2023年02月01日号
次回2月15日更新予定

artscapeレビュー

2022年10月01日号のレビュー/プレビュー

松井正子「Winter Wanderings Ⅰ -South Korea, 1981/82-」

会期:2022/06/06~2022/06/19

photographers' gallery[東京都]

本展は松井正子が韓国を初めて訪れた1981年と1982年のスナップ写真で構成されている。会場に入ってすぐの壁面には作家によるステイトメントが記されていて、その後に続く写真はリニアに並ぶ。被写体の多くは、何をするでもない街の中の女性たちを中心とした若者だ。雑踏の中、どこかへ向かう母娘、楽しそうに集団で歩く女子学生たち、裕福そうなコートの女性。声をかけて撮影するということではなく、するりと静かにシャッターが切られたスナップだ。松井が見返されることももちろんあって、青年のうち一部は松井へほほえみかけている。青年たちの多くは学生服姿だった。さまざまな衣類が並ぶ店も作品に収められていて、その様子を見る限りだと、別段「学生服だけが売買されている」わけではなさそうだ。

撮影当時は、1979年朴正煕大統領暗殺事件、1980年光州事件の後。松井は当時を振り返り、次のように書いている。


当時の日本からの観光客はほぼ男性であった。ソウルでは、劇場の開演前や毎夕方街中に愛国歌が流れ、全ての人々は直立不動になった。夜12時から朝4時まで一切の夜間外出は禁止されていた。男女の区別のつかない長髪の取り締まりも行われていた


1980年における日本からの韓国旅行者とは93.5%が男性であり、日韓の経済格差を背景とした風俗観光(キーセン観光)と韓国旅行はほぼイコールだった。そのなかで松井の撮影は行なわれている。ベンチに並んでまどろむ二人組の少女、連れ立って歩く男女。「軍事休戦中の国」のなかの女性たちや青年の無為の姿に対する写真家の遠くからの緊張と安堵の拮抗もまたそこには写り込んでいると言えるだろう。


公式サイト:https://pg-web.net/exhibition/matsui-masako-wwisk198182/


参考文献:
新井直樹「日本と韓国の国際観光と観光交流 日韓観光交流の歩みと日韓関係の変遷を中心に」(『奈良県立大学研究季報』第30巻第3号、奈良県立大学、2020、pp.39-78)

2022/06/10(金)(きりとりめでる)

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO

会期:2022/06/03~2022/09/03

京都中央信用金庫 旧厚生センター[京都府]

ブライアン・イーノの大規模なインスタレーション展ということであったが、いずれの作品も基本的には光源か音源による観賞上の正面性が強く存在する。なので、観賞者は暗闇の中に浮かぶ映像や音をどこかのソファーに座ったり、定位して体験することになる。というか、暗いのでたくさんいる人の中を無闇に歩いて回るわけにはいかない。とにかく人が多かった。

多くの人を安全に移動させるために黒いTシャツを着たスタッフたちがライブ会場のように黙々と誘導し続ける。ジョセフ・アルバースのように設計の色彩配色がLEDで転々と配色を変えながら光る《Light Boxes》であったり、スクリーンセーバーのように明確な形象を結ぶことのない映像である《77 Million Paintings》や、ある人の顔を見ていると思いきや気付いたら違う人になっていた! という《Face to Face》のように、つねに捉えどころがない映像、そして盛り上がりも溜めもない音は、いくらでも体験していられる。とりわけ、背もたれのある立派なソファーが並んでいた《77 Million Paintings》では、子供部屋に流れるプラネタリウムのように作品は人々の眠気をさそっていた。そうではあったのだが、わたしは自分の後に待ち構える次なる観賞者のことを背中に感じ、ある程度の作品の構造的なるものを把握したような気がしたら、そそくさとその場を後にした。睡眠という観賞は、見ることも聞くことも放棄しながらも、ほかの観賞者の存在を忘れて作品に身を任せた結果だなと思い、羨ましく感じた。

入場料は平日は2,000円、土日は2,200円でした。なお、本イベントの収益の一部はイーノが設立した気候変動問題の解決を目的とした慈善団体「EarthPercent」へ一部が寄付されるそうです。


公式サイト:https://ambientkyoto.com/


関連レビュー

Surrender ゆだねる力展─能動と受動の間で |きりとりめでる:artscapeレビュー(2022年10月01日号)

2022/07/31(日)(きりとりめでる)

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Surrender ゆだねる力展─能動と受動の間で

会期:2022/06/17~2022/07/31

Gallery 9.5(HOTEL ANTEROOM KYOTO内)[京都府]

本展は、アーティスト、エンジニア、AI研究者などからなるコレクティブ「 Qosmo コズモ 」による展覧会だ。ステイトメントで明示されていたのだが、同時期に同じく京都で個展を開催していたブライアン・イーノが提唱した「ジェネラティブ・ミュージック」へ連なる系譜として本展は企画されている。

「ジェネラティブ・ミュージック」よりも広い領域を指す「ジェネラティブ・アート」は自律的なシステムやソフトウェアの主体的な挙動を利用するものであるが、そういったシステムに対して人間がどのような切れ目、枠組み、終わり方、ループの仕方を形づくるかという点が、これらの作品化において重視されてきた。Qosmoは特にそのシステムにAIを組み込むことにより、ソフトウェア自体ではなく、人間対非人間というスケールを作品に与えてきた。

