もがそれを自由に使いこなせるわけではない。それはいい料理道具を揃えたからといって誰もが美味しい料理をつくることができるわけではないのと一緒である。ただ、道具が入手しやすくなったことで、潜在的な才能が開花する可能性は高まるだろう。その他、立体的なコピーが容易になることによって著作権侵害が生じる可能性や、個人レベルでつくられた製品の不具合の責任を誰が補償するのかという問題も指摘されている。3Dプリンタで「銃」を製造したというニュースも記憶に新しい。新しい技術は新しいモノや考え方とともに新しい問題をもたらす。本展は3Dプリンティング技術の「光と影」、あるいは現在の「カオス的状況」を見せる好企画である。[新川徳彦]
2014/03/11(火)(SYNK)
イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる
会期:2014/02/19~2014/06/09
国立新美術館[東京都]
国立民族学博物館が所蔵する34万点の資料から選び出した約600点を見せる展覧会。博物館における「器物」や美術館における「作品」という制度的な分類を突き抜けた、人類による造形の力をまざまざと感じることができる。
会場に一歩踏み入れた瞬間、そこはまったくの異世界。壁一面に並べられた世界各国の仮面はすさまじい妖力を放っているし、垂直に高くそびえ立つ葬送のための柱「ビス」を見上げていると魂が吸い上げられるかのように錯覚する。いかにも漫画的なトコベイ人形やフーダ人形に笑い、観音開きの箱の内側に人形を凝縮させたリマの箱型祭壇におののく。文字どおり一つひとつの造形に「釘づけ」になるほど、それぞれの求心力が並外れているのだ。
けれども、その求心力とは、おそらく現代人の視線から見た異形に由来するだけではない。それらの造形の大半が宗教的な儀礼や物語、すなわち神や精霊、死と分かちがたく結びつけられていることを思えば、それらの底には見えないものをなんとかして見ようとする並々ならぬ意欲と粘着性の視線が隠されていることに気づかされる。そのような「イメージの力」にこそ、私たちは圧倒されるのだ。
興味深いのは、人類史にもとづいた造形の豊かさをこれだけ目の当たりにすると、美術史を背景にしたアートがいかに貧しいかを実感できる点である。アーティストたちの着想の源を見通せるだけではない。通常美術館で鑑賞する作品を脳裏に思い浮かべたとしても、目前の造形にとても太刀打ちできないことは想像に難くない。事実、後半に展示されていた、銃器を分解して彫像に再構成したアート作品や、あたかも美術展におけるインスタレーションのように展示された器物などは、器物の豊かさを逆説的に強調する材料にはなりうるにしても、基本的には美術の貧弱さを再確認するものでしかない。
思えば、現代アートの現場にもっとも欠落しているのは、こうした人類史の水準ではなかったか。人類が創り出してきたイメージの歴史と比べれば、モダニズム絵画論やアートマーケット、美術館、芸術祭などをめぐる昨今の議論のなんとせせこましいことだろう。「美術」ですら明治に輸入された概念にすぎないことを私たちはすでに知っているのだから、もうそろそろ、ものをつくる身ぶりと思考を人類史の地平に投げ出すべきではないか。
2014/03/12(水)(福住廉)
ITOH+BAK「0099」/新平誠洙 岸本光大 展「SURGE/リブログ」/「LOST CONTROL 本田アヤノ+中田有美」
会期:2014/03/11~2014/03/30
海岸通ギャラリー・CASO[大阪府]
京都市立芸術大学出身あるいは同大学院在籍者を中心とする6名が、3つの2人展を同時開催。伊東宣明と朴永孝のユニット「ITOH+BAK」は、00から99までの紙を京都市内各所に配置して、ビデオカメラでズームアウトした映像を1カ所100パターン撮影し、プログラミングを用いてリアルタイム編集する映像作品を出品(画像)。新平誠洙と岸本光大の画家2名は、岸本の作品フォーマットのもとで両者の作品が混在する展示を行なった。また、本田アヤノと中田有美は、それぞれが立体と絵画を持ち寄って空間をつくり上げていた。どの展示も高品質で、スペースを十分に使い切っていたのが素晴らしい。また、作家同士の協力関係が3展とも異なっていた点も興味深かった。
2014/03/14(金)(小吹隆文)
my home town わたしのマチオモイ帖
会期:2014/02/28~2014/03/23
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
「マチオモイ帖」とは、自分が生まれた町や大切に思っている町を選びクリエイターが個人の責任編集でつくる小冊子。2011年、瀬戸内海の小さな島の町を紹介するパンフレットとして始まり、その企画に共感したクリエーターたちの参加を得てこれまでに各地で展覧会を開催してきた。今回の特別展ではさらに参加者が拡大し、800点を超える「マチオモイ帖」が展示された。クリエーター個々人の編集によるものなので、身の回りの生活から周辺に取材するものまで、関心や行動の範囲、人々との関わりによって内容はさまざま。対象が都会の街であっても、郊外の町であっても、観光地であっても、いわゆる観光ガイドのように外から来た人が外から来る人のために選ぶ視点ではなく、その町で暮らしている人の眼で見た町のガイドである点が共通する。すなわち、「マチオモイ帖」をつくることは、その町で生まれた人、その町に住む人が、ありふれた普段のくらしを新たな視点で見つめ直し、発見する行為なのである。それゆえ作品の展覧会ではあるものの、読者であるよりもつくり手になりたいと思わせる展示であった。[新川徳彦]
2014/03/14(金)(SYNK)
HUB-IBARAKI ART COMPETITION EXHIBITION
会期:2014/03/07~6カ月間(予定)
茨木市立生涯学習センターきらめき、茨木市市民総合文化センター(クリエイトセンター)、茨木市市民会館(ユーアイホール)、茨木市立市民体育会館、茨木市福祉文化会館(オークシアター)、茨木市立男女共同センターローズWAM、茨木市立中央図書館[大阪府]
大阪府茨木市の公共施設を舞台に、公募審査を通過した美術家たちが作品を制作・展示するプロジェクト。中島麦、山城優摩、N N.P.O、小宮太郎、高木義隆、藤本絢子、稲垣元則の7組が審査を通過し、それぞれのプランをつくり上げた。作品ジャンルは、絵画、立体、インスタレーション、写真などさまざまで、なかには地元市民を取材して小学校の記憶を模型とスケッチで再現する作品もあった。実際、作品の完成度には差があり、高いハードルを乗り越えて実現したと思しき作品がある一方、残念と言わざるをえないケースも幾つか見受けられた。今年が初回ということもあり、施設サイドとの意思疎通が不調だったのかもしれない。展示期間が約半年と長いので、今後も関係各位がコミュニケーションを図ってプロジェクトの質を高めていってほしい。来年以降もプロジェクトを継続すれば、市民の関心も徐々に高まって良質な催しに育つのではなかろうか。
2014/03/15(土)(小吹隆文)