artscapeレビュー

2018年07月01日号のレビュー/プレビュー

猿楽と面 大和・近江および白山の周辺から

会期:2018/03/19~2018/06/03

MIHO MUSEUM[滋賀県]

BankARTスクールの美術館講座を一緒に担当した和田菜穂子センセーと、生徒たちを連れて滋賀県の旅。ほんとはお膳立てをしてくれた生徒たちに連れられての旅なのだが。まずは石山駅前のバス停で待ち合わせ、人里離れた山奥にあるMIHO MUSEUMへ。今日は天気もよく、渓流をながめながら遠足気分。バスの到着したレセプション棟から徒歩でトンネルと橋を通り、臨死体験または出生を再体験しながら美術館に向かう。トンネルを抜けると正面にイオ・ミン・ペイ設計の神社みたいなガラスの屋根のエントランスが見えてくる。ここは熱海のMOA美術館を運営する世界救世教から派生した神慈秀明会が建てた美術館で、「MIHO」は創立者の小山美秀子(みほこ)の名に由来する。どちらも自然農法を提唱しているせいか、自然環境の豊かな場所を選んでおり、ロケーションは抜群だ。

さて、今回の目的は「美術鑑賞」ではなく「美術館鑑賞」なので、展覧会の「猿楽と面」には期待してなかったけど、各地から集められた350点もの「面」をぼんやり見ていくうちに、だんだん薄気味悪くなってきた。面というのは顔、しかもおそらく生身の人間が被っていたものだから、ただ見るだけの絵画や彫刻とも陶磁器などの工芸品とも違う「妖しさ」が染み込んでいるのかもしれない。そんな「妖気」にあてられたのだろうか。しかも素材は木という生きものなので、石や金属に比べて人肌に近い。石や金属の面が骸骨だとすれば、木彫は「肉面」か。なかには彩色された表面の顔料がはがれて、まるで焼死体のようにボロボロになった面もある。あー見ていて怖くなってきた。

2018/05/26(村田真)

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GIRLS 毎日を絵にした少女たち

会期:2018/04/28~2018/07/29

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA[滋賀県]

BankARTスクールのツアー2日目は近江八幡の建築巡り。カフェとして使ってる日牟禮館やヴォーリス記念館、ヴォーリス学園など市内に点在するヴォーリス建築を見学の途中、立ち寄ったのが町家を改装したボーダレス・アートミュージアムNO-MA。滋賀県はアウトサイダーアートへの取り組みが盛んだが、ここも2004年の開館以来さまざまなアウトサイダーアートを紹介してきた場所。今回は高齢になってから絵を描き始め、長寿をまっとうした塔本シスコ、仲澄子、𡈽方ゑいの3人の女性の作品を紹介。3人とも1910年代(大正初期)の生まれで、それぞれ50代、70代、80代になってから絵を描き始め、いずれも100歳前後まで(つまり最近まで)生きてきたというから驚きだ。とんでもなくスロースターターだが、逆にいうとそれだけ記憶も経験も豊富で、描く材料にはこと欠かなかった。

この3人のなかでは塔本シスコが比較的知られているが、やはり絵もいちばんインパクトがある。まず色彩が強烈で、画面も左右対称花や人物などのモチーフはパターン化され、繰り返し描かれるというアウトサイダーアート特有の特徴が見られる。仲澄子と𡈽方ゑいはどちらも70-80年間ため込んだ記憶を描き留めた絵日記のようなもの。だれでも描けるといえば描けるし、ヘタであればあるほど味わい深く感じられもする。ここらへんが単なるヘタとの微妙な違いだ。ふと思うのは、彼女たちはほぼ同世代で、趣味(なのか?)も似ているので、お互いに交流を持っていたらどうだったろう。激動の時代を生きてきただけにみんな積もる話はたくさんあるだろうし、交換日記なんかしていたら新しい世界が広がっていたかもしれない。でもそれぞれの絵の独自性は薄まっていったかもね。

