artscapeレビュー
2017年12月15日号のレビュー/プレビュー
ゲッコーパレード『リンドバークたちの飛行』
会期:2017/10/12~2017/10/17
島薗家住宅[東京都]
千駄木に島薗邸という国登録有形文化財の一軒家がある。生化学者の島薗順雄(1906-1992)の自邸として1932年に建設された、洋館に和館をついだ和洋並置式の住宅だ。戦時中は軍による接収を避けるため、診療所として使われていたこともあるらしい。軍用機や軍用艦をモチーフにあしらったステンドグラスが当時の記憶を微かに湛えている。
埼玉県蕨市を拠点とするゲッコーパレードは2016年、本拠地である旧加藤家住宅で「戯曲の棲む家」シリーズとして5本の戯曲を上演し、『リンドバークたちの飛行』はその1本として初演された。ブレヒト作のこの戯曲はタイトルの通り、チャールズ・リンドバーグの大西洋横断飛行を題材とし、もともとはラジオ劇として書かれた作品だ。風や寒さ、眠気と戦いながら孤独に飛び続けるリンドバーグの姿を、ゲッコーパレードは6人の演出家(黒田瑞仁、柴田彩芳、本間志穂、渡辺瑞帆、市松、古賀彰吾)の演出で上演した。演出家と一口に言っても演劇、現代美術、音楽、建築、身体表現、大道芸と専門はさまざまで、それぞれが場面ごとに凝らした趣向が楽しい。
観客はリンドバーグに寄り添い部屋を渡っていく。部屋ごとに現れては消えるリンドバーグの姿は、住居としての役割を終え、静かに微睡む島薗邸が夢見る記憶のようにも思われた。もちろん、島薗邸とリンドバーグとは直接には何の関係もない。だが、飛行機の性能向上は第二次世界大戦に大きな影響を与えた。リンドバーグの夢は戦争を経由して現在に接続されている。過去への視線は同時にかつての未来を覗きこむ。戯曲と建築はどちらも歴史の器だ。上演は二つの異なる記憶を現在に響かせる。
今回の再演は文化財となっている建築で同作を上演していく「家を渉る劇」シリーズの第1弾。すでに第2弾として2018年2月には鎌倉の旧里見弴邸での上演も予告されている。岸田國士『チロルの秋』をテキストに使った本拠地公演も12月18日(月)まで上演中だ。
2017/10/14(土)(山﨑健太)
シルヴィウ・プルカレーテ演出『リチャード三世』
会期:2017/10/18~2017/10/30
東京芸術劇場[東京都]
ルーマニアを代表する演出家シルヴィウ・プルカレーテによる『リチャード三世』(シェイクスピア作)が東京芸術劇場で上演された。同劇場はこれまでも『ルル』(2013)『ガリバー旅行記』『オイディプス』(ともに2015)とプルカレーテ作品を招聘し、いずれも好評を博してきた。今回は満を持しての日本人俳優とのクリエーション。佐々木蔵之介がタイトルロールを演じた。
王位を簒奪せんと敵のみならず肉親含めた味方まで欺き殺す悪逆無道の男、グロスタ公リチャード。後にリチャード三世と呼ばれる彼は生まれつき片脚が短く、醜い男だということになっている。だが、佐々木演じるリチャードは戯曲の描写以上に異様な存在感を発していた。ときに足に障害などないかのようにすっくと立ち、かと思えば頭が腰より下に来るほどに背の曲がった姿で歩き回る。ぐねぐねと変形し続ける体は抑えきれない欲望の激しさを表わすかのようだ。空間もまたリチャードの心に呼応する。ドラゴッシュ・ブハジャールによる舞台美術はシンプルかつ効果的だ。高い空間の三方を囲うように垂らされた布が圧迫感と不安定さを際立たせる。人々を圧するかのように低い位置に吊るされた照明に手術室を連想すれば、リチャードによって殺された人々の死体がストレッチャーに載せられて登場する。衝撃的なことに、ストレッチャーはそのまま食卓へも転じてしまう。生も死も同じテーブルの上に載る肉の問題に過ぎないとでも言うように。私たちは死を喰らって生きている。寸胴鍋を抱えこみガツガツと何かを貪るリチャードの姿は、欲望が肉体に宿るものであることを強く印象づけていた。
やがてリチャードは王位を手にするが、それは一時のことだ。玉座についたリチャードは、自らもまたやがて朽ち果てる肉に過ぎないことに気づいてしまう。玉座の上、空虚な表情を浮かべるリチャード。透明なベールに包まれたその裸体。圧倒的な孤独に震えるのは、客席に座る観客もまた、自分がいずれ朽ちる運命にあることを知っているからだ。
2017/10/24(火)(山﨑健太)
村川拓也『インディペンデント リビング』
会期:2017/10/27~2017/10/29
京都府立府民ホール“アルティ”[京都府]
ドキュメンタリーの手法を持ち込んだ演劇作品で世界的にも注目を集める演出家、村川拓也。KYOTO EXPERIMENT 2017で上演された新作『インディペンデント リビング』のテーマは日本/中国/韓国だ。村川は各国で介護や介助の仕事に携わる人間を舞台に上げることで、そこにある普遍性と、同時に存在する断絶とを鮮やかに浮かび上がらせた。
作品の枠組みは村川の代表作である『ツァイトゲーバー』と共通している。舞台に上がったヘルパーが、観客から募った女性の「被介助者」役を相手に自身の普段の仕事の様子を再現する。「被介助者」は基本的には力を抜いてされるがままでいるよう指示されるが、上演中に3度、好きなタイミングで自身の願いを声に出して言うことができる。『ツァイトゲーバー』に出演するのが日本人のヘルパー1人だけだったのに対し、本作では中国→韓国→日本の順に各国1人ずつのヘルパーが介護の様子を再現してみせる。この順で2周し、最後に再び中国人のヘルパーによる再現が行なわれたところで作品は終わる。
