artscapeレビュー

2019年12月15日号のレビュー/プレビュー

喜多村みか 写真展「TOPOS」

会期:2019/10/31~2019/11/12

Alt_Medium[東京都]

中学時代を長崎で過ごした喜多村みかは、数年前から「自分の痕跡を辿るように」その街を撮り始めた。その後、それまで縁がなかった広島にも足を運ぶようになる。ある年の8月6日と9日に、喜多村はTVの中継で長崎と広島の平和記念式典の様子を見ていて、その画面に向けてシャッターを切った。それをきっかけにして、新たな作品の構想がかたちをとっていった。「TOPOS」と題されたそのシリーズは、本年度の「VOCA展2019 現代美術の展望──新しい平面の作家たち」(上野の森美術館)に出品され、大原美術館賞を受賞する。今回の東京・高田馬場のAlt_Mediumでの展示は、その発展形である。

「TOPOS」、すなわち「連想や記憶を蓄えておける場所」(中村雄二郎)としての長崎と広島は、かなり特異な空間といえるだろう。いうまでもなく、原子爆弾の投下による被災という強烈なバイアスがかかった記憶がまつわりついているからだ。そのことを踏まえて写真を撮影し、選択し、構成していくためには、デリケートな手つきが必要になる。喜多村の今回の展示では、隅々にまで二つの土地の「TOPOS」についての配慮が感じられた。原爆ドーム、平和祈念像、「戦没学徒出身校」の石碑など、直接的に長崎や広島の悲劇的な状況につながる写真はしっかりと撮影されている。だがそれらの写真を、やや距離を置いて日常的なイメージのなかに紛れ込ませ、「遠くのどこか」の出来事として再構築していくプロセスが周到に準備されているので、むしろ「TOPOS」自体が本来備えている「連想や記憶」を喚起していく機能が無理なく引き出されてきていた。喜多村の写真の表現者としての資質が、まさに開花しつつあることがよくわかる、高度に練り上げられたいい展示だった。

なお、展覧会に合わせてAlt_Mediumから同名の小冊子が刊行されている。よくまとまってはいるが、もう一回り大きなサイズの写真集として見てみたい。

2019/11/12(火)(飯沢耕太郎)

川崎祐 写真展「光景」

会期:2019/11/13~2019/11/26

銀座ニコンサロン[東京都]

川崎祐は2017年の第17回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞し、2018年にガーディアン・ガーデンで開催した個展「Scenes」で同年度の木村伊兵衛写真賞の最終候補に選出された。今回の銀座ニコンサロンでの個展「光景」は、滋賀県在住の家族(父、母、姉)とその周辺の環境と出来事を撮り続けてきた一連の作品の最終ヴァージョンというべきものであり、赤々舎から同名の写真集も刊行している(装丁・寄藤文平+岡田和奈佳)。

「みずうみのそば、数年前に改修されたばかりの駅を中点に見立てて描いた半径三キロメートルの想像上の円」のなかに見えてくるのは「いかにも地方近郊と呼ぶにふさわしい、ありふれていて、退屈な、日本のどこにでもありそうなとくべつここでなくてもいい風景」である、と川崎は写真展に寄せたテキストに記す。展示されているのは、たしかにその通りとしか言いようのない写真群なのだが、彼の視点の置き方、被写体の切り取り方は、けっしてありきたりというものではない。身近な家族を撮るときに、主観性と客観性のバランスをどのように保つのかというのはかなりの難題なのだが、川崎はぎりぎりのところで紋切り型になりそうな解釈を回避し、彼らの生の輪郭をじわじわと浮かび上がらせていく。彼が家族に対して抱いている違和感とシンパシーとがない交ぜになった感情は、多くの人たちが抱え込んでいるものであり、誰もが当事者として直面せざるをえない状況といえる。「日本のどこにでもありそうなとくべつここでなくてもいい風景」だからこそ、川崎の眼を借りてその場面に直接的に対峙しているような切実なリアリティを感じてしまうのだ。今回の展示では、シークエンス(連続場面)を効果的に使って、観客を写真の世界に引き込んでいく工夫も凝らされていた。