2018/05/27(村田真)

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ラ コリーナ近江八幡

ラ コリーナ近江八幡[滋賀県]

藤森照信の設計した屋根に草の生えた建物は図版で見たことあるけど、それがなんの建物なのかは知らなかった。今回は生徒が予約してくれたのでただついていくだけだが、着いてみて驚いた。まるでジブリの世界を現実化したような大人心をくすぐる世界。いやもちろん子供心もくすぐるだろうけど、どっちかというと大人のほうが喜びそうな異世界だ。

緑に覆われた三角屋根の建物に入ってさらに驚いた。なんだお菓子屋じゃねーかよ! やけに混み合ってるなと思ったら、バウムクーヘン売り場の前にできた長い行列が、もはや線ではなく面と化して幅を利かせているからだった。ここは和洋菓子の「たねやグループ」のショップ、本社、飲食店だけでなく田畑まで備えた一大ゾーンなのだ。そういえば午前中、生徒たちに連れられてお茶とケーキをいただいたクラブハリエ日牟禮ヴィレッジも、たねやグループだったのね。し、知らなかった……。

3時すぎ、ツアー担当のおねえさんが登場し、敷地内を案内してくれる。おねえさんは、お菓子をつくりたくて入社したのに、なんで田舎者を連れてツアーやんなきゃいけないのかしら? みたいな素振りはいっさい見せず、ニコニコと草屋根の裏に広がる田んぼ、銅屋根の本社最上階の展望室と藤森ミュージアムなどを案内してくれた。最後の藤森ミュージアムには、ラ コリーナのスケッチやマケットなどが展示されていて、ツアー客でないと入れないという。これは得した気分。田んぼに4つの巨岩が並んでいるのを見て「もの派」を思い出したが、藤森の発想は案外もの派に近いというか、もの派をメルヘンチックに味付けした世界観ではないか。世代的にももの派のほんの少し後だし。

ラ コリーナ メインショップ

ラ コリーナ 田んぼ(手前)とオフィス棟(奥)

2018/05/27(村田真)

ルーヴル美術館展 肖像芸術—人は人をどう表現してきたか

会期:2018/5/30~2018/09/03

国立新美術館[東京都]

これまで数多くの「ルーヴル美術館展」が開かれてきたが、今回は「肖像」がテーマ。肖像といってもいろいろあるので、序章と終章を除いて「記憶のための肖像」「権力の顔」「コードとモード」の3章に分けている。このうち第3章は広く肖像画を集めているので省くとして、第1章は消えゆく人の姿を残すため、第2章は権威づけのプロパガンダとしてつくられたもので、前者は「死への抵抗」、後者は「生への執着」と読み替えられるかもしれない。おそらくここに絵や彫刻をつくることの初期衝動が潜んでいるはずだ。

第1章で注目したいのは、数人の家族の顔を石板に彫ったレリーフ《墓碑肖像》と、腹から虫がわき出し腸がはみ出ている悲惨な姿を彫った《ブルボン公爵夫人…(長いので省略)》という石像。前者は家族の思い出に彫ったものだが、どの顔も似たり寄ったりで区別がつかず、後者は「メメント・モリ(死を想え)」の一種だろうが、悪趣味きわまりない。だからおもしろい。有名な作品では、ダヴィッドの《マラーの死》(弟子に描かせたコピーで、原画はブリュッセルにある)も出ているが、これは英雄の死を悼むと同時に、革命のプロパガンダとしても機能したことから、第1章と第2章の橋渡しも兼ねているようだ。

第2章ではアレクサンドロス大王やカラカラ帝、グロによるナポレオン1世などおなじみの肖像があるが、そそられるのは《国王の嗅ぎタバコ入れの小箱》に収納された権力者たち48人の小さな肖像画。セーヴル王立磁器製作所でつくられた磁器製のミニアチュールで、縦7センチ足らずの楕円形の画面にマリー・アントワネット、ルイ14世、モリエール、スウェーデン女王クリスティーナらの肖像が描かれているのだ。これはほしくなる。なぜほしくなるのか考えたら、おそらく掌に収まるくらい小さいうえに、絵画や彫刻より耐久性があるからだろう。つまり「永遠の生」を手に入れることに通じるのだ。

