2022年04月15日号
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artscapeレビュー

インターステラー

2015年02月01日号

会期:2014/11/22

丸の内ピカデリー[東京都]

クリストファー・ノーランによる最新作。宇宙を舞台にした冒険活劇の体裁をとりながら、その内実は父娘のあいだの絆を描いた人間ドラマである。そのいかにも凡庸な主題は、ややもすると陳腐で退屈な印象を与えかねないが、それを巧妙に回避しているのが、抑揚のある物語展開と、入念につくり込まれた映像美だろう。
冒頭、不意に飛来したドローンを追って主人公の親子がトウモロコシ畑の中を車で突っ走るシーンで、物語に一気に引き込まれる。次々となぎ倒されるトウモロコシ。ここで表わされているのは、地球規模の環境汚染による食糧難のため、いまや希少な食料源となったトウモロコシを踏み倒してまでもドローンを捕獲しようとする父親のすさまじい執念と並外れた行動力である。このシーンで主人公の性格が端的に示されたと言ってもよい。
だが、それより何より私たちの眼を奪うのは、青々とした広大なトウモロコシ畑の中に車輪が引いていく線であり、この大地に刻まれる線の運動性は、そのような「意味」を読み取るより前に、鑑賞者の視線を釘づけにしたに違いない。映画の醍醐味のひとつが、言語より速い速度で眼球を独占する映像美にあるとすれば、それは必ずしもCG技術に依存しているわけではなく、むしろアースワークやランドアートのような泥臭い水準でも成立しうることを、本作は実証していた。
ところでトウモロコシ畑といえば、類似した作品として『フィールド・オブ・ドリームス』が挙げられる。父親と娘という違いがあるものの、ともに親子の和解を主題としており、ともにトウモロコシ畑と野球場を主要な舞台装置としているからだ。違うのは、『フィールド・オブ・ドリームス』のトウモロコシ畑が別世界への通路として描写されていたのに対し、本作における別世界への通路はガルガンチュア(ブラックホール)とされていた点である。さらに前者の主人公はトウモロコシ畑の野球場でゴーストとしての父親を待ち受ける側だが、後者の主人公は宇宙の五次元空間へ飛び、その闇から娘を見つめるゴーストと化す。
わたしには見えないが、向こうからは見えているような気がする。これは、例えば霊場や墓場で経験しうる特殊で非日常的な感覚だが、本作のもっとも大きな功績は、「わたし」としての娘と「向こう」としての父親の双方の視点から物語を描写することによって、近接しながらも隔てられた両者のあいだの距離感をまざまざと浮き彫りにした点である。「わたし」と「向こう」は、家庭の中であれ地球の外の宇宙であれ、つまり物理的な距離にかかわらず、近づきつつも遠く隔てられている。だが逆に言えば、そのような絶対的な距離があればこそ、「わたし」は「向こう」を感知することができるのだろう。

2014/12/29(月)(福住廉)

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