artscapeレビュー
2020年03月01日号のレビュー/プレビュー
高島空太 写真展「20XX」
会期:2020/02/12~2020/02/25
銀座ニコンサロン[東京都]
高島空太は2012年頃から写真作品を発表し始め、清里フォトアートミュージアムの「ヤング・ポートフォリオ」の公募(2014、16、18年)や、「キヤノン写真新世紀」(2016年)などで入賞を重ねてきた。彼のスタイルは、日本の若手写真家たちの中では、かなり特異なものといえるだろう。現実世界の写しではなく、画像を合成して「自分の内にあるイメージと、撮り溜めた外の世界である写真を重ねて」いくことで、「純度が高くクリアな世界」を構築していく。モノクロームの表現にこだわっていることもあり、見た目の印象は19世紀のピクトリアリズム(絵画主義)の作風に近い。今回の個展では、これまで発表してきた作品を集大成していた。
表題作の「20XX」のように、その終末的な世界観がとてもうまく表現できているものもある。ただ、「小鳥のような気持ち」、「こじんまりとした世界に溺れて」、「あなたの中で休みたい」といった作品タイトルも見てもわかるように、集められている画像は意外なほどに感傷的なものだ。ゴシックロマン風の外観と内容とが、やや齟齬をきたしている。会場構成も一考の余地があるのではないだろうか。メインの作品はアクリルに裏打ちして展示しているが、額入りのやや小さめな作品が並んでいるパートもある。作品のテンションがそこで途切れてしまうので、あまりまとまりがよくない。彼のユニークな作風は、とても大きな可能性を秘めていると思うので、もう少し足元を固めて、細部まで神経を働かせたインスタレーションをめざしてほしい。なお、本展は3月5日~18日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2020/02/12(水)(飯沢耕太郎)
二人「二人のショー」
会期:2020/02/01~2020/02/29
Gallery 工房 親 CHIKA[東京都]
「二人」(Two People)は、宇田川直寛と横田大輔によって2019年夏に結成されたアーティスト・ユニット。宇多川も横田もそれぞれ日本の写真表現の最前線を切り開いてきたが、2016年から北川浩司を加えた「Spew」というユニットでも活動し始めた。今回は北川が抜けた「二人」名義での発表になる。
「Spew」のときもそうだったのだが、彼らの発表はきちんとまとまった「作品」を見せるよりは、その制作のプロセスをそのまま提示することが多い。今回の展示もそうで、ライティングを落として暗くした会場に、複数のモニターやスクリーンが並び、バラバラの映像を流していた。どうやら「二人」は北海道らしき北の方に旅をしたようで、その途中の光景や、彼らがそれぞれの写真観を語る映像+音声などが、アトランダムに目に飛び込み、耳に入ってくる。他に会場には、互いに互いの作品をコラージュして制作した作品や、旅の途中の写真をミニアルバムにおさめた手作り写真集なども置いてあった。
今回の展示は、まだ小手調べという感じを受けた。ノイズを重ね合わせるようなインスタレーションも、やや中途半端な印象を受ける。もう少し、ユニットの活動が展開していけば、よりスリリングな展示が期待できるのではないだろうか。会場を変えて、次の企画を実現してほしい。なお、本展は第12回恵比寿映像祭の一環として開催された。キュレーションは、元川崎市民ミュージアム学芸員の深川雅文である。
2020/02/12(水)(飯沢耕太郎)
ハマスホイとデンマーク絵画
会期:2020/01/21/~2020/03/26
東京都美術館[東京都]
10年ほど前に日本に初紹介されたハンマースホイが、名前を短縮して再登場。書き手としては2字も省略できて経済的だが、なんとなく北欧的な重厚さが薄まって間が抜けた感じがしないでもない。ハマスホイ。そういえば前回はまったく無名だったため「北欧のフェルメール」などと宣伝されたが、今回は多少知られてきたせいか、オランダ絵画の黄金時代の巨匠の名を借りることもなく(と思って探したら、チラシの裏に小さく「北欧のフェルメール」と書いてあった)、デンマークの先輩画家たちとの抱き合わせで展覧会は成り立ったようだ。
でもこの時代を「デンマーク絵画の黄金期」と呼んだりするのは、やっぱりフェルメールの生きた17世紀オランダになぞらえたいからだろう。実際、19世紀後半のデンマーク絵画は、同時代の印象派などより17世紀オランダの風景画や風俗画に近いところがある。どちらもヨーロッパの北に位置し、海に面しているせいか殺風景だし、気候的にも家にこもりがちで、おのずと室内画が多くなったようだ。
展示は「日常礼賛─デンマーク絵画の黄金期」「スケーイン派と北欧の光」「19世紀末のデンマーク絵画─国際化と室内画の隆盛」、そして「ヴィルヘルム・ハマスホイ─首都の静寂の中で」の4部構成。まず、ハマスホイ以外で気になった作品を挙げると、ミケール・アンガの《ボートを漕ぎ出す漁師たち》と、オスカル・ビュルクの《スケーインの海に漕ぎ出すボート》がある。この2点は制作年こそ3年違うが、ほぼ同じ主題を描いており、とりわけ驚くのは、両作品とも左側で正面を見つめる漁師が、顔も体格もポーズも服装もほとんど同じであることだ。これは偶然だろうか、それともプロのモデルを雇ったのだろうか。