例えば出展作の《Suspended Identity》(2022)は二つのモニターとフロントカメラが対面するように並んでいるインスタレーションで、それぞれのフロントカメラは互いの様子を写し合っている。いずれのカメラも外界の情報を収集のうえAIが学習し、自身の内部状況を変化させているのだが、その変化には2種類の志向性が設定されている。外界の模倣、模倣による内部変化の減少をトリガーとした差異化。この動きはフィードバックループを繰り返していくことになる。顔色を窺いながら同質化するコミュニケーションの比喩でもあると思う半面、それではあまりにも他者としてのAIに、ジェネラティブである構造に人間を見出す方法でしか作品を閉じることができていないと自身の想像力の欠如を思うのであった。

観覧は無料でした。


公式サイト:https://qosmo.jp/surrender-kyoto/


関連レビュー

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO |きりとりめでる:artscapeレビュー(2022年10月01日号)

2022/07/31(日)(きりとりめでる)

久松知子「ホワイトキューブの向こう側」

会期:2022/08/26~2022/09/25

NADiff Gallery[東京都]

使い古しの黄色いテープの入った業務用ゴミ袋、足先にクッションをつけた脚立、梱包された平たい箱を無造作に並べた台車、木箱が積まれた工場のような室内風景……。どこかの工事現場でも描いているのかと思ったら、アートフェア終了後の撤収風景だという。なるほど、平たい箱にはおそらく絵画が梱包され、積まれた木箱は美術品運搬用のクレートってわけか。

これは、日本画、近代美術史、美術館といった美術を支える諸制度をモチーフにしてきた久松の、アートマーケットに切り込んだシリーズのひとつ。アートフェアそのものではなく、搬出時のどうでもいいような風景をスナップショット的に描くのは、華やかに着飾った紳士淑女がきれいに並んだ作品を品定めする会場の舞台裏にこそ、アートマーケットの本質が隠され、アーティストにとってのイマジネーションの源泉が潜んでいることを暴露しているのかもしれない。タイトルどおり「ホワイトキューブの向こう側」だ。

おもしろいのは、このうちの1点の絵が別の絵のなかに画中画として描かれていること。具体的には、先述の「平たい箱を積んだ台車の絵」が透明シートに梱包され、壁に立てかけられているところを描いた絵があるのだ。れれれ? 搬出時の台車を描いた絵が別の絵に描かれているということは、すでに搬出時に「その搬出を描いた絵」が存在していたことになる。これはありえない話。このようにさりげなく虚実を織り交ぜるのも久松の得意とする芸当だ。

2022/08/13(土)(村田真)

鷲見和紀郎 brilliant corners

会期:2022/08/26~2022/09/25

BankART KAIKO[神奈川県]

1950年生まれの鷲見和紀郎は、世代的にも作品的にも典型的な「ポストもの派」の彫刻家。ポストもの派とは、先行するもの派やミニマリズムが美術表現をゼロにまで還元した後を受け、もういちど「美術」「絵画」「彫刻」を一から再構築しようとしたアーティストたちであり、鷲見はまさにその渦中にいた。初期の作品を見ると、ミニマルアートやもの派の影響が色濃く、いかにそれらを超えていくかが課題だったことがわかる。たとえば金属でサイズの異なる凹型をいくつかつくり、少しずつずらして重ねるなど、形態はミニマルでありながらどこか遊び心を忍ばせている。これはおそらくBゼミで学んだ田中信太郎の影響だろう。1980年代にはミニマリズムから脱し、壁や床にへばりついたり、角状に湾曲したり、螺旋状に巻いたり、橋のように床から床へ渡したりと、形態は多様化。また彫刻だけでなく、鷲見ならではのワックスを用いたインスタレーションも始まる。

出品は平面も含めて30点。会場が限られているため大規模な彫刻はそれほどないが、展覧会タイトルにもなった《brilliant corners 2022》というワックス・インスタレーションが見応えある。会場の一画を占める薄いクリーム色のワックスの塊は、まるで降り積もった雪のようで、そのなかに人ひとりが通り抜けられる細い道がつけられている。歩いていくと徐々に高さが増して、最高点では視界が遮られるくらい。これって、うずたかく積もった雪を切り開いて通れるようにした立山の「雪の大谷」みたい。おもしろいので何度も行ったり来たりしてみる。

実は、展覧会のオープニングのあいさつで横浜市の人が「この展覧会はとても楽しめる」と述べていたので、まだ展示を見ていなかったぼくは首を傾げた。鷲見に限らずポストもの派の作品は重厚でストイックなものが多く、少なくとも「楽しめる」類のものではないだろうと。だが実際に見てみると、それはぼくの思い込みに過ぎなかった。ワックスのインスタレーションだけでなく、彫刻作品も形態や色彩やマチエールが多様で、1点だけならまだしも、これだけ集めると十分に楽しめるのだ。

でも個人的にいちばん楽しめたのは、会場奥に置かれた数点のマケットだ。鷲見にはワックス・インスタレーションをはじめ、その場でつくって終われば壊してしまうサイトスペシフィックな作品が少なくないので、後に残らない。そんな消失した作品を会場ごと縮小模型として見せているのだ。通常こうしたマケットはインスタレーションの前に試作としてつくるものだが、これらはコロナ禍で引きこもった2年ほどのあいだに制作したのだという。会場は秋山画廊、島田画廊、東京国立近代美術館、府中市美術館など見覚えのある場所が多い。サイズがわかるように紙を切り抜いた人型も置いてあり、後2者の人型は鷲見の展示を担当した故本江邦夫氏だった。ああ久しぶり。

2022/08/26(金)(村田真)

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2022年10月01日号の
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