2022年05月15日号
次回6月1日更新予定

artscapeレビュー

神村恵、高嶋晋一、兼盛雅幸、高橋永二郎(構成・出演)『わける手順 わすれる技術 ver.2.0』

2015年02月01日号

会期:2015/01/18

SNAC[東京都]

なぜダンスなのか? なぜ踊るのか? 踊りたくなるから? でも、作品の公演のように何度も上演が行なわれる場合、踊りたくなる衝動は一種の仮構なしには説明がつかない。いまここで踊る理由とは? この問いを「私は踊り子なのだ!」(=踊る病の病人なのだ)などと断言してしまう以外に、うまくやり抜くのに「ここに踊れ(動け)と書いてあったから」という言い逃れがありうる。本作は、後者の立場にある。観客にインストラクションを配布し、何をいまここで行なうのかをあらかじめオープンににする。冒頭、4人は舞台に現われるとまず今回の上演の趣旨説明を行ない、その後さらに、6個のインストラクションの内で見るまでもないものはないかと観客に問いかけるということまでした(ぼくが見た回は見るまでもないという意見は出なかった)。この冒頭のやりとりは場を和ませた。これがダンス公演だとしたら、冒頭で観客と対話するダンス公演なんてほとんど存在しない。希有な「言葉の介入」は場の緊張を緩和させた。インストラクションは「隠れようがないところで隠れる」「足音の再生」「変質ジャンケン」「行為の最小化」「行為の圧縮」「口腔から世界を取り出す」(これらのタイトルは上演後に配られたテキストに基づく)。個々がどんなインストラクションであったのかは、紙幅の関係で詳述はできない。興味深かったのは、誰かがインストラクションを行なった後に、別の誰かがそれを即座に講評するところだ。「足音の再生」は「先生」役の演者が立てた足音を他の演者は目を瞑って聞き、そこでどんなことが起きていたのかを実演するというもの。そんなゲームの成果について、ああでもない、こうでもないと演者同士で会話が起こる。もっとしっかりリハーサルしておけばもめないのではと思わなくもないが、完成した状態ではなくむしろ「生煮え」を舞台に持ち込もうとしているに違いない。ならば、どの生煮えと完成のあいだのどの段階を見せようとするか、そのコントロールが求められることになるだろうし、その点の考察は課題というべきかもしれない。ただし、アクティング・エリアでリラックスした会話が起きているその状態に、新鮮な驚きがあったし、そこから次のどんな展開があるのか期待したい。

2015/01/18(日)(木村覚)

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