作品を通して素朴なレベルで感じられるのは、ヘルパーの仕事、被介助者の生活は、どの国でもさほど変わらないのだということだろう。ヘルパーが交代しても被介助者(役の観客)が替わらないことでその変わらなさは強調される。
一方、ヘルパーと被介助者役の観客との間には鋭い断絶も生じている。被介助者役の観客が自身の願いを口にしても、ヘルパーがそれに反応することはない。現実にあり得るコミュニケーション不全が極端な形で暴露される瞬間だ。さらには言語の壁もある。被介助者役として舞台に上がった観客が中国語も韓国語も解さない場合(多くの場合がそうだろう)、彼女は自分に語りかけるヘルパーの言葉を理解できない。劇場の中で唯一、字幕を十全に読むことができない彼女だけがヘルパーの発する言葉から疎外されているのだ。
普遍性と断絶は異なるレイヤーにありながら、どちらも舞台に上げられた観客の存在を軸に見出される。そこにこの作品の巧みさと、日中韓というテーマへの応答を見出すことができるだろう。
2017/10/28(土)(山﨑健太)
SPIELART マーク・テ『VERSION 2020 - THE COMPLETE FUTURES OF MALAYSIA CHAPTER 3』
会期:2017/10/28~2017/10/31
Gasteig Black Box[ドイツ]
2020年、我が国は素晴らしい国になっているだろう。政府は遠大な目標を掲げ、子供たちに来たるべき未来都市を描かせる。輝かしき夢。その一部となることは誇るべきことだ。そう信じられていた。だが2016年、政府は新たに2050年に照準を合わせたビジョンを掲げる。2020年のことなどなかったかのように──。マレーシアの話だ。ミュンヘンで開催される国際舞台芸術祭SPIELARTで初演を迎えたマーク・テの新作ドキュメンタリー演劇は、政府の掲げた2つのビジョンを題材とする。
クアラルンプールを拠点に活動するマーク・テは演出家、キュレーター、研究者、アクティビストと多くの顔を持つアーティスト。日本でも2016年に『Baling(バリン)』が横浜と京都で上演されている。社会的問題を大きな枠組みとして扱いながら、そのなかにいる個人に焦点をあてる手つきは本作にも共通している。
本作に登場する4人のパフォーマーは皆、1996年に政府が発表した2020年への国家的ビジョンWawasan 2020のパラダイムの下で育ってきた。未来都市を描いた絵が表彰されることは、マスゲームを視察する大統領と視線が合うことは素晴らしいことだった。その先には輝かしい未来が待っているのだから。自らの体験を語るパフォーマーたち。だが政府は何食わぬ顔で目標を延期する。Transformasi Nasional 2050? その頃にはもう60歳じゃないか! 夢見た未来は奪われた。
公共の場である広場にテントを建てて占拠する反政府デモは、大地を自らの下に取り戻すための営みだ。Tomorrow belongs to us. パフォーマーたちは足元の人工芝を剥がし、むき出しになった床面に小さなライトを置いていく。灯る明かりは人々の描く夢だ。未来を描くことは個人の手に取り戻さなければならない。本作が個人史に焦点をあてているのはそのためだ。個人の夢の先にこそ、望ましい国の未来が待っている。
ロマンチックに過ぎるだろうか? そうかもしれない。だが日本人は、いや、私はきちんと夢を見られているだろうか?
本作は2018年2月から3月にかけて開催されるシアターコモンズの一環として来日する。プログラムの詳細は12月下旬公開とのこと。
2017/10/30(月)(山﨑健太)
第4回CAF賞展
会期:2017/10/31~2017/11/05
ヒルサイドフォーラム[東京都]
CAFとはゾゾタウンの前澤友作氏が会長を務める現代芸術振興財団。そのCAFが主催する、全国の学生を対象にしたアートアワードの入選作品展だ。2014年に始まり、今年で4回目。展示されているのは16人の絵画、立体、インスタレーションなど。このなかから白石正美(スカイ・ザ・バスハウス代表)、薮前知子(東京都現代美術館学芸員)、齋藤精一(ライゾマティクス代表取締役)の3人の審査員が最優秀賞1人、審査員特別賞3人を選ぶのだが、そもそも入選した16人はだれが選んだの? 3人の審査員? 入選者の内訳は、大学院も含めて東京藝大6人、京都造形大3人、京都芸大2人、多摩美2人、そのほか3人と、全国の高校から専門学校までを対象としてる割にはかなり偏りがあるなあという印象。作品もグラフィティ風、ゆるキャンの小林正人風、板材を支持体に使うバスキア風の作品が目立った。ジャン・ミッシェル・バスキア好きな前澤氏の好みを忖度したのではないかと勘ぐりたくなる選択だ。
肝心の最優秀賞は木村翔馬、以下、白石正美賞は大久保紗也、薮前知子賞は小山しおり、齋藤精一賞は菅雄嗣と、いずれも絵画が受賞した。これは納得。最後の展示室には、前澤氏が今年5月に約123億円で購入し話題を呼んだバスキア作品が、クリストファー・ウールやマーク・グロッチャンらの作品とともに展示されていた。比べるのもなんだが、やっぱり学生の作品とはぜんぜん違うなあ。ところで、昨年オークションで約62億円で落札したバスキア作品はどうしたんだろう? 並べてほしかったなあ。
2017/11/01(水)(村田真)