artscapeレビュー

2013年01月15日号のレビュー/プレビュー

中ザワヒデキ 展「脳で視るアート」

会期:2012/12/08~2013/02/17

武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]

いつのまに吉祥寺に美術館なんてできたんだろう。商業ビルの7階にあるのでそんなに広くないうえ、浜口陽三と萩原英雄というふたりの版画家の常設展示室が約半分を占めているため、企画展示室はかなり狭い。だから中ザワの多岐にわたる活動をすべて紹介するにはとても足りないため、彼が医学部出身で眼科医局にも務めていた経験があることから、脳の視覚作用に基づく作品つまり「脳で視るアート」に絞ったという。まあ広くとらえればあらゆる視覚芸術は「脳で視るアート」なんだけどね。出品は、画面を三原色のマス目で埋めた《灰色絵画》(頭のなかで混ぜれば灰色になる)、画面を細胞(セル)のように次々と2分割して絵具を重ねていった《セル》、美術か医学か迷っていた眼科医時代(1988)に視力表を新表現主義的タッチで描いた《シリョクヒョウ》、手を介さずに脳の働きをそのまま紙に記した《脳波ドローイング》などのシリーズ。いずれも絵画を成り立たせている色彩、構成、視覚、手の動きといった要素を突きつめ、ときに絵画の枠すら超えてしまった概念性の強い作品といえる。このなかではもっとも概念性は低いものの、作者の葛藤がそのまま絵になったような《シリョクヒョウ》に惹かれるなあ。

2012/12/21(金)(村田真)

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志村信裕 展「美しいブロー」

会期:2012/12/12~2012/12/23

アートセンター・オンゴーイング[東京都]

急な階段を昇ると2階は真っ暗。壁面にボケて円形になった色とりどりの光の粒が漂う。部屋の隅には紙袋が置かれ、なかをのぞくと底にリボンの映像が舞っている。かたわらのバケツには水が張られ、水面には花火が映し出される。1階のカフェで休むと、棚にエビスさまの映像が鎮座しているのが目に入る。だいたい見たことあるやつだけど、映像は絵画や彫刻と違い、映す場所によってまったく別の作品になりうる(つまり応用が利く)から便利というか、ズルイというか。そんなサイトスペシフィックな映像では志村の右に出るものはいない。

2012/12/21(金)(村田真)

スカイフォール 007

映画『スカイフォール』は、スタイリッシュな絵だった。内容としては、『007』シリーズ50年のレガシーを継承しながら、古くなったものを新しい時代に復活させることがテーマである。トルコ、上海、マカオ、軍艦島、スコットランドの風景描写も素晴らしい。特にテクノスケープ系におすすめである。以前から筆者もカッコいいと思っていた高架の道路の青い照明など、未来的な上海ブルーの表象が最高だった。また上海のガラスの摩天楼を舞台とした、人のシルエットや青っぽいクラゲの映像がリフレクションするなかでの戦闘シーンの美しさも忘れがたい。東京は、もはやアンティークではないかと、ふと思う。

2012/12/21(金)(五十嵐太郎)

吉野英理香「Digitalis」

会期:2012/12/08~2013/01/19

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

ひとりの写真家の世界が、何かのきっかけで大きく開花していくことがある。吉野英理香にとっては、それは写真集『ラジオのように』(オシリス、2011)の刊行だったのではないだろうか。吉野はこの写真集におさめた写真を、それまでのモノクロームからカラーに変えて撮影した。そのことで、北関東の街のなんとも殺風景な日々の情景が、傷口をそっと指の腹で撫でるような切実さで定着されるようになった。
今回発表されたのは、その続編というべきシリーズだが、その作品世界はさらなる深まりを見せている。路上で撮影されたスナップ的な写真が減ってきて、身近なモノをじっと見つめているような写真が目につく「火がついて半ば燃えかけた紙片」「闇の中に半ば消えかけている猫」「植え込みに半ば隠れている自動車」「羽根を半ば閉じた(開いた)白鳥」──こうして見ると、何かが途中で中断したり、曖昧な形のままに留まったりしている、宙吊りの印象を与える写真が多いことがわかる。その「半ば」という感覚こそが、吉野の視線のあり方を強く支配しているように思えるのだ。
個人的にとても強く惹かれる写真が一枚あった。窓辺に置かれた洗面器のような金属製の容器に水が張られ、紙(写真のプリント)が浮いている写真だ。静謐だが、凛と張りつめた緊張感を漂わせている。彼女の師である鈴木清が写真集『流れの歌』(私家版、1972)の表紙に使った、あのつけ睫毛が洗面器の底に貼り付いた写真を思い出した。鈴木から吉野へ、イメージが眼から眼へと手渡されているということだろう。

2012/12/21(金)(飯沢耕太郎)

大駱駝艦・壺中天公演『CRAZY CAMEL』

会期:2012/12/14~2012/12/24

壺中天スタジオ[東京都]

麿赤兒の役回りを村松卓矢が担当し、今年の10月にパリで上演された同名作を再演したのが本作。タイトルはパリの有名キャバレーCRAZY HORSEへのオマージュでもある。なるほど、野外イベントなどでしばしば上演されてきた彼らの金粉ショーは、壺中天スタジオの室内でみると妖しい魅力が増してきて、ゴージャスさや美しさに特化しているところはCRAZY HORSEと異なるとしても、キャバレーのヌードショーと似た興奮が劇場を満たしてゆく。6人の男女が金色のコーティングを施して、アグレッシヴな動きを見せると、あっという間に、金の肌に玉の汗が輝き出した(最後には汗で水たまりをつくりかけるほど床が濡れた)。向雲太郎のアホとロマンの皮袋』でも思ったことだけれど、色を塗った舞踏特有の肌というのは、裸ではなくひとつの衣裳なのだ。生々しさを隠して艶めかしさを残す。体のラインが最大限際立ちつつも、裸に目を向ける気恥ずかしさを軽減させる。彼らの踊りの間に、村松卓矢と我妻恵美子のダンスが何度か差し挟まれる。ときにセーラー服、ときに貴婦人の衣裳を纏って踊る2人は、終幕にさしかかったところで「Monet」と表紙にある本を手にした男の子がじつは春画を見て勃起していることを知り、迫ると、彼の金色のペニスを食べてしまう。シンプルな構成、時間も彼らにしては約1時間と短い。けれどもその分、彼らの官能的で、ユーモラスな面が鮮明に出た公演となった。舞踏というと専門的な興味にしか訴えないところがあるが、こうしたショーなら理屈抜きに見たいという客もいるはず。ぜひ「CRAZY CAMEL」ショーとでも称して、第二弾、第三弾とシリーズ化して欲しいものだ。

2012/12/22(土)(木村覚)

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