artscapeレビュー
2009年03月01日号のレビュー/プレビュー
建物のカケラ 一木努コレクション
会期:2009/01/04~2009/03/01
江戸東京たてもの園[東京都]
歯科医・一木努のコレクション展。といっても、ここで展示されていたのは美術作品ではなく、建物のカケラ。900箇所にも及ぶ建物の解体現場に40年ものあいだ通い詰め、その断片を収集してきた個人コレクションのなかから、およそ700点あまりのカケラを一挙に公開した。東京都(府)美術館の階段の手すりから、美空ひばり邸の門扉、山口百恵が通っていたという銭湯のタイル(!)まで、じつにおびただしい。ひとつひとつ丁寧に見ていくと、建物のカケラといえども、形態からテクスチュア、ボリューム、模様、色合いなど、その構成要素は複雑多様で、絵画や彫刻にも勝る豊かな物質であることがわかる。それらが歴史的な時間性を感じさせることはいうまでもないが、都心部の建物のカケラを同心円状に配置することで、その空間的な広がりも想像させるなど、展示の仕方もたいへん優れていた。図録も無料で配布するなど、腹が太い。
2009/02/03(火)(福住廉)
ぼうしおじさんと中華街 写真展
会期:2009/01/28~2009/02/20
シネマジャック&ベティ・カフェ[神奈川県]
「ぼうしおじさん」こと、宮間英次郎を写した写真展。手作りのデコレーティヴな帽子を被り、横浜の中華街などに出没しては観光客の度肝を抜き、人気を集めている。けれども、展示そのものは本人のキャラが濃ゆすぎると展示がショボくなるというパターンを踏んでいて、あまり見応えはなかった。よく見るとキャプションがノートの切れ端だったが、これは「ねらっている」というより、むしろ「済ませている」という感じで、あまり感心できない。写真だけでなく、ぼうしおじさんの来歴やインタビュー、映像など、多角的にアプローチした展示であれば、もう少し楽しめたはずで、もったいない。
2009/02/04(水)(福住廉)
篠山紀信 20XX TOKYO
会期:2009/01/22~2009/02/12
T&G ARTS[東京都]
写真家・篠山紀信の展覧会。深夜の街角で撮影されたゲリラ・ヌードの写真を発表した。いわゆるアーティスティックな風情がこれみよがしに醸し出されているが、篠山の写真といえば、何よりもまず雑誌のグラビアである。大衆的な写真と芸術的な写真を切り分け、両者をバランスよく使い分ける戦略は篠山だけのものではないが、大衆的な写真を発表する場としてあった雑誌メディアじたいが危機に瀕している現状を考えると、これからは芸術的な写真に安易に逃げ込むのではなく、大衆的な写真だけを突き詰めることのほうが、むしろ「芸術的」な態度となるのではないだろうか。大衆芸術と純粋芸術という旧来の図式は、いまや反転しつつあるのではないか。
2009/02/04(水)(福住廉)
国宝 三井寺展
会期:2009/02/07~2009/03/15
サントリー美術館[東京都]
琵琶湖を望む三井寺の寺宝を開陳する展覧会。頭頂部が尖りぎみの《智証大師坐像(御骨大師)》や文字どおり面妖な《新羅明神坐像》、たおやかな品性を醸し出す《如意輪観音菩薩坐像》など、門外不出の秘仏が公開されている。仏像好きにはたまらない。
2009/02/06(金)(福住廉)
ピーピング・トム「Le Sous Sol/土の下」
会期:2009/02/05~2009/02/07
世田谷パブリックシアター[東京都]
寓話性を色濃く含んだダンス作品。男2人と女1人のダンサーたちは、敷き詰められた土の上で、反転したでんぐり返しとか、体の一部がなぜか磁石のようにくっついて離れないといった事態を、きわめてアクロバティックに(つまり事故すれすれの状態で)見せた。そのありえない運動はファンタジック(曲芸的)でもあり、またその過酷さ故に踊る身体を強く意識させもする。いや、身体を意識させたといえば、彼ら以外の出演者、オペラ歌手と老婆だ。男ダンサーと老婆とが交わすキスには「そんなことやらせるか!」と思わずにはいられない。が、そんな柔な批判など、老いた体は舞台のマテリアルとして存在してはならないというのか?と目の前の舞台それ自体に反論され、一蹴されてしまうだろう。次第に、この老婆は体が老いているだけの子どもなのではないかとの錯覚がぼくの内で起こり、その錯覚にあまりにふさわしく、最後の場面で老婆はオペラ歌手の大きな乳房を口に含んだ。「土の下」=死というモティーフは、いまここでそのモティーフを上演するリアルな限りある身体に対する思いを強くさせた。けれども、その目の前の身体とて、身体というもののイメージの媒体でしかない。
2009/02/06(金)(木村覚)