artscapeレビュー

2018年07月01日号のレビュー/プレビュー

KAAT×地点 共同制作第8弾『山山』

会期:2018/06/06~2018/06/16

KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ[神奈川県]

かつて美しい山の麓に暮らしていた家族が「あの日」以来の帰還を果たすと、そこには汚染されたもうひとつの山が出現していた。家族4人に作業員、アメリカ製の作業ロボットと彼らを使う社員、そして「あの日失われた場所に取り残されたあの山山」を観光するために東京から訪れたカップル。松原俊太郎の戯曲(『悲劇喜劇』2018年7月号掲載)は演出家・三浦基の手で寸断/再構成され、戯曲とはまた異なる風景を舞台上に出現させる。群れのように行動する俳優たちから登場人物個々の人格を切り出すことは難しい。異なるはずの立場は半ば溶け合っている。俳優たちの身ぶりや発話が言葉にまた新たな意味の層を追加し、観客が唯一の正解にたどり着くことはない。だがその根底には怒りがある。

舞台美術(杉山至)の巨大な斜面は観客の立ち位置を問い直す。舞台中央でV字を描く斜面は舞台奥から客席に向かっても傾斜している。それは巨大な滑り台のようであり、ひっくり返った家の屋根のようでもある。磨き上げられた斜面に映り込む俳優たちは鏡の中で反転した谷、つまりは山に立ち、そこはしかし水面下の世界のようにも見える。俳優はその頂上部から顔を覗かせ、斜面を滑り、ところどころに立つ柱のようなものに掴まり寄り集まっては言葉を発する。V字をなす斜面のそれぞれが山、山だろうか。あるいはV字が客席に向けて傾斜していることを考えれば、向かい合う階段状の客席こそがもうひとつの山なのだということになるのかもしれない。それはつまり私のいるこの場所だ。二つの山が谷をなす。汚染された山山に暮らす人々になまはげの衣装(ウレット・コシャール)を着せた意図は明白だ。なまはげはその異形に反して厄払いの役割を担っている。「私は鬼ではありません。私は人間です」。そこは切り離された彼岸ではない。言葉を発する行為は自らの足元を確かめる運動と不可分だ。下り坂で抵抗を続ける彼らは他人事を語るのではない。

7月には同じく劇作家・松原俊太郎と地点がタッグを組んだ『忘れる日本人』のツアーも控えている。7月13日(金)から愛知県芸術劇場、18日(水)からロームシアター京都にて。

[撮影:松見拓也]

公式サイト:http://www.chiten.org/

2018/06/06(山﨑健太)

第12回 shiseido art egg 冨安由真展

会期:2018/06/08~2018/07/01

資生堂ギャラリー[東京都]

これは大規模なインスタレーション。地下へ階段を下りて受付を過ぎると、目の前にドアが。なかに入ると薄暗い部屋になっていて、別のドアを開けるとまた部屋になっていて……ギャラリー内にいくつもの部屋と廊下をつくり込んでいるのだ。しかも部屋に掛かっている絵がガタガタ揺れたり、テレビが急についたり、照明が点滅したり、子供のころ怖がった現象が次々に起こる仕掛け。いわゆる悪夢というか、お化け屋敷というか。

でも残念ながら、2つの似たような先行例があるのでインパクトは弱い。ひとつは、同じ資生堂ギャラリーで4年前に開かれた「目」の個展「たよりない現実、この世の在りか」。同じようにギャラリー内にホテルの客室と廊下をしつらえて、迷宮のような仕掛けを施していた。その記憶が強烈なだけに、二番煎じに見えてしまうのはやむをえない。もうひとつは、今年の「岡本太郎現代芸術賞展」で見たやはりお化け屋敷みたいな作品。これも暗い部屋をつくって家具や照明に細工を施したもので、作者はだれだっけと調べてみたら、なんと冨安由真さんご本人でした。なるほど「岡本太郎現代芸術賞展」ではサイズに制約があったから、今回はそれをギャラリーいっぱいに拡大して、「くりかえしみるゆめ」の世界を再現してみせたのかもしれない。

2018/06/08(村田真)

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内海信彦展

会期:2018/06/05~2018/06/16

Fei Art Museum Yokohama[神奈川県]

屏風48面、計36メートルにおよぶ《INNERSCAPE 2016-18 “MULTIVERSE”》を中心とした展示。会場に入ると、観客を囲むように屏風が立ちふさがる。そこには、墨流しというか垂らし込みというか垂れ流しというか、たっぷりの墨を画面において風を送り墨を流すことで得られた複雑な流動的パターンが現出している。見ようによっては大洪水にも大津波にも見えないことはない、黙示録的世界観といってもいいかもしれない。手法としてはシュルレアリスムに近いが、内海はそれを「古代中国の画家がもっとも重視した「気」の力が顕現させる自然そのもの」とし、「そこに近代主義的な絵画への強烈な対抗文化を見出し」ている。キャンバスではなく屏風仕立てにしているのはそのためだ。画面をよく見ると、48面は墨の流れによって大きく3グループに分類でき、さらに継ぎ目で4枚ずつに分けられる。おそらく4枚単位で制作していったのだろう。これを物語として読めるだろうか。