川崎は一橋大学大学院言語社会研究科修士課程でアメリカ文学を研究していた。そういう経歴を見ても、言葉に並々ならない執着を抱いているのではないだろうか。写真集には幼年時代からの記憶を辿って「かつて私が憎しみ、出ていったこの郊外の街と家」について綴った「小さな場所へ」と題する長文のエッセイがおさめられていた。次作はより言葉の比重を上げてもよさそうだ。なお、本展は12月5日〜12月18日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2019/11/13(水)(飯沢耕太郎)

写真新世紀 2019

会期:2019/10/19~2019/11/17

東京都写真美術館地下1階展示室[東京都]

キヤノンが主催する「写真新世紀」は1991年のスタートだから、ずいぶん長く続いてきたものだ。当初は年4回開催されていたが、それが年2回になり、現在は年1回に落ち着いた。立ち上げから20年あまり審査員としてかかわった筆者にとっても、感慨深いものがある。その優秀賞、佳作入賞者の作品を展示してグランプリを決定する「写真新世紀展」にもほぼ毎年足を運んでいるのだが、このところかなり違和感を覚えていた。2015年から「静止画・動画を含むデジタル作品の応募」が可能となったことで、動画による映像作品が増え、また現代美術的なコンセプチュアルな発想の作品にスポットが当たることが多くなっていたからだ。ところが、今年の「写真新世紀展」では、「写真」をベースにした発想、手法、仕上げの作品の比率が上がってきている。いわば「先祖返り」といった趣の会場の雰囲気が興味深かった。

今年の審査員は椹木野衣(美術評論家)、サンドラ・フィリップス(SF MoMA名誉キュレーター)、瀧本幹也(写真家)、ポール・グラハム(写真家)、安村崇(写真家)、ユーリン・リー(台湾高雄市立美術館ディレクター)、リネケ・ダイクストラ(写真家)の7名である。優秀賞を受賞したのは、江口那津子「Dialogue」(ポール・グラハム選)、遠藤祐輔「Formerly Known As Photography」(安村崇選)、幸田大地「background」(瀧本幹也選)、小林寿「エリートなゴミ達へ」(サンドラ・フィリップス選)、田島顕「空を見ているものたち」(ユーリン・リー選)、中村智道「蟻のような」(リネケ・ダイクストラ選)、𠮷田多麻希「Sympathetic Resonance」(椹木野衣選)で、そのうち中村智道の作品がグランプリに選出された。

父親の死の前後の写真と、子供の頃に蟻の胴体をちぎって殺した記憶とを重ねあわせるように提示する中村の作品をはじめとして、身近な他者の生と死とを微視的に拡大し、重層的に組み上げていく写真のあり方は、日本の「私写真」の重要なファクターであり、1990年代から2000年代初頭にかけての「写真新世紀」の出品作品にもよく見られた。今回の優秀賞受賞者でいえば、アルツハイマー型認知症の母と歩いた街の記憶を辿る江口那津子や、亡くなった母親のポートレートの延長として、彼女が愛していた植物を撮影した幸田大地の作品もそうである。先ほど「先祖返り」という言い方をしたのはそのためだが、むろん当時と比較すれば写真家たちの表現意識はより高度なものとなり、厚みを増している。次年度の「写真新世紀展」がどうなるのか、この傾向が続いていくのかどうかが気になる。

2019/11/14(木)(飯沢耕太郎)

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辰野金吾と日本銀行、辰野金吾と美術のはなし

日本銀行金融研究所貨幣博物館、東京ステーションギャラリー[東京都]

今年は辰野金吾(1854~1919)に関する展覧会が2つ開催された。今年が彼の没後100年にあたることが、その理由である。藤森照信の解説によれば、辰野はいずれも東京の顔となる国家的な建築、東京駅、日本銀行、国会議事堂を手がけたかったらしいが、よく知られているように最初の2つは実現しており、これらに関連した会場で展覧会が企画されたことになる。

ひとつは貨幣博物館の常設展示エリアにおける小企画「辰野金吾と日本銀行」展である。旅のスケッチ、トランク、手紙、竣工当時の図面、日本銀行が描かれた錦絵、彼が手がけた他の日本銀行(大阪、京都、小樽)の写真などが紹介されていた。ちなみに、日本銀行旧小樽支店金融資料館でも「辰野金吾と日本銀行建築」展が開催されている(2019年11月15日~2020年2月18日)。国内で同時に展示が行なわれるとは、さすがである。

