artscapeレビュー

2014年04月01日号のレビュー/プレビュー

石川勇太『Dust Park2』(長内裕美「dancedouble#2」)

会期:2014/03/22~2014/03/23

横浜赤レンガ倉庫1号館[神奈川県]

フランスのトゥールーズを拠点に活動を続けている振付家・ダンサー石川勇太の日本初演作品。石川とは、2008-2009年に行なわれた「grow up! Danceプロジェクト」以来の付き合いで、とはいえ、今回が渡仏後の彼の成長を確認するぼくにとってははじめての機会となった。40分ほどの作品。率直な感想は、日本的な「空気」から自由で、とても開放感があって、そこに端的に感動した。観葉植物の鉢、椅子、奥に扇風機、荷物の詰まった巨大リュックサックなどが舞台空間に散らばっている。そこに、石川と男(アントワーヌ・オシュタイン)と女(竹内梓)がいる。リヴィングルームみたいだが特定されてはいない。ダンサーたちも、はっきりとした役柄やキャラクターがあるわけではない、といって、過度に抽象的でもない。始まって5分は過ぎていたろうか、うつぶせしていた石川がのそりと体を浮かせた。この瞬間、はっとした。できっこないポーズを逆回しの再生によってできたことにする動画みたいだった。軽い、そして、速い。「速い」というのは実際の速度が、というより、こちらの理解の速度を上回る速さということだ。だからちょっと目眩がする。痛快だ。立ち上がり、身体が運動を本格的にはじめた。なんと言えば相応しいのだろう、軽くて、ひょいひょいと進むのだが、その軽さは、イリュージョニスティックな軽さというよりも、先の表現に似てしまうが、考える速度よりも速いことから生まれる軽さだ。フレッド・アステアに近い、と言えば形容したことになるだろうか。次々と奇妙なバランスを掻い潜ってゆく動作は、一切難解ではなく、スリリングで目眩も起こすが、心地よい。今月見た、岩渕貞太や関かおりと同じく、ダンサーらしいダンサー(ダンス狂のダンサーの1人)なのだが、とくに関とは異なり、運動を造形的に美しく(あるいはグロテスクに)する意欲よりは、体が動いていることそのことに石川の狙いは集中している。ユーモアの要素も興味をひかれた。途中、フェルト製のカラフルな魚のオブジェが出てきて、頭にちょこんと載せると、三人はよちよちとステップを踏む。女の頭から魚が落ちると、やりなおし。そんなゲームがしばらく続いた。最後のシーンも、にやけさせられた。床の上にあるとき貼付けた白いビニールテープを追うように、三人は抱きつき塊になって転がった。塊は、テープを巻き付け進む。なぜそうしているのか、そうなってしまったのか、なんて説明はない。ただ、突然降ったスコールのように、三人は自然に転がり出した。それがちょっとおかしい。上手く調整して、過度に物語的にも、抽象的にもならず、ダンスは生成し続けた。こんな風にダンスを信じるダンス作品を久しぶりに見た気がした。

dancedouble♯2 Trailer

2014/03/23(日)(木村覚)

のぞいてびっくり江戸絵画──科学の眼、視覚のふしぎ

会期:2014/03/29~2014/05/11

サントリー美術館[東京都]

