2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

2017年12月15日号のレビュー/プレビュー

庭劇団ペニノ「地獄谷温泉 無明ノ宿」

会期:2017/11/04~2017/11/12

KAAT 神奈川芸術劇場[神奈川県]

じつは第60回岸田國士戯曲賞を受賞した後、書籍をぱらぱらめくったときは、あまりピンとこなかった作品だが、本物の演劇は凄まじいものだった。山里の、家主がいない、ひなびた宿で、それぞれ何かが欠けた人物たちが交差する、異様な一夜を恐るべき実在感で演劇化していたからである。東京からやってきた人形遣いの謎の親子(小人症の父と母がいない息子)をはじめとして、目が不自由な男、言葉を発しない宿の三助、そして疑似家族的な老女と年が離れた2人組の芸妓など、あまりにシュールな設定に思われるのだが、確かに彼らはここにいると感じさせる演技だった。つまり、舞台では演劇という形式でしか立ち現われないものが表現されており、それは脚本を読む行為とは別物である。筆者が観劇した国内最終公演では、息子役の俳優が体調不良につき、代役を立てていたことを考えると、本来のメンバーならば、さらに迫力を増していたのだろう。ともあれ、父役を演じるマメ山田は、当て書きの脚本であり、彼以外の配役を想像しがたい。

物語が進行していくと、親子は言いしれぬ闇を抱えていることがうかがえ、彼らの子どもの人形による劇もあまりに不気味なもので、不穏な雰囲気が漂うなか、朝を迎えるまでに決定的な事件が起きるのではないかという緊張感を観客に強いる。さて、建築の立場からは、四場面(宿の玄関、上下の部屋、脱衣場、浴場)を体験できる回り舞台が素晴らしい。これは単に素早く場面の数を増やす装置というだけではなく、部屋から部屋への移動によって空間的な連鎖が巧みに演出されていた。そして温泉で本当に役者たちが裸になって入浴するシーンも忘れがたい。まさに裸で勝負する本気の舞台であることにあっけにとられた。公演は海外にもっていった後、舞台装置を解体するらしい。小人症の俳優が必要であることに加え、大がかりなセットだけに、将来の再演が難しそうな怪作である。

2017/11/07(火)(五十嵐太郎)

ウォーターフロント・シティ横浜 みなとみらいの誕生

会期:2017/10/07~2018/01/08

横浜都市発展記念館[神奈川県]

初めてみなとみらい21地区のエリアに足を踏み入れたのは、まだ筆者が学部生だった1989年の横浜博覧会である。いまから振り返ると、丹下健三による横浜美術館などを除くと、博覧会では仮設の建築群が並び、まだほとんど何もない土地だった。その後、1993年に横浜ランドマークタワーが登場し(あべのハルカスに抜かれるまで日本一位の超高層だった)、2004年にはみなとみらい線が開通し、内藤廣、早川邦彦、伊東豊雄らが駅のデザインに関わっていた。「みなとみらいの誕生」展は、近代の歴史(埋め立てや造船所の移転)や計画の経緯を通覧できる企画だが、このように新興都市の近過去をたどっているだけに、記憶に照らし合わせながら鑑賞することができる。それにしても、いまでこそひらがなの地名は増えたが、1981年にこの名前に決まったのは早い。ましてや、「みらい」という言葉まで使っており、横浜の都市計画の実験場だったと言える。

なかでもいくつかの計画図が目を引いた。ひとつは、1960年代に浅田孝が関わった頃に描かれた広場的な遊歩道を挟む中規模の建築群である。これはヒューマンなスケールをもち、ヨーロッパの都市的な印象を受けた。そして1980年代に大高正人は海辺の輪郭に柔らかい曲線を導入し、囲み型の街区プラン(一部は高層)を提案している。中層の建築群による囲み型は、幕張ベイタウンを想起させるだろう。現在、みなとみらい21地区は、高層のオフィスやホテル、そしてタワーマンションが林立し、ショッピング・モール的な商業空間の風景が出現している。つまり、想定されなかった未来が実現した。さらに子どもの増加から学校が建設され、1万人を収容できる音楽アリーナや2,000人規模のライブハウス型のホールも2020年にオープンする予定だ。既存のクラシック音楽のための横浜みなとみらいホールとあわせると、ちょっとした音楽の街となり、これも予期しなかった未来だろう。