2018/06/08(村田真)

抗原劇場常備演目vol.1『ちはる』

会期:2018/06/08~2018/06/10

小金井アートスポット シャトー2F[東京都]

抗原劇場(アレルゲンシアター)は演出家/ドラマトゥルクの山田カイルが展開する演劇活動の総称。レパートリーの創造を目指し「常備演目vol.1」と銘打たれた今回は、劇作家・小島夏葵の戯曲を山田カイルの演出で上演した。

街はずれの砂浜を訪れたウオノメ(塗塀一海)は、そこで鍵を探すヤッコ(野田容瑛)と出会う。その鍵はヤッコがかつてともに暮らしたちはるという女の日記帳の鍵らしい。しかし文字が読めないヤッコは鍵があっても日記を読むことができない。一方のウオノメは街にあるすべての文字を読み尽くして海に来たのだと言う。ウオノメは文字を教える代わりに日記の中身を教えてほしいとヤッコに提案し、二人の共同生活が始まる。やがて文字を覚えたヤッコは、日記に記されたわずかな手がかりをもとにちはるを追う旅に出る。電話越しにヤッコが語る旅はウオノメの、そして観客の想像を広げていく。

会場となった小金井アートスポットは劇場ではなくギャラリーのような空間で、俳優の向こう、窓越しに武蔵小金井の街がよく見える。2階の会場からは人と車が往来する道路を見下ろす形だ。私が『ちはる』を観た日は雨だった。大きな一枚ガラスの向こう、雨の降る街の景色に音はなく、だからだろうか、確かにそこにあるはずなのにどこか現実感がない。窓際に置かれたブラウン管には無数の水鳥が映し出され、むしろここが浜辺ではないことを強調している。私の目の前にいる俳優は確かに現実だが、語る言葉も紡がれる物語もいかにもつくりものめいている。リアルの失調が、私にフィクションとの距離を測らせる。

『ちはる』もまた、そこにはないもの、いない人との距離を描いた物語だった。何かをつかむための言葉は、同時に無限の隔たりを生む。言葉は距離を越え、しかしどこまでも届かない。ヤッコが語る旅も実のところ想像でしかない。それでも言葉は現実に働きかける。物語は二人の(本当の)旅立ちで締めくくられる。

[撮影:江戸川カエル]

公式ページ:https://twitter.com/theatreallergen

2018/06/10(山﨑健太)

ゆうめい 父子の展示・公演『あか』

会期:2018/06/08~2018/06/12

新宿眼科画廊スペースO[東京都]

「父子の展示・公演」と題された本作で描かれるのは、作・演出の池田亮とその父、そして祖父との関係だ。『あか』というタイトルは画家であった祖父が一貫して絵のモチーフとしていた色であり、同時に父と子のわかりあえなさ、つまり、家族もまた他人であることを意味するものだろう。

本作には池田自身に加え、池田の父・靖も出演している。「こんにちは、池田亮です」と池田役の俳優が登場するのはゆうめいお決まりのパターンなのだが、本作ではその役割を池田父が引き受けているのだ。直後に池田亮がこちらは父役として登場し、父子の役割が逆転したやりとりが演じられる。やがて二人は何食わぬ顔で役割を交換し、今度は自分自身の役を演じ始める。そこで語られるのは、中学生の亮が学校でいじめられていることを父に相談することができなかったというエピソードだ。「いじめられてんの?」と問う父は亮がいじめられていることを察しているようにも思えるが、亮は笑って「や、それはない」と答えてしまう。父が子の、子が父の思いを知ることはない。そのわからなさを改めて確認するかのように、役割は交換される。

だがそこにあるわからなさは特別なものではない。亮が子であるように、父たる靖もまた子であり、自身の父・一末との間には固有のわからなさがあったはずだ。ころころと役が入れ替わるなか、靖が一末を、亮が靖を演じる場面がある。一世代上にずれるかたちで演じられる父子関係は、靖と亮とのそれとは異なるものだが、父と子とが互いにわからない部分を抱えた存在であるという1点において共通している。当然のことだ。だが、家族という呪いはときにその当然を見えなくさせる。

完全なる他人として父子や周囲の人間を演じる小松大二郎、石倉来輝、田中祐希ら俳優陣の役割も大きい。わがことを他人ごととして、他人ごとをわがこととして考えてみること。そうしてはじめて問いは開かれるだろう。

[撮影:武久直樹]

公式サイト:https://www.yu-mei.com/

2018/06/11(山﨑健太)

2018年07月01日号の
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