最後に、第3章で触れなければならないのは、メッサーシュミットの《性格表現の頭像》だろう。こんな彫刻は見たことないというくらい思いっきり顔をしかめたセルフポートレートなのだ。彼は自身が精神を病み始めたころから、笑ったり唇を突き出したり異様な表情の彫刻を密かにつくり始め、死後アトリエから69体もの変顔の頭像が発見されたという。ある意味、現代美術やアウトサイダーアートにも通じるものがある。

2018/05/29(村田真)

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琳派 —俵屋宗達から田中一光へ—

会期:2018/05/12~2018/07/08

山種美術館[東京都]

「琳派」といいながら、サブタイトルは「俵屋宗達から田中一光まで」となっている。おっ!? と思った。田中一光の名に違和感を覚えたからではなく、むしろすんなり受け入れてしまった自分に驚いたのだ。そうか、いわれてみれば確かに田中一光も琳派だった。そもそも琳派は血族で画風を脈脈と受け継いできた狩野派などとは違って、俵屋宗達と本阿弥光悦の装飾スタイルを、17-18世紀の尾形光琳、19世紀の酒井抱一らが時代も場所も階層も超えて継承してきた流派なのだ。だから宗達はもちろん、光琳も抱一も自分が琳派だと自覚していたわけではない。だいたい「琳派」という名称自体20世紀につけられたもの。明治以降まず光琳が評価されて「光琳派」と呼ばれ、それが「琳派」と略されたのは戦後の話だという。だからいま、琳派のスタイルを受け継いで「われこそは琳派」ということはできるのだ。もっとも認められるかどうかは別だが。そう考えると、現代の琳派の最右翼にデザイナーの田中一光の名が挙がってもおかしくはない。むしろそこらの日本画家よりずっと琳派の真髄を理解していたともいえるだろう。

会場に入ってまず目にするのが一光の《JAPAN》というポスター。背を丸くした鹿をあしらったデザインで、これは宗達の《平家納経》から鹿の絵柄を借用したものであることから、本人もかなり琳派を意識していたことがわかる。宗達の原本はないけれど、隣に田中親美による模本が展示されているので比べてみるといい。琳派はそれぞれ世代が離れているので、こうした模倣によるスタイルの継承はむしろ当たり前なのだ。ちなみに一光の鹿の背はほぼ正円で、しかも上に「JAPAN」と書かれているせいか、なんとなく日の丸を思い出させる。

その先には、修復後初のお披露目となる伝宗達の《槙楓図》と、光琳の《白楽天図》という2点の屏風のそろい踏み。とくに《白楽天図》はほとんど抽象パターンと化した波涛に、比較的リアルな白楽天と船頭たちの人物描写を重ねることで、飄々としたユーモアを醸し出している。ほかにも、抱一の《秋草鶉図》、其一の《四季花鳥図》、近代の琳派ともいうべき神坂雪佳による絵や工芸、さらに日本画家の速水御舟、福田平八郎、奥村土牛、加山又造、そして再び田中一光のグラフィックアートまで、幅広く集めていて楽しめる。

同展を見て思い出したのが、14年前に東京国立近代美術館で開かれた「琳派 RIMPA」という企画展だ。李禹煥や中上清といった日本の画家だけでなく、クリムト、マティス、ウォーホルら外国の画家たちの作品も並べられていた。「琳派的」美意識は海外にも飛び火していたのだ。今回はさらに拡張してアートだけでなく、デザインにまで琳派の影響を見ようとする試みといえる。これをさらに広げて、デジタルアートまで視野に入れるとどうなるだろう。「琳派」の捉え方は時代によって大きく変わっていってもいい。

2018/05/30(村田真)

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2018年07月01日号の
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