クレスチャン・モアイェ=ピーダスンの《花咲く桃の木、アルル》にも驚いた。どこか見覚えのある絵だなと思ったら、ゴッホの《桃の木(マウフェの思い出に)》とよく似ているのだ。解説によると、ピーダスンは南仏アルルでゴッホと親交を結び、ゴッホが制作した位置から数メートル離れた場所でこれを描いたらしい。ちなみに、ピーダスンはゴッホについて「私は最初、彼は頭がいかれているのだと思いましたが、しだいに彼の考えにも体系があることがわかってきました」と述べ、ゴッホはピーダスンのことを「もともと彼には厄介な事情があって、そのせいで仕事も変え、神経症にもなったのでそれを治療するために南仏に来ていた」と記している。お互い「いかれたヤツ」と思っていたらしい。
もう1点、ユーリウス・ポウルスンの《夕暮れ》も瞠目に値する。夕暮れを背景にした2本の木を描いた絵だが、完全にアウトフォーカスで捉えているのだ。こうしたアウトフォーカス気味の描写はある程度ハマスホイにも受け継がれており、この時代のデンマーク絵画の特徴ともいえるが、これほど焦点の合わないピンボケ絵画は見たことがない。ついでにもうひとつ、ハマスホイも含めてなぜか後ろ姿を描いた絵が多いのも気にかかる。ざっと数えると、斜め後ろも含めて13点あった。そういえばノルウェーの画家ムンクにも後ろ姿の絵が多かったような気がする。これは北欧絵画の特徴か。
ようやくハマスホイに行きついたぞ。ハマスホイの作品で注目したいのは、レリーフの模写が2点あり、どちらも正面から描いていること。絵画を模写するとき斜めから描くバカはいないが、レリーフを模写するなら、立体感を出すために斜めの角度から描写してもおかしくない。でもハマスホイは正面から捉えることで平面性を意識させる。室内風景を描くときも同じく、壁に対して斜めではなく直角に視線を投げかける。だから壁と天井、壁と床の境界線は水平に引かれ、柱または壁の垂直線と直角をなす。この水平線と垂直線の織りなす幾何学的構成により画面の矩形性が強調されるが、これこそハマスホイとフェルメールの画面に共通する絵画の特性にほかならない。
2020/02/15(土)(村田真)
林忠彦×大和田良─五百羅漢を巡るふたつの視覚─
会期:2020/02/05~2020/04/29
天恩山五百羅漢寺[東京都]
とても興味深い企画である。東京・目黒の天恩山五百羅漢寺には、元禄4年(1691年)に松雲元慶が羅漢像を掘り上げて以来、500体以上の羅漢像が奉納されてきた(現在残っているのは305体)。林忠彦は、その五百羅漢像の喜怒哀楽の表情に魅せられ、1982年にそのすべてを撮影し、写真集『天恩山五百羅漢寺』(天恩山五百羅漢寺)を刊行した。そこには人物ポートレイトの撮影で鍛え上げたライティングや画面構成の技術が活かされていた。
その林の作品とともに、今回、同寺内で展示されたのが、大和田良が2018年に撮影した五百羅漢像である。大和田は19世紀の写真草創期の技法である湿式コロジオン法で撮影している。今回は、金属板に画像を直接焼き付けるティンタイプを使用していたが、露光時間はかなり長くかかったはずだ。だが、その柔らかく、繊細な画像によって、年月を経た五百羅漢像の微妙な質感、空気感が写しとられているように感じた。
だが、林の正統派の「ポートレイト」としての五百羅漢像と、大和田の古典技法の現代的な解釈を対比させる試みは、あまりうまくいっていたとは思えない。会場のガラス窓に貼りつけた作品は、光が強すぎてやや見づらかったし、羅漢像の実物と向き合う形の展示は、どうしてもその迫力に押されてしまう。別な会場で、写真作品だけを切り離して見せたならば、林と大和田のそれぞれの写真が語りかけるメッセージを、もっとしっかりと受け止めることができたのではないだろうか。
2020/02/17(月)(飯沢耕太郎)
師岡清高写真展:「刻の表出」人生においてどれほどの出会いがあるのだろうか。
会期:2020/02/13~2020/03/28
キヤノンギャラリーS[東京都]
1948年生まれの師岡清高は、大阪芸術大学美術学科写真専攻で岩宮武二、天野竜一に師事し、卒業後に専任講師を経て同大学教授となった。以来、2019年3月に退職するまで教職にあったのだが、その間もずっと写真作品の制作、発表を続けてきた。今回のキヤノンギャラリーSで展示した「刻の表出」のシリーズは、大学退職後にパリで一挙に撮り下ろしたものだという。あらためて、写真作家として再出発するという表現意欲のあふれる清新なカラー作品、約70点が並んでいた。
師岡にとって、写真作品の制作とは「知への憧れ」であり、「新たな出会いにトキメキを覚え」ることだという。主に縦位置で、パリの風物を切り取った作品を見ると、奈良原一高や川田喜久治が1960年代にヨーロッパで撮影した写真群を思い起こす。異国への旅立ちが、日常の世界から非日常の領域への通路を開き、見慣れた事物が、奇妙に魔術的な相貌を身に纏って見えてくる。そんな新鮮な感覚の芽生えが、師岡の作品一点、一点に刻み付けられているように感じた。今回はパリを撮影したわけだが、奈良原一高がヨーロッパから帰国後に、日本の伝統文化に回帰して『ジャパネスク』(毎日新聞社、1970)をまとめたように、これから先は、師岡も日本に被写体を求めることがあるかもしれない。
また、会場の一隅に展示されていた、石鹸水を使ったという抽象作品も気になる。こちらは、外に向いていた視線を「私」の内面世界へと転じたものだ。この個展を契機として、内と外とを行き来する、より大きな作品世界が形をとりつつあるのではないだろうか。
2020/02/18(火)(飯沢耕太郎)