artscapeレビュー

2013年01月15日号のレビュー/プレビュー

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

[アメリカ、ニューヨーク]

MoMAは噂に聞いていたが、大量の人でごったがえし、まともに鑑賞できる状況でなかった。近・現代美術でこれだけの集客力を誇ることに驚かされる。巨大ミュージアムであるがゆえに、圧倒的な物量がこうしたポピュラリティを獲得させるのか。同時に複数開催している企画展もすごいが、コレクション/常設の規模とクオリティこそが真価であり、残念ながら日本が簡単に追いつけない側面だと実感する。しかも東京とは違い、交通の便がいい都心に超巨大美術館が存在し、レストランもしっかりとおいしい。
6階では、ちょうど日本の前衛芸術展を開催中だったが、こうして世界の文脈からみると、全体的にじめっとしてどろどろ、色調が少し暗いのが日本アートの特徴ではないかと改めて思う。3階の建築部門は、ユートピア的作品の特集展示だった。コールハースのエクソダス、チュミのマンハッタン・トランスクリプト、セドリック・プライス、磯崎新、アーキグラム、ハンス・ホライン、アルド・ロッシ、ディコンストラクティヴィズム、最近亡くなったレベウス・ウッズから現代まで、建築が現代美術と共に位置づけられている。日本の美術館ではお目にかかることができない、うらやましい環境だ。2階は、80年代以降の美術フロアだが、ここでも1988年にMoMAで開催され、大きな話題を呼んだ脱構築主義の建築展を自ら歴史的に位置づけている。

写真:上=外観、中=室内、下=3階の建築部門展示

2012/12/28(金)(五十嵐太郎)

ディア・ビーコン美術館

[アメリカ、ニューヨーク]

美術界からの評価が高いニューヨーク近郊のディア・ビーコンへ。
巨大工場をまるごと現代美術の空間にしたもの。なるほど、建築家は余計なことすんなと言いたくなるカッコよさだ。いまあるジャッドやデマリアはそれほどでもなかったが、サンドバッグの糸による幾何学、ルウィットの手描き数学空間、マイケル・ハウザーらの作品がよかった。
外光が届かない地下は、国立近代美術館でもやっていたような初期ビデオアートの特集展示を開催している。全体としては、リチャード・セラ、ハウザー、ロバート・スミッソン、ダン・フレヴィンなど、ミニマリズムやランドアートが多く、建築に影響を与えた作家が多い。チェンバレインの車をぐしゃぐしゃにした彫刻もゲーリーへの補助線が引けそうだ。

2012/12/29(土)(五十嵐太郎)

ニューミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート

[アメリカ、ニューヨーク]

SANAAの手がけたニューミュージアムへ。単一の建物を撮影した写真だとわからないが、実際に街を歩くと、積層したヴォリュームをずらすのは、高層化されていないまわりの建物のスケールを意識したものと実感できる。これは移動にエレベーターを使う、いわばワタリウム型の都市美術館だが、室内においては、各階のヴォリュームのズレを使いながら、異なる方向に細長いトップライトや階段を設け、空間に変化を与えていた。

2012/12/30(日)(五十嵐太郎)

SPIDER-MAN TURN OFF THE DARK

会期:2011/06/14

Foxwoods theatre[アメリカ、ニューヨーク]

『スパイダーマン』のミュージカルを観劇した。これは面白い。U2が楽曲に、石岡瑛子が衣装デザインに関わっているのはもちろんだが、出演者が文字どおりにスピード感のある空中戦を演じ、都市や空間を表現する舞台美術が凝りに凝っている。全編ガジェット満載で、呆れるを通り越して、驚き、楽しむしかない。
宙吊りの蜘蛛女を中心に、空中でスイングしながら女たちが黄色い帯を縦横に編む幻想的なオープニング。ライブのワイヤーアクションで、スパイダーマンが飛び、2、3階席にも着地し、観客の頭上でグリーン・ゴブリンと戦う。またマスクをかぶり顔を見せないことを逆手にとって、複数のスパイダーマンがスタンバイして、瞬間的に移動したように見せたり、あちこちから自在に登場するスピード感をつくりだしている。ここまで実際に飛びだす3Dで、高さのある演出はちょっと見たことがない。そして意図して漫画風につくられた舞台美術も興味深い。これだけ複雑な装置なら、怪我や事故、初期の上演でトラブルがあっても仕方ないだろう。舞台の手前がビルの屋上、奥が地上面になって、垂直軸を90度回転させるほか、左右に傾いたり、重心が転換する感覚は、まさに映画で見たスパイダーマンの動きだ。CG技術がもたらすダイナミックな表現が、現実の演劇と生身の俳優にフィードバックしたものと言える。

2012/12/30(日)(五十嵐太郎)

大橋仁『そこにすわろうとおもう』

発行所:赤々舎

発行日:2012年11月20日

年も押し詰まってきた時期に、とんでもない重量級の写真集が届いた。大橋仁の『そこにすわろうとおもう』はA3判、400ページ、重さはなんと5キロもある。デビュー作の『目のまえのつづき』(青幻舎、1999)以来、彼の作品には「これを撮らなければならない」という思い込みの強さを、恐るべき集中力で実際に形にしていく気魄に満ちあふれている。時にその強引さに辟易することもないわけではないが、被写体との関係が穏やかで希薄になりがちな日本の現代写真において、アウトロー的な凄みを前面に押し出す彼の存在そのものが貴重であるといえそうだ。
今回も、最初から最後まで全力疾走で突っ走る「奇書」としかいいようがない写真集だ。「奇書」というのはむろん褒め言葉で、「奇妙」でありながら「奇蹟」でもあるということ。中心的なテーマは、男女数百人が入り乱れるオージー(集団乱交)の現場なのだが、その様子を、ここまで徹底して微に入り細を穿って撮影し続けたシリーズは、いままでほかになかったのではないだろうか。大橋の視線は、彼らのふるまいに対する純粋な驚きと好奇心と共感とに支えられており、腰が引けた覗き見趣味やネガティブな感情とは無縁のものだ。「奇妙」でありながら「奇蹟」でもあるというのは、実は彼の基本的な人間観でもあるのだろう。大橋が本書の刊行にあたって書いた文章の次の一節からも、そのことがよくわかる。
「今日この場に、自分が生きていること、この世というひとつの場所に人類がそろって生きていること、自分はそこにすわろうとおもった」。
今回一番問題になったのは「性器」の扱い方ではなかっただろうか。現在の日本の出版状況においては、男女の性器が露出した状態で写っている写真を掲載・出版するのはかなりむずかしい。結果的に、本書では局部にぼかしを入れた印刷を採用した。これはとても残念なことだ。おそらく、一番心残りなのは大橋本人だろう。いろいろ問題はあるだろうが、すべてをクリアーに印刷した「海外版」の刊行を考えてもいいと思う。

2012/12/30(日)(飯沢耕太郎)

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