2017/11/07(火)(五十嵐太郎)

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イキウメ『散歩する侵略者』

会期:2017/10/27~2017/ 11/19

シアタートラム[東京都]

『散歩する侵略者』は2005年初演のイキウメの代表作。この秋には黒沢清監督により長澤まさみと松田龍平の主演で映画化もされ、今回はイキウメとしては3度めの再演となる。すでに十分な人気と実力を兼ね備えるイキウメだが、近作ではますます充実した活動を展開している。この5-6月に上演された『天の敵』では舞台上に複数の時空間を配置する作・演出の前川知大の手つきが冴えわたり、俳優たちもそれに十二分に応える好演を見せた。このタイミングでの代表作『散歩する侵略者』の再演は、劇団としての継続的な活動の成果を反映し、傑作の再演に向けられた期待を大きく上回る舞台となった。

物語は数日間行方不明だったある男(浜田信也)が戻ってくるところからはじまる。まるで別人のようになってしまった夫に戸惑う妻(内田慈)。やがて夫は告げる。実は自分は地球を侵略しに来た宇宙人なのだと。折しも街では特定の概念が理解できなくなる奇病が流行。それは彼ら宇宙人が「概念」を収奪した結果だった──。

今回の再演では、夫婦の再生、国と個人との対立などさまざまな要素が詰め込まれた作品の、また新たな側面が浮かび上がって見えた。再演の度に発見があるのが傑作の傑作たるゆえんだろう。

舞台となる「日本海に面した小さな港町」は「同盟国の大規模な基地がある戦略的に重要な土地」であるとされ、物語の背景には隣国との軍事的な緊張の高まりがある。図らずも2017年の現在を反映したかのような再演となったわけだが、真にアクチュアルな意味を獲得してしまったのはむしろ、「概念」の収奪という設定の方だ。

言葉の意味が骨抜きにされるとき、社会はその成立基盤から揺らいでいく。地面に大きく亀裂が入った舞台美術(土岐研一)は東日本大震災後の日本を思わせると同時に、今まさに足元に広がりつつある裂け目をも可視化していた。見える世界、拠って立つ場所の違いが生む断絶は深刻だ。ラストシーンの二人の「すれ違い」はまったくもって他人事ではない。


イキウメ『散歩する侵略者』
左から浜田信也、安井順平
撮影:田中亜紀
公式サイト:http://www.ikiume.jp/

2017/11/08(水)(山﨑健太)

福岡道雄 つくらない彫刻家

会期:2017/10/28~2017/12/24

国立国際美術館[大阪府]

福岡の作品はこれを見るまで、「波」の彫刻と「何もすることがない」シリーズしか知らなかった。「波」のほうは黒い直方体の上面にさざ波だけを彫ったもので、「何もすることがない」はその言葉を黒い板いっぱいに延々と刻んだもの。どちらも無意味なことの繰り返しだが、こうした虚無感は若いころだれしも感染する症状であり、そんなものをいい年してつくり続けてるのはどんなやつだろうと興味があったのだ。福岡は1950年代、砂浜を手で掘った穴のなかに石膏を流し込み、砂だらけの彫刻を発表。最初から「彫刻をつくる」という意志は希薄で、「できちゃった彫刻」とでもいうべきか。この無作為の作為こそ彼の彫刻を貫く芯といっていい。60年代には屹立する男根状の彫刻になり、やがて地から離れて宙づりのバルーン彫刻に行きつく。ここで地中から始まって地上に直立し宙に浮くという物語が完成してしまい、魔が差したのか、70年ごろからウケ狙いの具象彫刻に走ったこともあった。
そんな制作に嫌気が差し、しばらく趣味の釣りに浸るが、やがて釣りをする自分を表わした「風景彫刻」を始め、そこから余計なものが削り取られて水面だけ残ったのが「波」のシリーズだ。福岡の名を全国区にしたのはおそらくこの「波」シリーズからだろう。これが20年ほど続き、90年代後半から「何もすることがない」シリーズが始まる。その外見はロゼッタストーンを思わせるが、数千年後これが発見されて解読したら「何もすることがない」という言葉が繰り返されるだけで、未来人はどう思うだろう。もし未来人がAIロボットだったら、この「無作為の作為」のジレンマを理解できるだろうか。いやロボットでなくても現代人でもどれだけ理解できるだろう。おっと展示はまだあった。粘土をこすって「ミミズ」に見立てたり、丸めて「きんたま」をつくったり、もっとちっちゃく丸めて「つぶ」にしたり。もうここまで来れば「何もいうことがない」。