ところで、貨幣博物館の向かいに、本物の日本銀行がたっているのだから、細部の見方を解説するハンドアウトを配布すれば、会場を出てから、それを手にしてじっくり建築を観察できるのに、そうした工夫がないのが惜しい。実物の立地を生かしきれていないのだ。また展示にあわせて新規のカタログを制作しているのに、全然それ(本物の日本銀行の所在)を見せないのももったいない。たぶん来場者はわからないだろう。

もうひとつが東京ステーションギャラリーの「辰野金吾と美術のはなし」である。ここは以前、大きな辰野展を開催していたので、どうするのかと思ったら、ワンフロアのみを使う小企画だった。洋行の資料や東京駅の図面を紹介するのはお約束だが、イギリスの留学先で出会った洋画家の松岡壽との関係から辰野を探る切り口を設定したことが、今回の新機軸だろう。また各部屋の内装計画や有名画家による室内画にも触れていた。そして筆者が東京大学の建築学科の学部生だったときにデッサンしたのと同じアリアス胸像が思いがけず展示されており、懐かしい気持ちになった。松岡が用いた石膏像で、その保存に辰野が尽力したらしい。

冒頭では、後藤慶二による辰野建築を集合させた絵画を紹介していたが、改めて見ると、おそらくネタ元であるジョン・ソーン/ジョセフ・マイケル・ガンディーの作品に比べて、表現が拙い感じがする。ちなみに、辰野の100種類以上のスケッチを自由に組み合わせて、オリジナルのトートバッグやTシャツを制作できるコラボレーション企画は良かった。

□ 辰野金吾と日本銀行
会期:2019/9/21〜2019/12/8
会場:日本銀行金融研究所貨幣博物館


□ 辰野金吾と美術のはなし
会期:2019/11/2〜2019/11/24
会場:東京ステーションギャラリー

2019/11/15(日)(五十嵐太郎)

JCD連続デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」

会期:2019/11/15

東京デザインセンターB2F ガレリアホール[東京都]

東京デザインセンターにおいて、2016年に亡くなったデザイナーの内田繁をめぐるシンポジウムに登壇した。飯島直樹は初期のエピソードのほか、内田がJCDのアワードを改革したことに触れ、長谷部匡は内田のデザインの変遷を紹介し、筆者は著作から読み解くことができる彼の考え方の展開を報告した。内田が構造主義や日本文化から影響を受けつつ、「関係の先行性」や時空間を巻き込む独自のデザイン論を展開し、ついには戦後インテリアデザインの通史まで自ら執筆したことが興味深い。

特に単著の『戦後日本デザイン史』(みすず書房、2011)と内田繁監修・鈴木紀慶・今村創平『日本インテリアデザイン史』(オーム社、2013)は、ほとんど初めて日本のインテリアデザインの歴史を執筆した本という意味で重要だろう。前者は、最初に3つの視点を挙げている。すなわち「ひとつは、すべて網羅しようとはしないこと。……後世のために重要だと思うものを取り上げた。……ふたつ目は、できるだけ多くのジャンルにまたいで記述すること。……時代ごとにできるだけ横のつながりが見えるような構成を心がけた。そして三つ目は自分の体験を踏まえること。……生の声が貴重だとしたならば、記録に留めることには意味があるであろう」。

もちろん、歴史研究者の著作ではない。むしろ、戦後デザインが大きく変動する現場に立ち会った人物が、どのように同時代を観察したのかという側面が強い。とはいえ、インテリアだけでなく、グラフィック、ファッション、建築、アートなど、異なる分野を自由に横断するデザイン史は読み物としても大変に刺激的だ。

以下にディケイドごとのあらすじを紹介しよう。1960年代は建築からインテリアが自立、1970年代は商業空間を中心にインテリアデザインがゲリラ的に展開、そして1980年代になると、「社会制度と個別性の関係」は色褪せ……「個人の固有性」が前面に出て、脱日常的な空間に重点が置かれた。さらに1990年代は日常性に回帰し、2000年代以降は環境の時代になったという。戦後の日本建築史と並行する部分も多く、今後の比較研究もできるのではないだろうか。



デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」より、飯島直樹の発表風景



デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」より、長谷部匡の発表風景


デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」より、筆者(五十嵐太郎)の発表風景



シンポジウム後半、内田繁について討議する3人の登壇者。

2019/11/15(金)(五十嵐太郎)

2019年12月15日号の
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