徳川八代将軍吉宗が、享保5(1720)年に漢訳洋書の輸入規制を緩和した結果、西洋の科学・技術・文化を研究する「蘭学」が盛んとなった。もたらされたのは書物ばかりではない。顕微鏡や望遠鏡といった光学装置が海外から輸入された。こうした新しい知識や異国の装置が江戸期の日本に新しい視覚体験と絵画表現とをもたらしたことは、イギリス人研究者タイモン・スクリーチによって明らかにされてきた。この展覧会はスクリーチの『大江戸視覚革命』(作品社、1998)をベースに、五つの視点から江戸時代後期の新しい視覚文化を紹介するものである。
 第1章は遠近法。奥村政信、歌川豊春、葛飾北斎、歌川広重らが透視図法を用いて描いた「浮絵」、風景画をレンズを通して立体的に見せる「眼鏡絵」、洋風の表現と図法を取り入れた「秋田蘭画」が紹介されている。第2章は鳥の眼。名所や神社仏閣を俯瞰して描く手法は古くから行なわれていたが、遠近法の導入によってより正確な鳥瞰図が描かれるようになった。西洋からもたらされた望遠鏡は18世紀には一般にも普及して見世物の道具としても利用された様子は、浮世絵にも描かれている。第3章は顕微鏡。オランダで発明された顕微鏡は18世紀半ばに日本にもたらされる。顕微鏡を使用して観察された蚤や蚊などの虫の拡大図が描かれたり[写真1]、雪の結晶が衣服の文様として流行するなどの影響をあたえた。第4章は博物学。西洋の博物学の影響で、絵画作品としてではなく、博物図譜としての絵画の登場が示される。第5章は光と影。障子に映るシルエットや、寄せ絵、円筒状の鏡に絵を映してみる「鞘絵」など、西洋の「トリックアート」の影響が紹介される。
 新しい科学・技術・文化に最初に触れたのはもちろん蘭学者と呼ばれた研究者たちであるが、興味深いのはそれらが江戸期の庶民の文化に影響していった点である。そのプロセスを担ったのは、絵画史の主流をなした人々ではなく、また「浮絵」や「眼鏡絵」は芸術というよりは「からくり」あるいは「見世物」であったと田中優子・法政大学教授は指摘している★1。同時に新しい視覚が博物学などの観察や記録を主とする学問に影響したことを考えれば、江戸期の西洋文化の受容層はいかに多様であったことか。そして西洋文化と科学的な知識の多様な受容層が、明治維新後の日本の発展の基礎となったのである★2
 3階会場には立版古(浮世絵を切り抜いて立体的に加工するもの)を拡大したものや、鞘絵を体験できる場が用意されており[写真2]、「遊びごころ」のある楽しい展覧会である。[新川徳彦]

★1──田中優子「江戸人たちの驚きの世界」本展図録、10頁。
★2──大石学「『江戸の科学力』──その政治的・社会的基盤」本展図録、186~187頁。



1──山田訥斎《蚤図》ほか


2──展示風景

2014/03/28(金)(SYNK)

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プレビュー:神村恵『腹悶(ふくもん:Gut Pathos)』

会期:2014/04/03~2014/04/08

STスポット[神奈川県]

3月は力強い新作公演を立て続けに見たし、宮城県名取市での砂連尾理の活動も取材できて、ダンスの可能性や将来的になすべきことなど、諸々考えることが多かった。それと珍しいキノコ舞踊団のフライヤーに「コンテンポラリーダンス卒業宣言!!」と謳われていたのも、今月の出来事だ。「私たち、コンテンポラリーダンスを卒業します! ただ普通にダンスをやりたいだけなんです! だって私たちにとってダンスは日常なんですもの!!」とのこと。彼女たちが以前から「コンテンポラリー・ダンス」というカテゴリーの束縛から解放されたい気持ちを強く持っていたということなのだろう、でも、いまやこの言葉を見かけることはほとんどない。要は、すべてが「ダンス」になったのだ。「コンテンポラリー・ダンス」という枠は足枷にも上げ底にもなっていたろうが、今後は個々の作家が「ダンス」をどう捉えるか、捉えた価値をどう発信していくのかが、よりダイレクトにシビアに問われていくのだろう。今月は早々に神村恵の新作ダンス公演『腹悶(Gut Pathos)』がある。最近は、ブレイン・ストライキなどダンス公演以外の広くダンスや社会を問う姿勢を示している神村だけれど、とくに高嶋晋一との協力関係で進められる制作活動のなかには、緊張感のある共同作業の様子が垣間見え、ダンスへ向けたアプローチに新しい展開が示されている。

神村恵カンパニー「腹悶(Fukumon)」PV

2014/03/30(日)(木村覚)

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