2017/11/08(水)(村田真)

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態度が形になるとき ─安齊重男による日本の70年代美術─

会期:2017/10/28~2017/12/24

国立国際美術館[大阪府]

1970年以降の現代美術の現場を撮り続けてきた写真家、安齊重男の初期作品に絞った回顧展。いま「現場」「作品」「回顧展」といった言葉を出したけれど、ためらいながら使っている。というのも、例えば「現場」という言葉を「作品」に置き換えてもいいのだが、そうはいいきれない事態がまさに70年代から始まろうとしていたからであり、そのことに初めて自覚的に向き合った写真家が安齊さんだったからだ。なんのことかわかりにくいが、要するに被写体となる作品が非物質化し始めたということだ。それを象徴する出来事が、安齊さんの写真家デビューとなった「東京ビエンナーレ70〈人間と物質〉」展だった。
いまや伝説的なこの展覧会では、いわゆる絵画や彫刻の展示はなく、当時としてはまだ珍しかったインスタレーションやパフォーマンスが繰り広げられた。それらの「作品」の多くはその場で発想され、会期が終われば解体されてあとに残らないため、制作から展示までのプロセスも記録する必要があった。つまり「作品」を撮るというより、「現場」を押さえる感覚だ。しかもそうした「作品」はいつ、どこから、どのように撮ったかで見え方、捉え方が異なってしまうため、写真家が作品をどのように解釈し、どれだけ理解したかが問われることになる。その点、安齊さんは写真家になる前は作品をつくっていたこともあって、作者側の視点で作品を解釈することができ、多くのアーティストの信頼を勝ち得ることができた。
では、それらの写真は安齊さんの「作品」といえるのか。もちろん単なる記録写真でも多かれ少なかれ「作品」といえるが、特に安齊さんの場合は彼自身の解釈が大きく加わるため、ほかの記録写真に比べて「作品」度が高いといえるだろう(でも美術館が所蔵する場合「作品」だと高くつくから「資料」扱いにされる、と聞いたことがある)。そして、そうした安齊さんの「作品」を集めたこの展覧会は、安齊さんの「回顧展」であると同時に、安齊さんの解釈を通して見た「日本の70年代美術」の回顧展ともいえるのだ。ああ少しすっきりした。
被写体となったのは、李禹煥、高松次郎、菅木志雄、吉田克朗、原口典之ら、もの派とその周辺の作家が大半を占めている。とりわけ菅が多いのは、彼自身の創作の思考過程をたどるようなパフォーマンスをしばしば披露していたからだろう。ところで、安齊さんの写真は圧倒的にモノクロームのイメージが強い(もちろんカラーもたくさんもあるが今回は出ていない)が、70年代の美術も全体に色彩も形態も抑制的で、しかももの派以降新たな光が見出せないという意味でも、ぼくのなかではほとんどモノクロームに近い。まさに安齊さんのモノクロ写真は70年代の美術状況をそのまま反映しているように思えるのだ。というか、じつはぼくの70年代美術のイメージが多分に安齊さんの写真によって色づけ(モノクロなので色抜きか)されているのかもしれない、とふと思った。

2017/11/08(水)(村田真)

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2017年12月15日号の
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